喫茶フィオリトゥーラ

七草世理

本文

 フィオリトゥーラ。それは現代社会の隙間に現れる喫茶店。どこかの街にふらっと現れたかと思えば、いつの間にか消えてしまう。この世の泡沫。大抵の人はこの店の存在に気付くことはない。

 だが、稀に、何の因果か、この喫茶店に辿り着くものがいる。それはあたかも街頭に引き寄せられる蛾にも、靫葛ウツボカズラに吸い寄せられる蠅のようにも形容できる。店を訪れた人にとって、フィオリトゥーラは無害な街頭なのか、その身を溶かす靫葛ウツボカズラなのか、それは、行ってみるまで分からない。

 

 ある女がいた。女は、先日まで持ち前の要領の良さを活かし、五年前に死んだ実業家の愛人の遺産を食い潰して生活していた。しかし、実業家の親族の執念によって残り少ない遺産を没収され、地位を失い、邸宅を追い出された。

 彼女がフィオリトゥーラを見つけたのはその矢先のこと。大通りを一つ外れた路地の行き止まりのところに、それはあった。明日も知れぬ我が身。コーヒー一杯飲んだところで今後の展望が変わるわけもない。それは承知している。だが女にとって、その喫茶店にはどこか強迫観念にも近い、耐えがたい魅力があった。

「すいません、やってますか」

 女は恐る恐る中に入る。店主はいない。ただ、女の目の前のカウンター席には、淹れたばかりのコーヒーが一杯置いてあった。女は、何となくそれが自分のために用意されたものであると分かった。

 コーヒーを口に運ぶ。なんてことはない普通のコーヒーだ。すると、背後から

「どうですか、お味は」

という男の声がした。

「ひっ」

 女は思わず飛びのく。さっきまで誰もいなかったはずだ。一体どこに隠れていたんだろう。

「いえ、すいません。勝手にコーヒーをいただいてしまって」

「いえいえ良いんですよ。それより、何か変化を感じませんか」

「変化って……特にはありませんけど」

 それを聞くと、男はひどく落胆した様子で女を見つめていた。何のことやらと思いつつ、女は、とりあえず喫茶店の関係者であろう男に代金を払って店を後にする。

 振り返ると、さっきまで喫茶店だったそこはただの廃墟と化していた。


 それから数週間、女は自分を追い出した親族たちを殺し、再びあの邸宅に戻っていた。もちろん、女にこの先の未来は無い。家の周囲には警察の包囲網が張られているし、玄関では機動隊が今にも突入してきそうな構えを見せている。だが、女に後悔はない。むしろ、女の人生で一二を争う程の幸せを感じている。何せ、一度失った物を取り戻せたのだ。これ以上の幸福などあるものか。

 機動隊が突入してくる。女は、そのタイミングで取り返した財産を抱え、屋敷中に撒いておいたガソリンの導線に火をつけた。もう誰にも奪われないために。

 

 女と財産、機動隊は瞬く間に火に包まれた。喫茶店に行ったあと、開花した女の才能は”執着”。物的な高貴さを至上の価値観とし、手段を選ばずそれを必ず手に入れようとする。

 喫茶フィオリトゥーラ。それは人の才能を開花する喫茶店。本来であれば、一生花開くこと無かった才能を目覚めさせる。それが幸せを招くか不幸を呼ぶのか、それは行ってみるまで分からない。

 今日もどこかの路地裏で、フィオリトゥーラは誰かが入ってくるのを待っている。

 


 

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喫茶フィオリトゥーラ 七草世理 @nanakusa3o

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