ティッシ(2)

 啓は予想以上に重い瞼を必至に押し上げた。

 天井に大きな扇風機みたいな物が取り付けられていて、くるくると回っている。辺りは柔らかなオレンジ色の光に包みこまれていた。耳にもゆったりした音楽が流れ込んでくる。騒がしすぎず、静かすぎず、周りの空気は暖かい。

 だんだんと頭がハッキリしてきた。

 「起きたかい?」

 視界に突然丸顔の女性が出現する。

 「誰」

 なんだ、この女の人は。

 「この人はこのパブのオーナー。トチさんだよ」

 もう一人視界に飛び込んでくる。

 「……緑。あなたさっきの人」

 いつのまにか自分は意識を手放していたらしい。あれから、どれくらい時間が経ったんだろう。額も相変わらず熱いし……でも、さっきよりはマシ、かな。

 啓はむくっと起き上がった。

 ―――私は疫病神にでも取り付かれているのだろうか。今日は特に運が悪い。

 「ここカウンターの上じゃない」

 啓は起きて早速突っ込んだ。パブのカウンターに自分は横たわっていたのだ。これではさぞかし営業妨害だったことだろう。素早く座席の方に座る。

 「すみません」

 とりあえず、謝っておいた。トチ、というオーナーは全然構わないよ、と言って微笑む。

 「元はと言えばこっちの責任だからねぇ。まったく」

 トチは両手を腰に当てる。啓には豊満な体に指が食い込んでいるように見えた。

 「僕はトリジュ族のメシャル。君、名前はなんて言うの?」

 助けてくれた葉っぱ青年、メシャルに啓は声を掛けられる。

 「啓」

 トリジュ族……。こんな風に体に葉っぱ巻きつけて肌の色が緑の人達の事だろう。風変わりな格好だ。ぼけーっと緑の少年を見つめながら啓はそんなことを考えていた。

 「ケイ、ね。よろしく」

 「私はどれくらい寝てたの?」

 「……三時間ぐらいかな」

 啓の問いにメシャルが少し考えてから答える。

 「そんなに!!」

 叫んで立ち上がり、ひどい眩暈に襲われてまた席に着いた。

 なんてことだ。三時間もあればレヴィオスさんについて何か情報がつかめたかもしれない。もったいない事をしてしまった。それにしても……熱さが増してきている。

 啓は見ている側までもが意味も無くガッカリするような溜め息をつく。

 「どうしたんだい?」

 トチが心配そうに尋ねてくる。

 「……実は私、人を探してさっきから旅をしてるんです」

 トチとメシャルは顔を見合わせる。

 ―――何故そんなに驚く。

 「一人で旅してるのかい?」

 啓にピンク色の飲み物を渡しながらトチが呆れ顔になった。

 「ぺチの実のカクテルだよ。僕が頼んでおいた。アルコール低めだから心配しないで」

 「ありがとう。それで一人じゃいけませんか?」

 ケイはピンクのジュースを少し口に含んだ。

 「おいしい」

 果実の甘味と酸味が絶妙に混ざり合い、啓の乾いていた咽を潤した。隣でメシャルがにっこり微笑む。

 「いけませんか、ってアンタ、危険すぎるよ。ケイみたいな女の子が一人でウロチョロしちゃ……。いつ何に会うかも分からないんだよ。武器って言ってもその短剣だけじゃーとても自分の身を守りきれないだろう」

 「それでも探さないとダメなんです」

 断言する啓にトチは眉間にしわを刻んだ。

 「まぁ、あたしには関係無いことだけどね。自分の腕に自信でもあるのかい?」

 「空手を少々」

 啓は地球に居た頃、近くの空手道場に通っていた。全国大会にも出たことがあるし、素手なら少しは自信がある。

 ―――だけど、こっちは向こうとは違う。

 銃刀法違反の連中ばかりだ。剣を構える相手に丸腰で向かっていけるほど啓の肝は据わっていない。勝てるとも思わない。それに実際酔っ払い男にいとも容易く持ち上げられ、投げ飛ばされたばかりだ。メシャルが倒してくれなかったら自分は死んでいたのかもしれない。

 自分は全くの弱者なのだと痛いほど思いしった。頭では分かっていても実際に現実を突きつけられると、どうしようもなく不安になる。

 「空手だけ?剣術は?」

 メシャルもさすがに呆れたらしい。啓の腰に挿してある短剣を指差しながら尋ねてきた。

 「全く」

 答えていて自分が情けなくなってくる。先行きが不安になる。押しつぶされてしまいそうだ。

 ―――額がまた熱い……気持ち悪い。

 啓は自分の胸元を抑えた。先程飲んだ美酒を吐き出したい衝動に駆られる。

 「ケイ?」

 俯いた啓をメシャルが覗き込んだ。


   「……ケイ!!」

 メシャルの声が遠くから聞こえた。


 自分は好きでこんな事してるわけじゃない。無謀だって、そんなこと私が一番よく分かってる。無理だって、私もそう思う。だけど仕方がないじゃないか。私しか居ないんだ。私がやらなかったら消滅してしまう。私しか居ないんだ。私がやらないと。

 ―――嫌だ。

 どうして私がそんな辛い役目背負わなくちゃならない?何故、私なんだ?どうして私だけ?どうしてだ。

 嫌だ、続けたくない。もう、やめてしまいたい。

 ―――帰りたい。

 帰るために旅をするんだ。わからないことだらけで、ミランダともすぐに別れてしまった。大氷山に向かえって、どうやって行けば良い?その前にレヴィオスに会えって、どこに居るんだ。



 □□□



   「……また、寝てたんだ」

 朝日を浴びて啓は目覚めた。額の熱も治まっている。

 窓から外を眺めるとのどかな風景だ。鳥が飛び、さえずり、人々が時折笑みを浮かべながら会話している。

 「ここは、あのパブの二階かな」

 メシャルやトチにまた迷惑をかけてしまった。

 「ホームシックなんかに、なってる場合じゃないって・……。でも、私の意見にも一理あるとは思うんだけどね」

 啓は力なく笑う。

 「帰りたいなら前に進むしかないんだから。あれだけ適当な説明で行っちゃったってことはレヴィオスは見つけやすい人なのよ、たぶん。それに最終目的地はわかってるんだから、いざとなったらそっちに向かえば良い。なんたって空間師長とかいう親玉みたいな人が居るわけだし。なんとかなる」

 啓は昨晩の自分の醜態を思い出して無意識に眉を寄せる。

 結局、あの酒は吐き出してしまった。せっかくメシャルが注文してくれたのに。それにきっと片付けとかもしてくれたんだろう。

 ―――謝罪とお礼をしないと……。

 そう考えて啓は自嘲した。どんな顔をして今日会えと言うのだ。


 階下に降りると、もう店は開店しており、客が何人か朝のコーヒータイムを過ごしていた。トチも楽しそうに奥でなにやら話しこんでいる。

 ―――声掛けづらいな。

 しばらくその場にたたずんで様子を見ていたが、気付いてもらえそうになかった。


 「結局、黙って抜け出してきちゃった」

 お礼や謝罪は後でで良いだろう。振り返るとずっと先にポツンと小さくパブが見える。

 「……気まずいな。助けてもらったくせに礼も言わず目の前で嘔吐だもんね……」

 息を吐いてひたすら歩く。このまま逃げ出してしまおうかとすら思った。どうせ、二度と会わない人たちだ。

 「いやいや、礼儀はキッチリしないとね。それより今は情報収集よ。」

 啓はキョロキョロとあたりを見渡すが、通りすがりの人に聞くのは躊躇してしまう。

 「私が知ってるのは空間師だってことと、博打好きって事と、名前だけ……」

 どうやって探せと言うんだ。

 「顔の特長とか、髪の色とか、なんかもっと教えてくれたって良さそうなものなのに。もう、有名人であることに賭けるしかないわね」

 一人でブツブツ言っていた啓は視界に飛び込んできた看板を見て立ち止まった。

 「―――あー、聞いてみても良いかもしれない」

 啓は『ティッシ医院』と書かれた看板の立っている建物へ入っていった。



    □□□



 「こんにちは―……」

 看護婦らしき猫耳の女性に事情を説明し、教えてもらったこの部屋。


   「なんの用だ?」


 昨日啓を投げ飛ばした男がそこに横たわっている。


 「ちょっとお尋ねしたいことがあり、まして。」

 自分はひょっとすると馬鹿なんじゃないか、と思えてきて啓の言葉が尻すぼみになる。しかし男には聞こえたようだ。

 「聞きたいこと?俺にか?」

 啓はおずおず頷いた。

 「他に、知っている人、あまり居ないし……」

 「まぁ、座れ」

 男が傍の椅子を勧める。素面の男は前日とはまるで別人のようだ。寝癖が妙な方向にはねているのが可愛らしくすらあった。

 この人は、今怪我人なんだから、大丈夫よ。

 啓はちょこんと腰掛けると意を決して尋ねる。

 「探してる人が居るんです。博打好きの空間師でレヴィオスって人知りませんか?」

 男が難しい顔をする。啓は俯いて拳を握り締めると男の返事を待った。

 「お前、空間師なんかを探してるのか」

 やがて男がボソリと呟いた。

 「……はい」

 啓は小声で答える。

 ―――空間師、『なんか』、か。

 あまりよく思われていないように聞こえる。

 「残念だが、知らんな」

 ハズレ、か。

 最初から当たるはずがないのは重々承知していたとは言え、啓は肩を落とした。抽選のガラガラで白い玉が出てきたときの気持ちに少し似ている。

 「それにしてもお前、額のは刺青じゃなかったのか?」

 啓は理解できずにどんよりした視線を男に向けた。

 「なんだ、その目は」

 「……刺青なんか、するはずない」

 今度は男が怪訝な目つきになる。

 「するはずない…でもお前、思いっきりシャルの花びらが描いてあっただろーが」

 シャルの花びら……?

 シャル。

 シャルだって?

 額 熱 刺青 シャル 花びら 


 ―――――印。


 昨日の記憶がものすごい速さで甦った。

 『分身に近づくと印が現れて熱くなる』

 とかなんとか言っていた。あの子供、花の妖精だったのか。

 それにしても、あの熱さは反則だろう。今度会ったらタダじゃおかないから。


 「オジサン、ありがとうございます!用事ができたのでこれで失礼します。」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る