ヒナトリ・アンティーク

ましさかはぶ子

◇ヒナトリ・アンティーク◇  (1)




「マダム、このメダイオンはいかがでしょう。」


ヒナトリは金色の円形のペンダントトップを取り出した。


「中のメダルはアンティークです。

周りの枠は後からつけられたものですがかなりの細工です。」


落ち着いた色の木造りの店内には夕方近くの光が柔らかく入り込む。

外からは微かに街の喧騒が聞こえるがここは別世界のようだった。


いくつかアクセサリーが並んだディスプレイを前にヒナトリは客を見た。

品のある作りの良いワンピースを身に付けた婦人だ。

そしてヒナトリは山のように堂々たる偉丈夫だ。


「ユリの花の文様ね、聖母マリア様の象徴だわ。」

「ええ、宗教的意味もありますが、

美術品としてとても価値があり美しいものです。」


ヒナトリはメダイオンを見る。

黒髪に碧い瞳。

濃い睫毛が頬に影を落とす。

どこの国の出身か分からない不思議な容貌。


肉厚の大きな手のひらに乗るメダイオンがとても小さく見える。

顔をあげてヒナトリはそれを彼女に渡した。


「少し重いわね。」

「ええ、金ですから。」

「身に付けると気になるかしら。」

「どうでしょうか、でもこれはマダムの元に行きたがってますよ。」


彼女はほほと笑った。


「お上手だこと。」

「いえ、セールストークではありませんよ。

多分このメダイオンを大事にすればあなたは幸せになれる。」


ヒナトリと彼女の目が合う。


「……そうかしら。」

「ええ、保証します。」


ヒナトリの目は澄み優しく微笑んでいた。




「売れたの?ヒナトリ。」

「ああ。」

「商売上手だネ。」

「打算じゃねぇよ、ペリ。」


ペリと呼ばれた男がティーカップを片付けた。

ヒナトリぐらいの背丈だがこちらは細身の優しげな顔立ちだ。

金の瞳と金髪の巻き毛が可愛らしい。


「あのメダイオンはあのマダムに一目惚れしてたのさ。

依頼主の奥さんに似てるってさ。」

「メダルの?何年ぐらい前?」

「五百年ぐらい前。どこかの商家の旦那に頼まれて作られたものだ。

作った職人がそこの奥方に一目惚れ、でも叶う訳はないし。」

「今日のマダムも大金持ちの奥様だよネ。」

「ああ、でも旦那様は結構遊んでいるみたいだし寂しい人だよ。

でも上手い事行けばメダイオンの思いが彼女を変える。」


ペリはヒナトリを見た。


「でも生活に満足しちゃったら

しばらく彼女はお店には来ないかもネ。」


ヒナトリはやれやれと言った様子で手を広げた。


「まあここに来ていたのは彼女には暇つぶしだったし仕方ないさ。

俺の仕事はちょいボランティア的部分があるからな。

それに……。」

「高い車一台ぐらい買える値段だったネ。」

「ギブアンドテイクさ。

ところでさっき新しいものが届いたか。」


ペリは店の奥から荷物を持って来た。


「相変わらず万年青おもとは仕事熱心だネ。」


中にはいくつか丁寧に包まれたアクセサリーボックスがあった。


「おっと、これは。」


ヒナトリは小さなリングケースを取り出した。


「これはいけない。」


中を開くと大き目のエメラルドの指輪があった。


「これは血を被ってる。しかも盗品。まずいなあ。」


見た目には普通の指輪にしか見えない。


「ヨーロッパの貴族のものかな。

元々石がどこかから盗まれて加工されたみたいだ。

その後持ち主が殺されて盗まれたんだな。盗まれ癖がついてる。

万年青からなにか書付はあるか?」


ペリは用意してあった書類を見た。


「一応オークションで手に入れたみたいだヨ。

どこかのお金持ちが亡くなってその財務整理のオークションだって。」

「ふうん、そうか、ずっとしまい込まれていたんだな、お前。

どこか良い所を探してやるよ。」


ヒナトリは指輪を手のひらに包みその中にふうっと息を吹き入れた。

すると指の間から灰の様なものがさらさらと落ちた。

差し込んだ日の中でその灰はきらめきながら消えていく。

そして手のひらを開くと心なしかエメラルドの色が

鮮やかになっている様だった。


そしてヒナトリは石を包んだまま目を閉じた。


しばらく彼はそのままだった。

ペリは近くに座りその様子を見る。

彼を興味深く観察しているようだった。

すでに黄昏の光はなく小さなランプの明かりが鮮やかに見えた。

街中の喧騒が夜の響きになっていた。


そして彼が息を吐いた。


「分かった、お前は帰りたいんだな。」

「なんか分かった?」

「インド辺りかな、どこかの寺院に奉納されたものらしい。

そこから盗まれたんだ。」


ヒナトリは石を元に戻した。


「どこだか分からないがそこに近い場所に売るか、

縁のある人間を呼んでみよう。それまで待つんだぞ。」


子どもに諭すようにヒナトリは優しく呟いた。


「しかしまあ万年青も何かしら抱えたものを探すのが得意だな。

何もないまっさらなものを買い付けろと言わなきゃならん。」


ペリは面白そうに笑った。


「ふふ、ボランティア、だね、ホント。

宝石の曰くとか物のそう言うのが読めてついつい助けちゃう。」

「まあ、俺はもともと癒しのたちだからな。

逃げ回っても結局何かが付いてくる。無視しても悪さされるだけだし。

それなら最初から助けてやって少し儲けさせてもらう。」

「そう言うちゃっかりしたトコ、ボクは好きだよ。

ところで夕飯何にする?」

「うどんが良いな、肉うどん。ネギ入れてくれ。」

「OK。」


ヒナトリがごそごそと残りの荷物を取り出す。


「あ……。」


行きかけたペリが振り向いた。


「なに?」


ヒナトリが両手で顔を覆っていた。


「どうしたの?」

「万年青のヤロウ……。」


ペリは箱を覗き込んだ。

そこには彼の手の平に乗るぐらいの小さな刀があった。

刃は硝子のように透明で優美な曲線を描き、

銀色の柄には月色の宝石がはめ込まれている。


「厄介なものを送って来やがった。」


ヒナトリはうんざりした顔をしていた。


「ところでペリ。」

「なに?」

「お前、気が付いたか?」


ペリの目が光る。


「うん、消えたネ。」


ヒナトリが外を見た。


「どんよりしたものが無くなったな。

おかしな事が起きそうな気がしたが治まったのかな。」

「ボク達が知らない所で誰かが止めたのかもネ。」

「こちらに何も情報が入らなかったのは俺達には関係が無いと言う事だが、」


ヒナトリは刀を光にかざした。

澄んだ色が反射する。


「あれを止めたのなら相当の術師だな。

誰だろうな。」






その綻びは街の中心で閉じられた。

誰も知らないうちにそれのおかげで最初の惨劇は防がれたのだ。


空木うつぎは濡れた手で顔をこすった。

べったりとした何かが顔につく。

自分の顔はひどく汚れているだろうと彼女は感じた。

この場所には光はほとんどない。

閉じられた巨大な空間では空気すら重みがあった。

全身汚れきった彼女はただでさえ小柄なのに

空間の重みでとてつもなく頼りなく見えた。


「これで良いだろう。」


彼女の後ろに立つ影のように細い初老の男が言った。


穂積師ほずみし……。」


何日もかけて空木は誰もいない貯水槽全体に呪文をかけた。

それは目の前にいる師匠の穂積のめいで行ったのだ。

都会の地下に作られた貯水槽は災害を防ぐ役もあったが、

この街においてはもう一つの役割も増えた。


普通は見えない「もの」。


分かる人には様々な形で感じられるだろう何かが

この街で口を開いたのだ。


ここは日本でも有数の都市だ。

この場所で何かが起こればただでは済まないだろう。

そしておおやけでは語られる事は無いがそれらを察知する人々はいる。

その報告を受けて前面に立ち防ぐ者もいる。

それが穂積と空木でありまず災害をひとつ防いだのだ。

誰にも知られないうちに。


それは飲まず食わずで眠りもせず続けたぎょうのようなものだ。

穂積は日本でも有数の術師であり、空木はその弟子だった。

だが、空木は出来の悪い弟子だった。

それなのになぜと思いつつ穂積に言われるままここに来て、

術式をこの巨大な貯水槽に目に見えぬ方法で書いたのだ。


彼女が生きて来た覚えでこれほど辛い経験はなかった。

それでも書いているうちは緊張のせいだろうか心は冴え渡り

気持ちもしっかりしていた。

だが彼が終わりの言葉を告げた途端、

目の前が歪みふらふらと立っているのもやっとだった。


「空木、ゆるむな、まだ終わってはおらん。」

「は、はい。」


かすれた声で返事をする。


「空木、これを渡しておこう。」


穂積は胸元からひものついた細長いものを取り出した。

それは暗い中でもわずかに光って見えた。

がさがさとした紐が首に当たる。

彼は空木の首に何かをかけたのだ。


「それでな、空木、」

「はい。」

「お前はこれでこの街から出られなくなった。」


一瞬彼女は師が何を言ったのか理解できなかった。


「お前はこの術の中心となったのだ。

この街から出れば術は徐々に消え去る。長く離れてはいかん。

お前は街と一体になったのだ。」

「ど、どういう事でしょうか?」


急に彼女の体に震えが走った。

よく分からないが自分の身に何かが起きたのだ。


「許せよ、更紗さらさ……。」


穂積は微かに呟いた。


「お父さん。」


だが穂積は何も言わなかった。


「お父さん、どういうことなの?」


しぼり出すように声を出すと彼女の膝ががくりと崩れた。

空木は意識を手放す。

もう訳が分からなかった。





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