これが私の生きた道

美袋和仁

第1話 ある主人公の日常 ~回想・前編~


 ~まえがき~

 なろう掲載していたモノを加筆修正して投稿します。完結済みです。順次上げるので、御笑覧ください。


         By. 美袋和仁




「上の娘と絶縁したわ」


「あ~、やっぱそうなっちゃったかぁ」


 友人の車の助手席に座り、何でもない事のように説明する私。

 昔から私を良く知る友人は、まあ仕方無いよねと苦笑い。


 そう。昔から私は人を見限るのが早く、あらゆる人間関係をスパっと一刀両断してきた。親子でもそれは変わらない。

 過去には姉弟とも絶縁している。諸々な理由はあるのだが。

 今回の娘の件で、知らず空を振り仰ぎ、私は己の記憶をサルベージする。


 思い返せば四十年ほど前か。


 そこから全ては始まる。


 当時十七歳で一人暮らしをしていた私に、母が神妙な顔をして相談を持ちかけてきたのが切っ掛けだった。




「お姉ちゃんが結婚するんだって。でも手持ちが心許ないし、旦那さんの仕事関係もあるから、披露宴は福岡でやるらしいの」


 なのでこちらからは披露宴に出席も出来ないけど、うちの親戚にも顔合わせの御披露目くらいはしておきたい。そう話す母に私は首を傾げる。


「いや、そういうのって両親や親族は招待されるもんでしょ? 招待する側が交通費とか負担してさ」


 疑問顔な私に母はモゴモゴと口ごもった。そして、とつとつと経緯を語る。


 なんでも、姉らは新婚旅行を兼ねて海外で挙式するらしい。それで帰国後に披露宴をやる予定で、親族らはもちろん、どうも家の両親すら招待出来る余裕がないのだとか。


 は? 嫁両親不在で披露宴やるってか? あちらの御両親も納得してんの?


 あいた口が塞がらない私に、母はさらに呆れることを宣う。


「だからね、こちらでお姉ちゃん達の御披露目をしてあげたいのよ。それで五十万ほど貸して欲しいの」


 ここは愛知県。福岡とはかなり離れていた。交通費も馬鹿にはならない。

 祝儀をそれにかえて招待するなどしたら良くないか? と問う私に、母はまたもや呆れる事を言う。


「あの子らは、その御祝儀も当てにして結婚式を挙げるみたいだから.....」


「アホかぁぁぁーっ!!」


 思わずブチキレて叫んでしまった私に罪はない。多分。


 は? 御祝儀は貰ってポッケないないするけど、交通費払って披露宴に招待はしたくない? それを当てこんで結婚式の予定たててるから?

 つまりはこちらの親族と顔合わせして、その御祝儀をもらうためだけに帰郷するってか?


 こっちは田舎だ。親戚一同からとなれば、結構な金額が集まる。それを見越しているのだろう。

 しかもその間、私のマンションに二人を泊めてくれと母は言う。実家は2DKの市営住宅。二人を泊められる余裕は確かにない。

 しかし田舎とはいえ、ビジホの一つや二つはある。宿をとれない訳ではない。

 正直実家は金銭的余裕がないので、ホテル代を出してやる事も出来ないのだろう。だから、ここで私が出すと言うのも憚られる。


 でも、こちら一人暮らしなんですが? 副業の仕事柄、大部屋が空いてますけどね? 今は仕事もないんで貸しても構わないけど、どんだけ金がないのさっ!!


 お義父さんの顔を立てて欲しいと、土下座するかのように謝り倒す母を見ては無下にも出来ず、私は渋々了承した。


 実は母は私が幼い頃に離婚をしており、今の父親は義父なのだ。


 再婚して五年ほどした頃、義父は大きな事故に遇い片足が使えなくなった。入院も長引き、費用も嵩む。

 結果、家計も苦しくなり、私達姉弟は中卒で、進学は出来なかったが、それはそれで仕方無いし良いと思う。


 その事故までは十分な生活をさせてもらっていたから。


 特に姉などは公害認定特級の喘息持ちで、しょっちゅう入退院を繰り返していたし、一時は養護学校に通うなど非常に金と手間のかかる状態で、義父が支えてくれなくば、きっと母は生活に行き詰まり倒れてしまっただろう。


 義父には本当に感謝しかない。


 だから母が義父の顔をたててやりたいと言う言葉に、私は抗えなかったのだ。


 だが、ぶっちゃけ、私は姉と仲が悪い。


 姉は悪い意味で長子気質だった。家にある全てのモノは姉のモノであり、下の弟妹に権利はないと思っている。

 片端から取り上げ、弟妹を叩く蹴るは日常茶飯事。姉と私は五歳違いで、私が中学生になるあたりまで大人と子供ほどの体格差があった。そんな私に何が出来ようか。

 弟が叩かれないように憎まれ口を利くのが関の山。


 そんな陰鬱な幼少期を過ごして、水面下に恨みを溜め込みながら成長した私は、ある時下克上を果たす。


 二十歳になった姉が、私が通販で買ったベッドを横取りしたのだ。


 我が家は市営住宅の2DK。+庭に建てたプレハブ。中学生の弟が両親と同じ部屋で、私ら姉妹がプレハブ部屋を半分に仕切って使っていた。

 その姉のスペースに置かれた、私の折り畳みベッド。初給料で買った自分への御褒美。

 姉は一度一人暮らしを始めたのだが、結局生活出来なかったらしく再び実家に出戻ってきた。

 姉が家を出て、ようやく自分のスペースを確保した弟が、出戻ってきた姉に部屋を叩き出されたのが可哀想だった。

 その鬱屈もあったのだろう。母が私の部屋に入れておいてくれたベッドを、勝手に開けて自分の部屋に持ち込んだ姉に、私は心底腹が立った。

 自分でも驚くほどの怒りが腹の底から沸き上がり、気づけば私は姉を殴っていたのだ。


 奇声を上げて飛びかかってくる姉をかわし、その返す手で裏打ちを食らわして立て続けに拳で姉を殴り付ける。

 不思議な感覚だった。憤怒で頭は沸騰しているのに、その奥底には冷静な自分がいる。

 猪突猛進に飛びかかってくる姉を容易くかわし、嘲るように的確な殴打を撃ち込む自分。

 如何にしたら姉が激昂し、何処を殴ればそのダメージを長らえさせられるか、蛇のように計算する自分がいた。

 面白いように姉の顔をボコボコにして、私は不均等に歪む自分の口角を抑えられない。


 初めて人を殴った。人を傷つけることに対して、恐れも怯えも何も感じなかった。

 十年以上蓄積されてきた怨みは、それだけ深かったのだろう。


 姉は自分が妹に殴られた事や、今まで散々踏みつけにしてきた私の叛逆が信じられなかったようで、何度殴り飛ばされても私に突っ掛かってくる。


 昔とは違うのだ。今の私は身長167。目の前の姉より十センチ以上大きい。年齢による力の差は埋まっている。


 そうして暫くし、ようやく自分の劣勢に気がついたのか、姉は絶叫しながら部屋から飛び出していった。

 私も興奮気味で、昂る胸を上下しつつ肩で息をしていたのだが、ふと気づくと右手が痛い。


 何気に視線を落としてビックリした。


 右手に血がついている。所々に点々と掠れるような赤い染みが幾つもあった。


 さらに驚いたのは、その右手の中指が腫れていること。

 第二関節中心に深い赤紫色になっていて、驚き過ぎて興奮の抜けた私は、その指の痛みで正気に返る。

 ジンジンした痛みが右手から駆け上がり、こんな手で殴り付けていたのかと、さすがに我が眼を疑った。


 アドレナリンとかいう現象か? 全然、気づいていなかったわっ!


 っっでえぇぇぇっ!! と言う私の叫びに弟が駆けつけ、姉の方には母が付き添い、御互いに別々のタクシーで病院に向かったのは未だに忘れられない黒歴史である。

 結果は、姉が顔面打撲多数。私が右手中指骨折。痛み分けにも見えるが、販売職で見た目重視な姉の方がダメージが高い。

 こんな顔で接客出来ないと布団で号泣する姉に、私と弟は大いに過去の溜飲を下ろしたのである。


 その後、悔し紛れか知らないが、姉は自分が家に生活費を入れていたから私達を養えたのだとか、感謝くらいすべきとか御高説を宣ってきた。


 だが私は知っている。


 子供らが働くようになってから、両親は、申し訳ないが就職したら食費を入れてくれと言ってきていたからだ。

 それも二万。実家住まいで光熱費その他を考えたら破格の安さ。

 同じ事を姉にも言ったのだろう。だから私は意味の分からないマウントを取ろうとする姉を怒鳴り付けた。


「そんな端金、お前の食い扶持で消えとるわーっ!!」


 本気で何を言われているのか分からなさげな姉に、懇切丁寧に説明という名の説教を母がかましていたのも黒歴史だろうか。姉の。


 そんなこんなで、私は姉とは非常に仲が悪いのだ。


 長子にありがちな話だが、姉は非常に外面だけは良い。周りも親戚も、弟妹思いの良いお姉ちゃんだと思っている。


 知るのは弟妹ばかりなり。姉に虐げられていた私と弟には、戦友的な絆が生まれていて仲が良いのだが、それもまた姉は気に入らない。

 その意趣返しなのか、まだ中学生の弟からも御祝儀をふんだくろうとして、婚約者の前で私に怒鳴り付けられるという新たな黒歴史を紡いでくれた。


 なんやかや有りつつも、義父の顔もあるしで私は御祝儀代わりに五十万を母に渡す。

 なので当然、私からの御祝儀はない。そのように母が姉にも伝えていたはずだ。


 な・の・に。


 あの馬鹿野郎様はやらかしてくれた。


 こちらの身内一同が揃っている席で。


 それなりの身形で現れた私ににじり寄り、私がつけていた指輪を突っついて.....


「アンタ、御祝儀くれてないよね? コレ、御祝儀代わりに頂戴よ」


 勿論私は絶句。婚約者さんも親戚らも、両親すらもポカーンである。


「は? アタシ、ここのお金、全額もってるんだけど?」


 そう。こちらの親族らと御披露目のため、両親が用意した宴会席貸し切りと親族の宿泊。母の目算は甘かったようで、少し足が出てしまった。

 ここに来てそれを知った私は、追加で二十万ほど渡している。

 さすがに全額御祝儀という訳にはいかないと、昔堅気な両親は、追加の二十万を御祝儀に。その前に借りた五十万は必ず返すと約束してくれた。


 それで話はついているはずなのに、このていたらくである。


「アンタっ! 妹ちゃんは沢山お金を出してくれてるじゃないの!」


 最初の五十万は両親が借りた形にしたので姉には伝えていない。足が出た分を御祝儀代わりにもらったとだけ伝えていたらしいが、ここで姉は信じられない事を言った。


「そんなの私達が頼んだことじゃないし。お母さん達が勝手にやったことでしょ? それに姉妹なら十万くらい包むもんじゃないの?」


 それを聞いて、私は思わず眼を据わらせた。


 せっかく御祝儀を出して祝ってくれる親族に、食事や酒の席も用意しないなど有り得ない。貰い逃げする気だったんか、おまえら。

 私達兄弟は、御祝いされたら半額返しが相場だと両親から教わってきた。親もそのようにしている。もちろん、親戚らも。

 別にこれが常識だと言うつもりはない。場所や家庭によりけりだと思う。けど、御祝い返し一つ考えてもいないのは、人として論外だろう。


 ついでに言うならアンタが指差してた指輪は、十万じゃ買えない代物なんすがね?


 時はバブル期に差し掛かったあたり。中卒だろうと引く手あまたで、私も中央卸売市場に勤めながら副業に精を出すような時代だった。

 月収五十を軽く越え、さらには副業を含むと月に百近くある。酷く金銭感覚の歪んだ時代だ。

 実家が貧乏暮らしだったため、有り余る若さでがむしゃらに働き、私はそれなりの生活をしていた。たった二年だが堅実に貯金し数百万ほど貯まってもいる。

 しかし、それは姉も同じのはずだ。副業まではしていなくても真っ当に働いていたら賞与込みで結構な収入になっていただろう。


 その疑問は私の口をついた。


「大体、なんでそんなにお金が無いの? 姉貴って確か有名企業の化粧品販売してたよね? アタシより月給良いっしょ?」


 姉も同じ中卒だが、私よりも五年長く働いているのだ。なのにお金が無いのが不思議だった。

 そんな私を嘲るかのように、姉は鼻白んだ顔で、自慢げに口を開く。


「私はアンタより友達多いからぁ。交際費とかバカになんないのよ。化粧販売コーナーの店員だし、お化粧とかも気を抜けないしね。着る物や持ち物にも気を遣わないとだし~」


 そんなどうでも良い蔑みなど歯牙にもかけず、私は得心した。


 なるほど。そういった系統は私に全く縁のないものだ。重なれば確かに高額な出費になる品々だろう。


 そして、ふとあることを思い出した。


「だからって何も、履きふるした妹のパンプス履かなくても.....」


 思わず、ぷっと吹き出して笑う私。その時同席していた母も思い出したのか、顔を背けて肩を揺らしている。


 しばらく前の話だが、お盆で実家詣でをした時、同じように帰宅していた姉がいた。


 タイミング悪かったなと思いつつも、御供物と線香代を母に渡して、私は手荷物を片手にテーブルへ着く。

 その荷物が眼についたのか、中身が何なのか興味津々で聞いてきたので、今の靴が古くなったから新しいのを購入したと説明したのだ。


「これ履いて帰るけ、古いの捨てといて良か?」


「良かよ」


 そう母にことわって古いのを捨てようとしたら、何故かいきなり姉が食いついてきた。


「ちょっ、それイブサンじゃんっ! 捨てるって、マジでっ?!」


 私は全く気づいていなかったのだが、その靴はブランド物だったらしい。

 デザインも良く履きやすかったから購入しただけで、ブランド物とかにとんと興味のない私は普段使いにして履き潰してしまった。

 ブランドといっても然して高いモノではない。五万程度の靴だった。ちょっと気の利いた革靴なら、ありふれた値段だろう。


 それを聞き、激昂する姉。


「こんなんになる前に譲ってくれたら良かったのにーっ! まあ、良いわ。捨てるってんなら貰うね♪」


 いやそれ革だから伸びてるし、反り返ってるし、色が剥げてるとこもあるんですが? しかも、それより何より、もっと重大な問題がある。


「姉貴、足のサイズ24じゃん。アタシ、22.5だよ? 履けんの?」


 そう。姉は身長156で足が24。私は身長167で足が22.5。戯けの小足なのである。

 おかげでバランスが悪いのか、足は遅いわ、何もないとこでベタっと転ぶわと、怨めしさ満載な足なのだ。

 しかも、ギリ、靴のサイズがない。気に入ったデザインを見つけても、サイズがない。ちくせぅ。

 爪先に詰め物をして23センチの靴を履く切なさよ。ついでに言うなら身長の高い私はヒールも履けない。

 下手に履いたら軽く身長170を越える。昭和後期の男性平均身長は170ないのだ。

 私が五センチでもヒールのある靴を履こうものなら、周囲から頭半分は飛び出し、目立つ事この上ない。

 おかげで女らしいお洒落には縁のない人生を送らせてもらっている。主に身体的理由で強制的に。


 そんな私を無視して、姉はパンプスを履いた。


「こんだけ履きふるしてたら大丈夫だって。ほら、履けた♪」


 革が伸びていた事が功を奏したのか、確かに姉は私のパンプスを履けている。


「まあ、履けるなら構わないけどさ.....」


 姉と仲の良くない私は、ゴミであろうともやりたくはなかったが、それも狭量が過ぎるかと渋々頷いた。


 .....と、そこで変な音が響く。


 その場で一回転しようとした姉が足に負荷をかけたせいだろう、パンプスを金具で留めていたベルトがぶちっと切れたのだ。


 思わず無言で足元を見る三人。


 姉の悲鳴と私の大笑いが玄関に響いたのは言うまでもない。




 そんなアホな記憶を思い出しつつ、あげてもサイズが合わないわと姉を一蹴する私。

 私は背丈がある分、手も大きく、それなりに指は細いものの節が太い。

 グリグリ指輪を通したあとは、指輪がクルクル回る有り様だ。

 身体の小さな姉は手も小さく指も細い。前に聞いた姉の指輪のサイズは9。私は13。靴と違ってお話にならないサイズ差である。


 姉は母からこんこんと御説教を食らい涙眼だった。


 ちなみに姉の婚約者様は苦笑いを通り越して生温い笑みになっている。


 そんなこんなで御披露目も終わり、あとは野となれ山となれと私は姉の事から一切手を引いた。


 そしてその後、母から聞いた暴露話。


 実は姉、あの御披露目の時すでに妊娠五ヶ月だったのだ。

 デキ婚で、婚約者もまだ専門学校を出て就職したばかり。

 こちらで知り合って地元の福岡で就職する予定な恋人に、そのまま福岡までついていった姉は妊娠が発覚。そして悪阻が酷くて再就職も不可。

 だが一人暮らしをしているため生活費が必要で貯金を切り崩して暮らしていた結果、結婚式を挙げたくとも金がないというカツカツな状態だった模様。


 しかもあの馬鹿野郎様は、過去に宗教にはまった事もあり、その際に一度オケラになっているのだ。


 寄進の名で根こそぎ巻き上げられてから眼が覚めたらしいが、あとの祭り。

 それが以前に実家に出戻ってきた理由でもある。私と大喧嘩したアレだ。


 常にトラブルメーカーだった姉が結婚し、しかも遠方だった事を私は心の底からから喜んだ。


 その後、離婚したらしいが、もう知らね。勝手に暮らしてくれ。うん。


 そう思い、平穏な生活を送っていたのだが、こちらが縁を切ったつもりでもしがらみは消えない。

 母親の葬儀を切っ掛けに、姉の本性が現れ、さらなるやらかしを私に吹っ掛けて来るのである。


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