第18話『――ねぇ、最後にあれ乗ってかない?』

 今回の作戦で、姉を呼び出すために利用したプレミアムプランは『妹とイチャラブデート』を始めとしたいくつかの限定オプションが選べるだけでなく、単純にレギュラープランの所要時間が二時間なのに対してプレミアムプランは倍の四時間になっている。


 現在の時刻は午後一時二〇分。午前十時から開始したため、午後二時ごろに終了のアラームが鳴るとして、サービス終了までは残り四〇分程度と言ったところだろう。


「ジェットコースターを降りた時点では確かにあったんだよな?」

「うん。ちゃんとあったはずだよ」

「一応、今日乗ったアトラクションはひと通り確認したしな。となると、移動中に落としたか誰かに拾われた可能性が高いよな」


 後者の場合、相当なお人好しでもないかぎり道端に落ちているストラップをわざわざ係員を探してまで届けたりはしないと思うし、前者でもこの広いテーマパークで落としたストラップを探し出すなんて砂漠で針を、とまではいかないまでもかなり難しいだろう。


 せめて、なにか手掛かりでもあれば探しやすいんだけどな……。


「とりあえず、今日歩いた導線に沿って探してみるしかなさそうだな」


 今の俺たちにできることは地道に探すことだけだ。

 そうして、俺たちはお化け屋敷からジェットコースターまでの道のりを引き返し、見落としがないよう隈なくアラ太くんのストラップを探し続けた。




 ――ピピピ、ピピピ。


 二人で足元に注意を払いながらひたすらストラップを探していたとき。ふいに悠里のスマホからアラームの音が鳴り響いた。妹代行サービスの終了を告げる音だ。


 あれから、しばらく二人で探し続けたが結局見つからなかった。


 アラームが鳴った瞬間。目を伏せたまま小さな吐息を漏らした悠里だったが、次に顔を上げたときにはどこか清々しい表情を浮かべていた。


「まあ、無くなっちゃったものは仕方ないよ」


 その無理やり作ったような笑顔を見過ごすことはできなかった。

 思わず言うつもりのなかった言葉が口をついて出てしまう。


「本当にいいのか?」

「うん。さっき落とし物センターの人が見つかったら連絡してくれるって言ってたし。あとは係員さんに任せようかな」

「そうか。……悪いな」

「なんでアンタが謝るのよ。むしろありがとね、一緒に探してくれて」


 その笑顔に返す言葉が見つからず、俺は黙り込んでしまった。


 そのまま俺たちの周りだけが周囲から切り離されたように。賑やかな遊園地には似つかわしくない静寂に包み込まれてしまう。


 その空気を切り裂くように悠里がポツリと口にした。


「――ねぇねぇ、最後にあれ乗ってかない?」


 悠里が指さしたのは大きな観覧車だった。


 しかし、すでに妹代行サービスの所要時間は終わったはずだ。


「時間。もう終わっただろ」

「いいよ。ちょっとくらいサービスしてあげる」

「えらく上から目線なんだな」

「そう? 時間外労働なんだからちょっとくらい雑になっても仕方ないじゃない?」

「お前社会ナメくさってんだろ……」

「他の人にはしないわよ。アンタだから特別」

「悪い意味での特別なら遠慮します」

「返品不可よ。さ、早く行こ!」


 なかば強引に悠里に連れられて観覧車の真下まで来ると、相変わらず長い行列ができていたものの、案外すぐに観覧車に乗ることができた。

 一定の間隔で回り続ける観覧車は他のアトラクションに比べて回転率がいいのかもしれない。


 ゴンドラに乗り込み、向かい合うように腰を下ろすとスタッフの人が扉を施錠せじょうする。


 そして狭い空間で、俺と悠里の二人きりになった。


 もしこれが恋人や恋人になる可能性のある女の子と二人きりだったりしたらドギマギしたりもするのだろうが、これが実の姉だとただ気まずいだけだと思い知る。


 あまり深く考えずに観覧車までついてきてしまったが、間違いだったかな……?


 お互いに一言も言葉を発することはなく、遠くの景色を眺め続けていた。

 ほどなくして、半分くらいの高さにまで到達したころ。今まで黙り込んでいた悠里がぽつりと言葉を吐き出した。


「そういえば高いところ、怖くないの?」

「ああ。別に高所恐怖症ってわけじゃないからな」


 ただ、絶叫マシンと呼ばれるものが人よりもちょびっとだけ苦手なだけだ。大体、『絶叫マシン』って名前からして好きになれる要素なんてないだろ。


 俺が端的な言葉で返すと、悠里がまたしても外の景色に視線を移した。


「そう……」と、掠れた声が聞こえてゴンドラ内が再び静寂に包まれる。

 俺も特に話すことがなく、窓の外に視線をやった。


 張り詰めるような静寂。だがその静けさが逆にどこか心地よいと感じた。

 そんなことを思って、俺はふと気付く。


 ――いつしか、コイツと同じ空間にいることに慣れてしまっていることに。


 以前のように顔を見るだけで虫唾が走ることもなければ、ストレスや緊張を感じることもない。今はいたって自然体でいることができた。


 なぜ、と疑問を浮かべる前に得心がいく。

 いつの間にか、コイツに対する嫌悪感が薄れていたんだ。


 どうしてだろうと考えれば、ニパターンの考察が浮かんできた。


 一つは、コイツを自分とは関係のない人間だと割り切ったから。初め桜庭に対して別の次元に生きているように感じ、親近感が湧かなかったのと少し似ている。


 そしてもう一つは、非常にしゃくだが俺がコイツのことを認めてしまったということだ。ここ最近、十数年も一緒に暮らした姉の知らない部分をいくつも見たような気がする。


 俺は、コイツがあんなふうに笑うなんてずっと前に忘れていたんだ。

 コイツが一生懸命頑張っているところなんてしばらく見ていなかった。

 そもそも、コイツが頑張り屋だなんて知っていただろうか。


 いろんな姉の姿を見て、俺はどこかで薄々気が付いていたものを認めざるを得なくなってしまったんだ。こんなこと、ずっと一緒にいたらわからないままだった。


 でもたった一つだけ。どうしてもわからないことがあった。

 それを問うため、口を開いた瞬間――。


「――あー……」

「――あの……」

 声が重なってしまった。


 悠里が小さく首を振って、発言権をこちらに譲ってくる。

 それを受けて、俺はゆっくりと口を開いた。


「ずっと気になっていたんだ。……お前が、なんのためにこの仕事を続けているのか」


 俺の疑問に悠里はわずかに目を瞠った。


 桜庭とは違って、実家暮らしの女子大生であるコイツがハードワークで効率的な稼働を求める理由とはなんなのだろう。それは苦手な家事を克服し、オタク文化への嫌悪感を抱きながら、大嫌いな弟にもてあそばれてまで続ける理由に値することなのだろうか。


 その原動力は一体どこにある?


 悠里はギュッとスカートの裾を握った手に視線を落とし、しばし黙り込んでいた。

 考え込むような間を取って、ようやく顔を上げる。


「――やりがいがあると思ったから」


 その言葉は簡単なようで、かなり意外なものでもあった。

 俺の知っている姉からは想像もできないような発言だったのだ。


 正直聞きたいことはたくさんあるけれど、これ以上聞こうとは思わない。

 そのまま静寂の中で遠くの景色に視線を移すと、向かいに座る悠里が小さく呟いた。


「もうすぐ頂上だね」

「ああ。……そうだな」


 頂上には一体どんな景色が広がっているのだろう。

 今見える景色とは違う格別なものが見られるのだろうか。それとも、さほど変わらない景色にがっかりさせられるのかもしれない。


 柄にもなく、先のことを考えながら俺は深くため息を吐いた。

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