彩りとモノクローム [threetones短編集]

threetones

ゴムボール

 親父が死んだ。


 俺は、結局何も伝えられなかった。

 親父の本当の気持ちも、確かめられなかった。


 ……もっと、話しとけば良かったな。



 瞼を閉じると、小さい頃の情景が思い浮かぶ。


 あの屋根の上まで飛んだゴムボール。


 小さい体でがむしゃらにプラスチックのバットを振って、まぐれで当たった一本。


 ボールを投げてた親父は、どんな顔してたんだっけ?


 ……そんな事、思ったんだ。



 俺は、中学に入ってから、感情を表現するのが下手くそになった。

 思春期の気持ちと身体と心の変化に、感情がついていかなかった。女の子を変に意識するようになったり、あの部分に毛が生えてきたり。


 自分の意志とは無関係に、勝手に大人への階段を登らされていた。


 でも、俺はまだ……少年でいたかった。

 ずっと無邪気に遊んでいたかった。


 昼休みの始まりのチャイム。


 昼の日差しに照らされて白く光るグラウンド。


 裸足で踏みしめる土の感触……。


 汗だくになって、泥だらけになっても、何も気にならなかった。いや、気にする必要がなかった。無邪気に楽しい事を、皆で心から一緒に楽しめた。


 ……それがいつの間にか


 勉強出来る奴、スポーツ出来る奴、モテる奴、不良の奴……色んなカテゴリーが生まれて、俺はただの地味な奴になった。


 俺は高校に進学するのをやめた。



「おい。佐武……何やってんだ?」

「あ、はい、すみません」


 俺は16歳になってすぐ、家の近所のうどん屋でアルバイトを始めた。時給750円。今まで経験のないことばかりで、どうしたらいいか分からず戸惑うことが多かった。いつも、怒られてばかりだったのをよく覚えている。


「ほら、まだ2番テーブルの麺茹でてないじゃないか!」

「あ、すぐやります」


 俺は慌てて、冷凍麺を取り出したが、勢い余って5玉分の麺を床にばらまいてしまった。


「……はぁ、やっぱり若すぎたかな? 失敗したなぁ」


 ボソッと店長が呟いた一言が、胸に突き刺さった。



「もう、バイト行きたくないなぁ」


 実家のリビングで寛いでいた時、ポロリと弱音が零れた。それを聞いて、親父が話しかけてきた。


「一樹、もう嫌になったのか? 」

「別に。行きたくないなぁって、ちょっと思っただけだよ」

「お前、頑張れば出来る奴なんだから。我慢して頑張れよ」

「うるせぇなぁ」


 俺はそう言い残して、自分の部屋に引きこもった。


 後で聞いたんだけど……親父がうどん屋の店長に頭下げて、俺を雇ってくれるように頼み込んでたらしい。

 思春期の頃の俺は、そんな事知らなかった。


 『頑張れよ』って言った時、親父はどんな気持ちだったんだろうな。



 それから……何とかバイトも慣れてお金も貯まってきた。

 その内、俺は特別な何かになりたくなった。漠然とそう思った。だから色んな雑誌読んだり、ネットで調べたりして………音楽始めてみたり、バイクの免許を取得してみたりした。


 でもどれも中途半端で止めてしまった。心の虚しさをただ埋めるために、何となく欲しいものを買い漁りたかっただけだったんだと思う。



 いつの間にか20歳を過ぎた。でも、まだ何も見つけられてなかった俺は、興味本意でカフェバーで働き始めた。

 この頃になると、飲食の仕事も板についてきた。けど、素行の悪い奴らとも絡むようになった。


「おい、お前、これやらないか?」

「何ですか?」

大麻チョコだよ。お前もやれよ、いい気分になる」

「え、チョコって? なんかダメな奴じゃないですか?」

「ほら、いいからさ」


 俺はバイト先の先輩に誘われるがまま、違法なものに手を染めた。そして、常習者となり、いつの間にか消費者金融にも借金をするようになった。


 ……そんな時、その先輩が大麻所持で逮捕された。


 俺も譲受けの疑いをかけられて、一度逮捕されることになった。俺には明確な証拠が得られなかったようで、嫌疑不十分で不起訴になった。


 その後、実家に帰ると、親父に思い切りぶん殴られた。それからお互い口も聞かないで、テーブルに向かい合わせで座った。 親父は、俺が大麻やってたの気付いたんだと思う。自宅に少し残ってた筈なのに、証拠無しになったのは……多分、親父が内密に処理したって事だと思う。公にはならなかったけど、俺のせいで……隠蔽という罪を被らせてしまった。


 俺は謝りたかったけど、頬の痛みがいつまでも引かなくて、何も喋れなかった。謝ることも、出来なかった。


 ……ずっと親父は目の前にただ座っていた。殴られたのは、あの時が最初で最後だった。

 あの優しい親父が、息子を殴る時ってどんな気持ちだったんだろうな。



 そんな俺も、事件後は真面目に働いて、借金も全部返済した。


 そして……バイト先で出会った女の子と恋に落ちて、結婚まで行き着いた。そこから二人でお金を貯めて、二人で描いた夢を叶える事が出来た。

 カウンターとテーブル席2席の飲食店。狭いけど、俺達の夢が詰まった場所だ。大して繁盛してないけど、毎日充実感を感じながら働けてる。


 今では、子供も出来てさ。

 やっと自分の幸せが、見つかった。


 息子も6才になって、公園でプラスチックのバットとゴムボールで遊ぶんだ。


 そう言えば思春期の頃、まだ少年でいたいって思ってたな。いつの間にか忘れていた、あの頃の気持ち。


 最近、息子と遊んでて……あの気持ちを、ふと思い出した。


 そしたらさ、『そうか、心の根っこはあんま変わってないんだな』って……気付いた。

 脂肪が付いた体じゃ、もう子供の時みたいに走れ回れないけどな。


 多分、それでいいんだ。



 今なら分かるよ。


 あの屋根の上に飛んだゴムボール見てさ


 親父、あん時、嬉しそうに笑ってたんだよな?




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