第27話『あたしの胸を110円にするなッ!!』

 アパートの二〇一号室。狭いワンルームにシャワーの水音が鳴り響いていた。


 姉を家に上げるや風呂を貸せと言われ、相当体が冷えていたみたいだし仕方なく貸してやることにしたのだが……風呂の音ってこんなに聞こえるのな。

 今まで一人だったから全然気付かなかった。今後、鼻歌は控えよう……。


 姉が風呂に入っているからと言って欲情なんてするはずもなく、ダラダラとウマ彼女の育成でもしながら待っていると、ふいに洗面所から声が聞こえてきた。


「湊斗ぉ~、服貸してくんない?」

「なんでだよ。さっき着てた服着ろよ」

「もう洗濯機に入れちゃったの」

「おい、まだ泊めるとは言ってねぇぞ!」


 外だと風邪ひくし、ご近所迷惑になるからとりあえず中に入れと言っただけだ。

 とはいえ、裸で出てこられても困るので俺は仕方なくベッドの下にある収納ボックスから服をあさり、無難に上下セットのジャージを引っ張り出して洗面所に持っていく。


「……男用だから少し大きいかもしれないけど、文句言うなよ」

「ん、ありがと」

 にょきっと扉の隙間から腕が伸びてきたのでジャージを手渡した。


 それからベッドに戻って再びウマ彼女をレースに参加させていると、建付けの悪い洗面所の扉がきっかいな音を立てて開かれる。


 悠里がホカホカと湯気を伴い、濡れた髪を乾かしながら出てきた。

 そんな無防備な姿を目の当たりにして俺は眉をひそめる。


 メイクが取れて普段の気が強そうな印象が鳴りを潜めた童顔、火照った頬、艶やかな濡れ髪、体のラインが強調されたジャージ姿――そんなものはどうでもよくて。


 そんなことより……俺のジャージ、サイズぴったりじゃねぇかッ⁉ なんか、なんか……姉と服のサイズが同じってことに男としていろいろ複雑な気持ちになりました。 

 あまつさえコイツは胸を抑えてなにやら不満そうに愚痴をこぼしやがった。


「この服、ちょっと小さくない? 特に胸の辺りがキツイんだけど……」

「うるせぇ! 一〇〇均のプラスティックまな板がァ‼」

「んなァ、そこまで薄くないわ⁉ それにあたしの胸を一一〇円にするなッ‼」


 ピキピキッと青筋を立てた姉にタオルをぶん投げられた。

 どうやらコイツはそのつつましやかな胸がコンプレックスなようだが、それと同様に俺だって体が小さいことを気にしているんだ。

 高校生にもなって、姉と服のサイズが同じだなんて屈辱的だった。


「――俺は育ちざかりなんだッ! 半年後には見下ろしてやるからな‼」

「な、なによ。急に……」


 悠里は「また変なこと言い出した」とでも言いたげにため息を吐き、俺の手からタオルをひったくる。そのまま洗面所に戻って、ブオ~とドライヤーで髪を乾かし始めた。


 しばらくして、洗面所から出てきた悠里がキッチンの方からこちらに視線を向けてくる。


「なんか食べる?」


 そう言いながら、悠里はキッチンの方にまとめて置いていた荷物をあさった。

 その中には食材が入ったエコバッグもあったらしい。勝手に触るのも良くないと思って触れなかったが、言ってくれれば冷蔵庫に移しておいたのに。


 というか、完全に料理上手なヤツが言うセリフだったけどコイツは料理がド下手だ。このまま任せっきりにしたらセミの抜け殻が入った紫色のシチューを煮込みかねない。


「お、俺も手伝うよ。いや、手伝わせてください……!」

「え、まあそれは助けるけど。……どういう風の吹き回し?」

「命を守――じゃなくて。べ、別に気が向いただけだ」

「あっそ」と、悠里は怪訝な顔をしながらも納得してくれたみたいだ。


 これでひとまず命の危機に晒されるような毒物は生まれないだろう。とはいっても俺だって料理ができるわけではないし、初心者でも出来る簡単なものがいいんだけど。


「材料はなにがあるんだ?」

「えーっと。玉ねぎとピーマン、ソーセージに、あと卵」

「もしかして料理のレパートリー、オムライスしかないの?」


 なに食べるか、聞いてきたわりにオムライスで決まってんじゃねぇか。

 俺が湿っぽい視線を向けると、悠里はむすっとしながら横目で睨み付けてくる。


「バカにしてる? 他にもカレーとかハヤシライスとか、シチュー系ならなんでも作れるから」

「ルー入れるだけで成立するようなものばっかじゃねぇか!」


 まあ、そっちの方が大体の味は保証されるから安心だけどな。


「ところで、今回はなぜオムライスをチョイスしちゃったんだ……?」

「なによ、その嫌そうな顔……」


 悠里は「ふんっ」と仏頂面を浮かべながら髪をひとつに束ね、ジャージの袖をまくった。


「前は失敗しちゃったけど。今日こそは絶対に『美味しい』って言わせてやるからっ!」


 俺が「不味い」って言ったのを根に持ってやがったのか。

 だが、負けず嫌いなコイツらしい。


 俺はニヤリと口の端を持ち上げ、悠里に倣って袖をまくり上げる。


「今日は俺が手伝うから前回みたいな悲惨なことにはならねぇよ」

「普段ロクに料理なんてしないくせに。どこから湧いてくるのよ、その自信は……」

「お前に言われたくねぇ!」




 俺たちはまず手をキレイキレイしてから、具材を切り始めた。


 ザクザクと、素人目にもわかるほど危なっかしい手付きで野菜を切っていた悠里から包丁を奪い、俺が玉ねぎを担当することになった。


 たしか、玉ねぎのみじん切りにはコツがあるんだ。

 まずは玉ねぎを半分に切り、平らな面を下にして端から繊維に沿って切り込みを入れていく。

 玉ねぎの繊維をよく見ながら集中し、ス~~~ッと包丁を落とした。


「ひゃ~! 危なっかしいわね。手は猫の手! 小学校の家庭科の授業で習ったでしょ?」

「わ、わかってるよ」


 言われたとおり猫の手を作って端から端まで切り込みを入れると、今度は玉ねぎを半回転させ、横に包丁を入れていく。


 ここは少し難しいから慎重に……。


「うわっ! そんなふうに切ったら危ないじゃない!」

「…………」


 無視して続ける。


「いやぁー‼ なんでそんな切り方するの⁉」

「…………」


 無視だ、無視……。


「みじん切りって知ってる?」

「あーもう、うるっせぇな! 玉ねぎにはコツがあるんだよ。集中してるから黙っててくれ!」


 はぁー、と深くため息を吐いてから再び玉ねぎを睨み付けて包丁を入れていく。

 よしよし、あとは縦に包丁を入れればみじん切りになっているはずだ。


 少し肩の力を抜きつつも慎重に切り刻んでいく――。


「ぐわァ……⁉」

「な、なにっ⁉ 手切った? すぐに見せなさい……や、無理。やっぱ見たくない!」

「――目が、目がァ~~~‼」


 突如、眼球にとてつもない痛みが走った。

 玉ねぎの汁が目に入ってしまったのだ。

 俺は急いで水道をひねり、目を洗いながら悠里に遺言を告げる。


「すまん。俺はどうやらここまでだ……。お、お前の手で、玉ねぎをみじん切りにしてやってくれないか……」

「――ギャー、目がァ~~~‼」

「いや、お前もかよッ……‼」


 そんなこんなで、ギャーギャー喚きながらもなんとか野菜を切り終え、オムライスを作っていくのだが。これがなんとも大変な道のりだった。


 本当に、本当に……。

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