ポケットに手を入れると死人に手を握られる男の話

奥田吹雪

第1話

父が母の目玉を指でほじくり出しながら、奇嬌な笑い声を上げていたとき、僕は横たわってそれを見ていた。

僕は何もしなかった。

水も暫く飲んでいなかったから。

立てなかったのだ。

僕はぼんやりと横たわりながら、僕の順番を待っていた。

父は大抵、母にすることを次に僕にする。

案外、道が通ってるんだなと思った。

虐待とかDVとかに至る経路はもっと特別で、特殊な人間だけが歩める道なのだと思っていたけれど。

角を曲がって。すぐのところ。

すぐのところに暴力。

僕は目を閉じた。

母はとうに死んでいる。

世界は黄昏だ。

やがて宵闇。


その時突然チャイムが鳴った。

乱暴にドアを叩く音がする。

父は奇嬌な笑い声を止めた。

「※※さん、※※さん、いらっしゃいますか、警察です。お宅で大きな物音がしたと通報がありました。確認させて下さい。」

「……は?」

父は本当にキョトンとした顔で呟いた。

「大きな物音なんて……する筈ないだろう」

父はキョトンと呟く。

その通りだった。

大きな物音なんてする筈もない。

母も僕もゆっくりと弱っていって、横たわったまま、抵抗もせずにこうなっているのだから。

「※※さん、開けて下さい、警察です。開けて下さい。」

……警察って、こんなファーストコンタクトから乱暴なんだろうか。

こじ開けんとばかりにドアを揺すっている。

「開けないならドア破りますよー!おい!※※!!!開けろ!お前が人を殺したことは分かってるんだよ!開けろ!!!!!!」

血塗れの父は本当にキョトンとしていた。

「……何故、知っている?」

父はキョトンとしたまま、本当にドアを破って突入してきた刑事に連行されていった。

後に残された僕に駆け寄って来た警官は蒼白な顔で僕を抱き上げ、よく頑張った!もう大丈夫だ、と母の死体から目を離せない僕の視界を背中で遮った。

警官に、殆ど抱きしめるようにされながら目を上げた先に、先生が立っていた。

数ヶ月前に学校に来た新任の先生。

いつも目の下に大きな隈を作っていて、スーツのポケットにずっと手を入れている。

臨時教諭だと名乗った、いつも体調の悪そうな背の低い人。

彼は僕と目が合うと、

「ごめんな、俺って奴は誰かが死んでからじゃないと何も分からないんだ。お前を助けられて良かった。」

と優しい声で言った。


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