第22話『お姉ちゃんって案外大変なんですよ』

 妹代行サービスのホームページから事務所の住所を確認し、バイト先から電車で二駅隣のネオン街に訪れた俺はその辺境に位置する雑居ビルまで駆けつけた。


 どうやらこのビルの二階に事務所が入っているらしい。


 事務所の前で、スマホの通話履歴からマリーさんに電話をかける。そして、『雑居ビルの手前にある公園で待っているから』と伝え、遊具の少ないさびれた公園のブランコに腰掛けた。


 今のテンション的にマリーさんと直接会うのを避けたかったのだ。


 ゆらゆらとブランコを揺らす。ふいに点滅する電灯がジリジリと音を立てた。

 コートの襟を手繰り寄せ、身を縮めながらぼーっと物思いに耽っていると観覧車で聞いた姉の言葉が脳裏に浮ぶ。


 ――やりがいがあると思ったから。


 アイツは妹代行を続ける理由は『やりがいがあるから』と、そう言った。

 しかし、この仕事を続けるにあたって常に危険性がつきまとうのもまた事実だろう。


 実際ハッピーアニマルパークの帰り際にあんなことがあったわけだし、ストーカー被害に遭っているというのも気になる。


 やっぱりなにか大変なことが起こる前に辞めさせるべきなのだろうか。


 だが、それとは裏腹にほんの数日前までは思いもしなかった――このまま妹代行を続けてほしいという感情が混在していた。


 以前の姉とは違うと一緒に遊園地に行って気付いたのだ。

 きっとアイツが変わったきっかけは『妹代行サービス』なのだろう。


 だから、もしかしたらと期待してしまうのだ。


 そんなジレンマにさいなまれていたとき。

 ふいに視界が暗闇に包まれる。同時にひんやりとした感触にまぶたを覆われた。


「だーれだ。と、思いますか……」

「途中で恥ずかしくなるくらいなら初めからやらない方がいいと思うぞ、

「そ、そうですよね。すいません……」


 振り返れば、予想通り桜庭さくらば朱夏しゅかの姿があった。


 学校指定の紺色の制服の上にトレンチコートを羽織り、暖かそうなマフラーを首に巻いている。マフラーの中からひょこっとイヤホンが顔を出していた。


 気恥ずかしくてつい突き放すような言葉をかけてしまったが、心なしかしゅんとして見える桜庭の姿を見ると罪悪感を感じてしまう。


「いや、別にいいけど。こういうのって最近見ないと思ってさ」

「そう、なんですか? 友達同士では鉄板のコミュニケーションだと聞いたのですが……」

「どこ情報だよ⁉ 友達同士ってよりむしろ――」


 そこまで言いかけて。無意識にものすごいことを口走りそうになったことに気が付いて、咄嗟に口をつぐんだ。

 だが、隣のブランコに腰を下ろした桜庭が純粋な目でじっとこちらを覗き込んでくる。


「むしろ、なんですか?」

「いや、その……。恋人同士みたいって言うか……」

「な、なるほど……。以後気を付けますね……」

「ああ。ぜひそうしてくれると助かる……」


 危うく勘違いしてしまう可能性があるからな、おおいに。

 俺はこの場から逃げ出したくなるような居たたまれない雰囲気に耐え兼ね、ふいっと桜庭から目をそらした。ひんやりとした風が頬をかすめて全身にこもった熱が冷めていく。


 少し落ち着きを取り戻し、俺は自然体を装って声をかける。


「バイト終わりか?」

「はい、これから帰るところです。小森君はユリ先輩を迎えに来たんですよね」

「まあ、しぶしぶな」


 ポリポリと頬をかきながら、ちらと桜庭に視線を移すと視線がかち合ってしまう。

 すると桜庭はどこか穏やかな表情を浮かべていた。


「お姉さんと仲直りしたんですね」

「いやぁ……。まあ、どうなんだろう」


 俺は曖昧な態度で返すことしかできなかった。

 正直なところ、自分でもよくわからないのだ。

 ハッピーアニマルパークでの一件以来すっかりわからなくなってしまった。


 アイツがなにを考えているのか、自分が一体なにをどうしたいのか。見失ってしまったのだ。


 そんな俺の苦悩を悟ったかのように桜庭がぽつりと呟く。


「……きっと、単純なことなんですよ」


 澄んだ冬の夜空を見上げる綺麗な横顔を眺め、俺は無言のまま耳を傾ける。

 桜庭はうれわしげに白い息を吐き、どこか儚げな雰囲気をまとっていた。


「大切なものを大切と思うほどいろんなものが邪魔をして、いつの間にか本当の気持ちがわからなくなってしまうんです。きっと単純なことなのに。まるで難解なミステリーみたい」


 隣のブランコがゆらゆらと揺れ、桜庭はなおも遠くの景色を眺めていた。

 その横顔に見とれていると、ふいにこっちに振り向いた桜庭が照れたようにはにかむ。


「まあ、全部私のことなんですけどね」


 彼女の言葉にはやけに重みがあるように感じた。

 そう感じたのは、俺がこの子を心から尊敬できると思っているからだろう。


 だから、俺は不覚にも彼女にこんなことを聞いてしまったんだ。


「桜庭は弟や妹が嫌になったことってあるか……?」

「嫌になったことですか? もちろん、疲れているときや落ち込んでいるときには辟易へきえきすることだってありますよ。でも、心から嫌だって思ったことは一度もありません」


 その返答は桜庭の一個人としての回答でしかないことは承知の上だ。

 でも、その言葉に少し力をもらえた気がする。


 アイツがどうなのかは知らない。

 だが、今はそれが知れただけでも充分だった。


 ふとブランコからぴょんと飛び降りた桜庭が正面からこちらを覗き込んでくる。腰に手を当て、ズビシッと人差し指を向けてきた。その佇まいにはどこかいたいけな雰囲気がある。


「私も一人のお姉ちゃんとして言わせてもらいますけど。お姉ちゃんって案外大変なんですよ。理不尽だと思うことだってありますし、我慢することだってたくさんあります。でも、二人が幸せならまあいいかって不思議と納得できちゃうんです」


 桜庭が諭すような態度を崩し、穏やかな笑みを浮かべた。


「きょうだいってそういうものなんじゃないですか?」

「……そうかもな」


 俺は少し昔のことを思い出した。




 ――昔から姉とはしばしば喧嘩していた。だけど少し時間が経つと、仲直りしたわけではないのに、いつの間にかいつも通りになっているんだ。


 まあいいか、って。幼いながらもそこには相手を理解しようとする心が少なからずあって。結局のところ、姉がどういう性格かわかっているからこそ納得できていたんだと思う。


 今までは意識しなくてもできていたことなのに。


 一体いつからだろうか。それができなくなったのは……。


 俺は本当に悠里を理解しようとしていただろうか。なにも知らず、理解すらしようとせずに勝手に裏切られた気分になっていただけなんじゃないか。


 そんな疑念が重く心に覆いかぶさった。




 ふいにブランコを囲った柵に寄りかかった桜庭が、思い出したかのようにトンと手を打った仕草に俺の意識は引き上げられた。


「そういえば、私たち友達なのにまだ連絡先を交換していませんでしたね」

「たしかにそうだったな」

「よ、良かったらですけど……。ライン、交換していただけませんかっ?」


 桜庭がスマホで口許を隠しながら躊躇いがちに聞いてくる。

 もっと普通に言ってくれればいいのに。変に意識してしまうだろ……。


「あ、ああ。もちろん!」


 俺は平静を装いながらこくりと頷き、慌ててスマホを取り出した。


 あれ、ライン交換ってどうやるんだっけ? あんまり経験がないからわからん。ああ、たしかQRコードを読み取るんだったか……?


 桜庭も慣れていないらしく、二人してあたふたしながらもなんとか交換することができた。

 俺は友達リストに追加された音符のアイコンに視線を落としながら戦慄する。


 じょ、女子のラインだ……。女子のラインを入手してしまった……。


 そして、真正面にはスマホを頭上に掲げてフルフルと震えながら感激している女子がいた。


「つ、ついに友達のラインを入手してしました……」


 そんな桜庭をよそに、俺はトーク画面を開いて淡い水色の背景とにらめっこする。


 最初に送るべきメッセージってなんだ? 『よろしく』でいいのかな。いや、普通すぎてブロックされそう。ああそうだ。こういうときのためのスタンプじゃないか。なるほどな、最初のメッセージでいかにユーモアのあるスタンプを送れるかで今度の関係性が決まるってわけだな。またひとつことわりを理解してしまった。


 しかし一体どのスタンプを送れば……?


 しばしの葛藤の末。結局、初期装備のスタンプしかなかったためシンプルに『よろしく』とだけ送ることにした。『シンプルイズベスト』という名言を思い出したのだ。


 すると、『よろしくね♪』と書かれたピアノのスタンプが返ってきた。


 でもよく考えれば、目の前に本人がいる状態でわざわざラインで送る必要なんてあったのかな。いや、ライン難しくね……?


「じゃあ、そろそろ帰りますね」

「ああ。気を付けてな」

「はい。またラインします!」

「お、おう……」


 なんか今の会話、恋人同士みたいでついドキッとしてしまった。

 まあ、向こうは友達同士の会話としか思っていなさそうだけど……。


 桜庭を見送った後。ラインのトーク画面に視線を落とし、軽く小躍りでも始めようとしたとき。桜庭と入れ違いで、公園の入り口から人影が入ってきたのが見えた。

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