六章 俺が妹になるのはまちがっている。

第31話『なんでもしますって言葉、まだ有効か?』

六章  俺が妹になるのはまちがっている。




 翌日の土曜日。俺は最近新しくスマホのメッセージアプリに登録された連絡先をまじまじと眺め、これからの行動を頭の中で何度もシュミレーションした後。手汗を握りながらおそるおそる画面に表示された通話ボタンをタップした。


 通話の相手は休日の午前中にも関わらず、すぐに電話に出てくれた。


『はい、もしもし……』

「もしもし。こんな時間にごめん、桜庭」

『いえ、気にしないでください。私たち友達、じゃないですかっ!』


 前から思ってたけど、この子いつか友達に騙されそうだな……。

 桜庭が騙されないように俺が用心しておかなければ。


『ところで、どのようなご用件ですか?』

「ああ。えっと、唐突で悪いけど……この前の『なんでもします』って言葉、まだ有効か?」

『え……。は、はい。結局まだなにもできていませんし、ゆ、有効、ですけど……。で、でも、できることとできないことが……』


 俺は警戒するような桜庭の言葉を遮り、スマホを耳に当てながら深々と頭を下げた。


「――頼む。姉を助けたいんだ。俺に力を貸してくれないか……?」


 言ってから気付く。大事なことをなにひとつ言えていない。人にものを頼む態度としては最悪だったかもしれない。けれど――。


『……もちろんです。私にできることならなんでも言ってください』


 即答。力強い言葉が返ってきた。

 なにもかも足りなかった俺の言葉から一体なにを汲み取ってくれたのだろうか。

 あまりに早い返答だったから思わず心配になってしまう。


「俺が言うのはおかしいけど。詳細を聞かずに承諾してしまっていいのか……?」

『はい。だって、友達は助け合うものでしょう?』

「いや、でも俺たちまだ友達になったばかりだし……」

『……小森君だからですよ。小森君だから、力になりたいって思ったんです。あなたが優しい人だって知ってますから』

「桜庭……」

『それにユリ先輩には普段からお世話になっていますし、お二人の力になりたいんです……‼』


 正直なところ。桜庭に『友達』と言われてしまうのには複雑な心境だったが、こういうのも悪くないなと今初めて思った。


 俺はニッと口角を持ち上げる。


「ありがとう。頼りにしてるぜ、親友!」

『し、親友、ですか……⁉ は、はい。任せてください!』

「じゃあ本題に入るけど――」


 俺は桜庭にすべての事情を話した。悠里がストーカー被害に遭っていることや被害がエスカレートして今はウチのアパートで匿っていること。警察よりも先に犯人を捕らえて和解したいと思っていることなど。

 現状のすべてを話した上で、それでも桜庭は引き受けてくれると言った。


 次は今日の夕方、悠里と一緒にマリーさんに直談判しに行く予定だ。


   ◆


 午後五時ごろ。引っ越しのバイトを終えて、アパートに帰ってくると部屋の雰囲気が少し変わっているような気がした。やけに日の光が差し込む部屋は、今までのどこかどんよりとした雰囲気がなくなり、逆に清々しさすらある。


 靴を脱いで部屋に上がると、掃除用のエプロン姿に三角巾を付けた悠里が振り返ってきた。


「あ、お帰りー」


 その恰好とバケツの上で雑巾を絞っている様子を見るに掃除をしていたのだろう。


 土曜日ということもあり、大学の講義もないらしく。さらにこんな状況なので外に出掛けるわけにもいかず、今日は家に引きこもっていたようだ。


 ――ん、ちょっと待てよ……。


 綺麗に片された本棚が一瞬視界に入って、急激に嫌な予感を募らせた俺はバッと慌ててベッドの下を覗き込んだ。

 そこは衣服などを入れた収納ボックス意外になにもなく、綺麗に整頓されている。


 今朝、俺がバイトに行く前とは違う状態。ダラダラと冷や汗が頬を伝うと、ふいに背後からけろっとした声が聞こえてきた。


「ベッドの下にあった本ならそこの本棚に並べておいたけど」

「か、勝手に人の物に触るなって言ったよなァ⁉」

「な、なによ。お世話になるばっかりじゃ悪いから掃除くらいはと思って……あ、エッチな本を勝手に片付けたから怒ってるの?」

「みなまで言うんじゃねぇよ!」


 健全な高校生男子の一人暮らし。当然、見られたくないものの一つや二つ……いや、それ以上にある。その類のものは前に妹代行サービスを利用した際、ベッドの下に隠していたのだが、まさかコイツが自主的に掃除なんてし始めるとは……。完全に油断してた。


 本棚をちゃんと見れば、ライトノベルや一般漫画に並んで成人向けマークが記された背表紙が丁寧に並べられている。主に妹モノが……。


「安心して。中身までは見てないから」


 気が気でない俺の胸中を察したのか、悠里がそう口にする。

 いや、表紙やタイトルを見られた時点でもうどうしようもないわけだが。まあ内容を読まれなかっただけ救われたと思っておくことにしよう……。


 俺は冷や汗が背筋を伝うのを感じながら姉に視線を向ける。


「こ、これ。トモダチが置いてったヤツだから……。お、俺のじゃないから……」


 桜庭以外に友達と呼べるような親しい人間は一人もいないし、家に姉や桜庭以外の人を上げたこともないが、葉山先生からの支給品なので嘘ではない……。


「はいはい。わかってるわよ」


 なにか察していそうな顔で大人な対応をされてしまった。

 まあ妹代行サービスを利用している時点で、今さら性癖がバレたところでどうでもいいんじゃないかとすら思えてきた。


 数分後。いくらか冷静さを取り戻した俺はこほんっと咳払いをして話を切り出す。


「あーっと。予定通りマリーさんのところに行くけど。どうだ、準備はできたか?」

「う、うん。あたしの口から直接オーナーに謝らないと……」

「そうだな。俺も一緒に謝ってやるから、あんまり気負うなよ」

「湊斗……。アンタ、実は良いヤツ?」

「ああ。実はな」


 そう言って、クスクスと笑い合う。少しは緊張がほぐれたのかもしれない。


 悠里は何度も警察署に掛け合ってくれていたマリーさんに対して罪悪感を感じているのだろう。自分の知らないところで、周りの人間がいろんなところに働きかけてくれていて。それに気付いた悠里はずっと言い出せなかったんだ。


 でも、だからこそちゃんと自分の気持ちを伝えてほしい。

 それでもし姉が誰かに詰られようとも俺だけは姉の味方でいたいと思った。

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