第15話『ぜ、絶対に放さないでね……』

「――って、普通に満喫してんじゃねぇーッ⁉」

「ど、どうしたの。急に叫んで……?」


 悠里がのんきにソフトクリームを舐めながらいぶかしげな視線を向けてきた。


「だから、遊ぶためにわざわざこんなところに来たわけじゃないんだよッ!」

「そーなの?」


 きょとん、と首をかしげて疑問符を浮かべていそうな顔をする悠里。また変なこと言い出したよ、とでも思っていそうだ。


 思わず叫んでしまったが、例の作戦を悟られるわけにはいかなかった。

 おほんおほんっ、と誤魔化すように咳払いすると、ふいに不気味なオーラをかもくらのような建物が目に留まる。よく見れば、お化け屋敷の看板がでかでかと掲げられていた。


 たしかここのお化け屋敷は全国的にも有名らしく、かなり恐いとの噂をSNSで拝見した。


 俺がお化け屋敷の方に視線を向けていると、隣を歩く悠里もその不気味なオーラに気が付いたらしい。隣から小さな悲鳴を聞こえた。

 そのバツの悪そうな顔を見て、ビビッと俺の邪悪な心が反応する。


「さて、次はあれだな」

「え、えぇー……」

「なんだ、まさか恐いのか?」


 俺が大げさな身振りで煽りの視線を向けると、悠里はむっと眉根を寄せる。


「そ、そんなわけないでしょ!」

「じゃあ決まりだな。行ってみようぜ」

「ぜ、全然余裕なんだから……!」


 自分に言い聞かせるように意気込む悠里をよそに、俺はお化け屋敷の入口から伸びる行列へと先導した。この反応からして、どうやらコイツは心霊系が苦手っぽいな。


 そういえば昔、夏休みにテレビで放送していた心霊番組を観て泣きじゃくっていたことがあった。たしかその後、一人じゃ眠れないから一緒の布団で寝てくれって頼まれたっけ。……まあ、そんな話はどうだっていい。


 それより、これは絶好のチャンスである。


 これまで作戦はことごとく失敗に終わり、散々な結果だったし。こうなりゃ腹いせだ。作戦とはまったく関係ないが、どうにかしてコイツにぎゃふんと言わせてやりたい!


 ふいにお化け屋敷の中から甲高い悲鳴が聞こえてくると、隣に並ぶ悠里がビクッと体を跳ねさせた。そこから列が進むにつれてどんどん顔色を変え、心なしかブルブルと震えている気がする。


 列に並び始めてから十五分ほどすると、ようやく俺たちに順番が回ってきた。


「ひぃ……。なんであんなこと言っちゃったんだろ……」

 よく聞き取れないが、なにやらブツブツと念仏じみた独り言を吐いている。


 俺は明らかにふるおののいている悠里にニヤッと軽薄な笑みを浮かべ、手を差し出してやった。


「――手つないでやろうか?」


「う、うん……」

「え、あっ、ちょッ……」


 さっきの仕返しとばかりに皮肉を込めて言ってやったものの、ほとんど手ごたえはなく。むしろ悠里は弱々しく頷いて、みずからギュッと手を握ってきた。

 そこに普段の強気な雰囲気はなく、かえって俺の方が動揺してしまう。


 ほどなくしてスタッフの人に促され、俺たちはお化け屋敷の中に足を踏み入れた。


「ぜ、絶対に放さないでね……。放したら蹴るからね……」

「あ、ああ。わかってるよ……」


 なんだか物騒な言葉が聞こえて、俺は素直に頷くしかなかった。

 多分、今のが一番の絶叫ポイントだったんじゃないか……。


 ふっと入口の遮光しゃこうカーテンが閉ざされると、真っ暗でなにも見えなくなった。

 俺たちは壁伝いにゆっくりと廊下を進んでいく。

 次第に空気がひんやりとしてきたような気がする。


 と、そのとき――。


『だ、誰かァ……助けてぇ……』


 ふいに消え入りそうな女性の声が聞こえてきた。


「――ひゃああああああっ⁉」

 咄嗟に悠里が大きな悲鳴を上げてギュッと腕に抱きついてくる。

 その声に驚いて、俺までビクッとしてしまった。


 いや、ビビりすぎだろ……。よくあるパターンじゃないか。こんな挨拶代わりのジャブトラップごときにこんだけ驚いてたらこの先もたねぇぞ……。


 俺は今にも蹲ってしまいそうな姉を多少強引に引っ張りながら先を進んだ。

 すると、床に四肢を投げ出して壁にもたれかかっている女が廊下をはばんでいた。


 これ絶対前を通ったら脅かしてくるやつだ、と思いながら俺の胸板に顔を寄せ、目をつむっている悠里に声をかける。


「出口あったぞ」

「え、もう?」


 簡単に俺の嘘に騙されて、目を開けた悠里は廊下を阻む女の姿を視認して――。


「いィやァああああああああ死んでるぅううううううっ⁉」

 大げさなくらいの悲鳴を上げた。


 ホントにいい反応してくれるけど、逆にここまでビビられるときょうめしてくるな……。

 アレだ、自分よりビビってる人がいたら逆に冷静になってくるアレ。


 むしろコイツの悲鳴にお化け役の人がビクッと肩を跳ねさせていた。


「やだァああ~~~。もう無理ィいいい~~~っ!」

「いや、まだ入ったばっかりだろうが。ほら行くぞ」

「うぅ、怖いよぉ~……」


 まだ序盤も序盤。ほとんどなにも起こっていないのにこの有様である。

 すでに悠里は半泣き状態だった。


 俺はしゃがみ込む悠里を立ち上がらせ、廊下に倒れている女をまたいで進んでいく。

 そして案の定、女がガバッと起き上がった。


『立ち去れぇええッ‼』

「ぎいやァあああああああああああああああ――ッ⁉」

 自動車のスリップ音みたいな奇声が館内に響き渡り、悠里は両手を頭上に挙げて走り去ってしまった。その場に取り残された俺はお化け役の女性と顔を見合わせる。


 姉のあまりのビビりっぷりにお化けがちょっぴり引いていた。


 や、ほんとに立ち去っちゃったよ……。


「な、なんか、すんません……」


 俺はなんとなくお化け役の人に謝ってから姉を追いかけた。


「おーい。どこだ、悠里―っ!」


 もう出口まで走り抜けちゃったのかな?


 そう思って進んでいくと、ふいにしくしくとすすり泣くような声が聞こえてくる。


 お化け屋敷の仕掛けか、と思ってようやく暗闇に慣れてきた目で声の方を見れば、フリフリのゴシックロリータにツインテールの女が曲がり角で壁に向かってうずくまっていた。

 こんなサブカルチャーに染まったのっぺらぼうなんて知らない。


 まったく、困った姉だな……。


 ここまでビビられると、さすがに多少なりとも罪悪感が湧いてくる。

 俺はポリポリと頬を掻きながら小さく丸まった背中に声をかけた。


「あー、なんだ。その、悪かったよ……。まさかここまで苦手だとは思わなかったんだ」

「――怖い怖い怖い怖い」

「って、全然聞いてないし……」


 悠里が耳を塞いで蹲っているせいで、俺の声は届いていなかったようだ。

 俺はその情けない背中を見て、思わずため息を吐いた。


 たしかリタイヤ用の出口がすぐ近くにあったはずだ。もうこれ以上は続行不可能だろう。


「おい、リタイヤするぞ」と、言いながら姉の肩に手を置いた瞬間――。


「いやァあああああ来ないでぇえええええええええッ‼」


 途端に視界がスローモーションに見えた。

 耳を塞いだまま勢いよく立ち上がった悠里が器用に体をくるりと回し、気が付けばものすごい風圧とともに目前まで厚底のローファーシューズが迫っている。


「え?」


 ――ドゴォッ。


 除夜の鐘のごとく。顔面に丸太を叩きこまれたかのような衝撃を受け、気付けば俺は朦朧もうろうとした意識の中で薄暗い天井を眺めていた。


 お、お前……。もし俺じゃなかったら大変なことになってたぞ……うぐっ。




 そして俺の意識はそこで途切れた――。

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