第38話:イッヌ・フォン・カマセ

 この集落の数少ない人間。

 ミレーネ、ジニー、あとあいつなんだっけ?

 ゴブリンの嫁さん3人貰ったやつ。


「ストリングですかな?」


 そうそう、そいつ。

 俺が唸っていたら、ジソチが教えてくれた。

 なんだかんだで、幸せそうなやつだ。


 そして、残る一人。

 イッヌ・フォン・カマセ。

 分かりやすいマッチポンプで、ミレーネを娶ろうとしてたあいつ。


 今はなんだかんだで、ゴブリンの女性と一緒にそれなりに幸せな生活を送っている。

 ……はず。


「ほらほら、そんなことではロードのお役に立てませんよ」

「はい」


 いまは、ゴブサクと一緒に薪を割っているが。

 大丈夫かな?

 元は貴族だったから、慣れない生活で色々とすり減ってないといいけど。

 

「まあ、騎士団の訓練に比べればどうということはありませんよ」


 角が取れて、だいぶ丸くなってるけど。

 最初の頃は帰りたい、帰りたいと泣いていたのに。


「えっ? 領地に帰りたいですかって? とんでもありません」


 何が、どうとんでもないのだろうか?


「貴族の子弟としてのしがらみから解放されて、分かりました。権力のなんと儚いものか」


 色々と達観した様子だけど。


「それに、ゴブリナさんはとても優しいですし」


 ゴブリナ、うん彼を連れ去ったゴブリン。

 まあ、汚れた下着を洗ってもらった相手だ。

 自尊心やプライドなんか、とっくにどっかに消え失せてるだろう。

 ゴブリナも手のかかる子供を見るような目で、よく面倒を見ているけど。

 なかなかに、夫婦仲は良さそうだ。


「いえ、照れますね」


 夫婦であることは否定しないらしい。

 まあ、本人が幸せならそれでいい。


 ただ、流石は貴族のボンボン。

 最近は精力的に集落の仕事を手伝っているけど。

 あまり、役に立っていない。

 まったく立っていないわけじゃないのが、少し扱いにくい。

 いないより、いた方がマシな程度。

 ただ、本人が楽しくやる気をもってやっているから。

 手伝わせている方も、あまり邪険にはできない。


 そんなイッヌだけど、意外な才能があることが分かった。


「うん、美味しい」


 イッヌが持ってきたクッキーを口に入れて、思わず唸ってしまった。

 そう、お菓子作りにおいて、思わぬ才能があったのだ。

 まず、几帳面な性格故に、レシピに書かれている材料の分量をきっちりと図る。

 それこそ俺が用意した電子スケールの小数点第1位のレベルで。

 時間もきっちり。

 温度もきっちり。

 几帳面な性格が幸いして、お菓子作りにおいては集落でもダントツで一位。

 

 お祝い事や、何かあるときにはお願いするレベル。

 ゴブリナにもことあるごとに、お菓子を振舞っているらしい。

 周囲の雌ゴブリン達が、羨ましがっている。

 とはいえ、一応一夫一妻制になりつつある。

 だから、他の雌ゴブリンも手を出すことはない。


 ストリング?

 あいつは最初から3人だったから。

 結婚も3人同時だったから。

 だから、あれはあれでいいんじゃないかな?


 俺も見習ってお菓子を作ってみたけど。


「お……美味しいですよ?」


 ジニーが食べたあとで、凄い勢いで牛乳を飲んでたのを見たら。

 色々と察した。


「いや、本当に味は美味しいんですよ? ただ、口の中の水分を全てもっていかれるというか」


 だったら、その手に持った牛乳の紙パックを先に置こうか?

 現状クッキー1枚に対して、コップいっぱいの牛乳が無くなっているけど?

 牛乳片手にクッキーは分かるけど、それはコップの話であって。

 

「小麦粉にはグルテンが含まれてますので、練りすぎると弾力が強くなりすぎるんです。その状態で焼くと固くてパサパサになります。あとは、打ち粉はきちんと強力粉を使ってますか?」


 えっ?

 小麦粉なんて、全部一緒だろ?

 薄力粉で作ったから、薄力粉で……


「はぁ……」


 イッヌに盛大に溜息を吐かれた。

 いや、おま……まあ、はい……すみません。


「薄力粉は粒子が細かいので生地に吸収されます。それで結果として、生地の小麦量が増えて……」


 細かい。

 凄く細かい。

 油なんて適当でいいだろう。

 牛乳だって、一度にドバッと入れようが、ちょっとずつ入れようが大差ないと思うんだけど。


「その結果がこれですが?」


 一枚食べては牛乳をぐいっと口に含んで、ゆすぐようにして飲み込んでいるジニーの姿を見ると。

 ミレーネは……一枚食べてから、あとは紅茶をゆっくりと飲んでいる。

 二枚目を手にとることはなかった。


 ……


「これもらっていい?」


 あっ、ミレーネが戸棚からキキキナガのビスケットを持ってきて、強請ってくる。

 いや、別に構わないけど。


「ありがとう」


 うん、俺の焼いたクッキーがまだ、たくさんあるんだけど?

 仕方なく、イグニに処理してもらった。

 あれだけ口がでかいと、お皿いっぱいのクッキーをほおばったところで。


「これ、いつまでも口にに残るのだが?」


 そんなでかい口で何を言ってるのかな?


「あー……なんか粘り気が増してきたら、余計に飲み込みにくくなったのじゃが?」


 仕方ないから、口に大量の牛乳を流し込んでやった。

 ちょっとむせてたけど、無事飲み込めたらしい。

 

「料理は目分量でも、そこそこ上手にできるのにな」

「おかずとお菓子は字面は似てても、全然違うものですよ」


 そういうものなのか。

 

「こうして食べれば美味しいぞ?」


 アスマさんが、キキキナガのカフェオレに浸して食べていたが。

 確かにしっとりして、美味しそう。

 ただ、カフェオレの中がすごいことになってる。

 ポロポロと崩れたクッキーの欠片で。


 ふふ……でも、美味しく食べようとしてくれてありがとう。

 アスマさんの優しさが染みるというか、痛いというか。

 でも、素直に受け取っておこう。

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