オタクって限定とか一限って言葉に弱いよね……
幼馴染たちの水着審査という名の買い物が終わったその日の午後。
アイドルの仕事があるというふたりと別れた俺は、ある場所を目指していた。
その場所とは、伊集院財閥が経営しているスポーツセンターだ。
体育館ほどの広さのある建物がいくつか隣接しており、それぞれに最新鋭の設備と優れたトレーナーを有するのだという。
地下三階まであり、様々なスポーツに対応できる環境を揃えた最高の施設であるらしく、一般には貸出も行っていない完全会員制なのだとか。
入場するにはカードキーが必要であり、秘匿性も高いことから、プロのスポーツ選手も数多く利用しているのだという。
勿論施設の使用料は相応に高く、普通の高校生ではまず手が出ない値段だ。
例えこのスポーツセンターの存在を知っていたとしても、借りようとはとても思わないことだろう――普通ならば。
スポーツセンターへと到着した俺は、あらかじめ伊集院から渡されていたカードキーを使い、入口である建物の中へと入っていく。
「お待ちしておりました、ご主人様」
するとそこに、俺を出迎えるやつがいた。一之瀬だ。
無表情かつ頭にメイドさんのヘッドドレスを付けているのはいつものことだが、今日の服装は普段とは違う薄いシャツとパンツという、運動に適したものとなっている。
肌には僅かに汗も浮かんでいることから、つい先ほどまで身体を動かしていたところだったのだろう。
「なんだ、一之瀬。お前も運動してたのか。というか、俺が来たことがよく分かったな」
「ご主人様のカードキーが使用された場合、わたしに通知が来るよう設定しておりましたので。確かに少々皆様に混じり、身体を動かしておりましたが、ご主人様を出迎えに参らないのはメイドの恥。貴方様のためならば、わたしはいつどこにでも駆けつける準備は出来ております」
そう言って頭を下げる一之瀬。
普段はかなりフリーダムなところがあるやつだが、それだけにこうして忠誠心を見せられるのはなかなかどうして悪くない。
「そうか、そう言って貰えると、俺もご主人様として嬉しい限りだな」
「ふふっ、わたしもご主人様には満足していますよ。ここまでクズな人間はまずおりません。日々クズっぷりがレベルアップしているのも最高ですし、これからもどうかその腐った性根のまま、決して真人間にはならないでくださると助かります」
「え、あ、うん。とりま変わる気はないけども……」
果たしてこれは褒められているのだろうか……?
多分深く考えたら負けなのだろう。若干高揚した表情をしている一之瀬に適当に頷きを返し、俺は廊下を歩き出す。
一之瀬は一歩下がり主を立てるように静かに付いてくる。ここは流石メイドと言ったところだろうか。今度は顔を見ずに一之瀬に話しかける。
「特訓の方はどうなっている?」
「一応順調ではあります。ただ、ここ数日は若干ペースが落ちていますね。体力は間違いなくついているのですが、目標のスケジュールをこなす前に脱落している方が増えております」
「ふむ、原因は?」
「おそらくモチベーションの低下が原因かと。最初の頃は張り切っている方ばかりだったのですが、今は目に見えて落ち込んでおります。休憩時間も愚痴が大分増えているようです、これは男女ともに共通しておりますね」
「なるほど。まぁ予想通りだな」
元々が面倒くさがりで欲望丸出しの連中だ。
いくら最終的に欲しいものが手に入るといっても、途中で根を上げることは十分予想の範疇であり、特に驚きはない。
というか、今日ここに来たのはそれを見越したうえで解決する策を用意してのことである。
「お嬢様も手を焼いてるようです。どうなさいますか」
「問題ない。そのために、これを持って来たんだからな」
言いながら、俺は手に持っていた袋を掲げる。
つい先ほどまでいた、ショッピングモールで買ったものだ。
「それは一体なんでしょうか? 見たところ銘菓と書かれているようですが……」
「ビンゴ。さっき雪菜たちと一緒に購入した、土産用のお菓子だ。これ領収書だから、そっちで払っといてくれよな」
「はぁ。それはいいのですが、それで一体どうするのですか……?」
俺から領収書を受け取りながら怪訝な顔をする一之瀬。
どうやら彼女は伊集院と四六時中一緒にいながら、まだドルオタに対する理解はそれほどでもないようだ。
「ま、見ていれば分かるさ……っと、着いたな」
一之瀬と会話を交わしているうちに建物を抜け、俺たちはあっという間に目的の場所へと到着する。
そこは屋外にある広々としたと陸上競技場。綺麗に整備されており、白い白線が引かれたトラックには、何人もの男子が走っている。
その誰もが見覚えがある顔ばかりで、うちのクラスの連中であることは間違いなかったが、すぐに俺の注目はやつらから逸れることになる。
「皆様、タイムが落ちてますわよ! この調子では、本番ではとても体力がもちませんわよ! しっかりしてくださいませ!」
そんな叱咤の声が、近くから聞こえてきたからだ。
見ると動きやすそうなジャージを着た伊集院が拡声器を手に、クラスメイトたちに向けて声を張り上げていた。
伊集院の近くにはマントが設置されており、体格のいい大人たちが中で机に座りながらそれぞれ計器とにらめっこしていたり、メモを取っている姿が見受けられる。
おそらくデータを測定しているのだろうが、こうしてみると本格的というか大掛かりだな。
それだけ伊集院が今回の大会に入れ込んでいるという証左でもある。
「よう、伊集院」
「え? ああ、葛原様ですか。どうしたのです?」
近づいて挨拶すると、俺に気付くもすぐに怪訝な表情を浮かべる伊集院。
「いつも顔を出さないのに何しに来たんだ?」と顔に書いてあるのが見て取れるが、そんな無言の抗議は敢えて無視する。
「そろそろ手間取る頃合いじゃないかと思ってな。モチベーションが低下して伸び悩み始めたって言うじゃないか」
「一体誰からその話を……ああ、姫乃ですわね。細かい説明は後にしますが、その通りですわ。ただでさえ数週間で実力をつけるのは難しいというのに、この調子では……」
「優勝は難しいってことか」
「ええ。全く嘆かわしい限りですわ。『ダメンズ』のレア写真がかかっているというのに……!」
大きくため息を吐く伊集院だったが、俺から言わせて貰えばこうなるのは必然だ。
見たところ、ただひたすら走らせて鍛錬させているだけだし、鞭はあれど飴がない。
そんなやり方で、こいつらのモチベーションが持つはずがないのだ。
「伊集院。ここにCDの再生機器はあるか?」
「え? CD、ですか? ありますが……」
「じゃあこれをかけてくれ。一発で効き目があるはずだ」
俺は袋に手を入れて、あるものを取り出すと、伊集院へと手渡す。
それは一枚のCDケース。そう、やつらが大好きな『ダメンズ』のCDである。
これもモールで購入していたものだ。
「これは『ダメンズ』の1stCD『私のカレは♪ドクズ野郎?』……! い、いえ、それだけではない!? これは、まさかっ!?」
「ついでだ。拡声器も借りるぞ。あいつらに知らせてやらないといけないしな」
CDを見ながら目を見開く伊集院の手から拡声器を取り、俺は大きく息を吸った。
「あーあー、ただいまマイクのテスト中」
「ん? なんだ、伊集院さんじゃない?」
俺の声に反応したクラスメイトたちが、一斉にこちらに目を向けてくる。
「聞こえるか、俺だ。葛原だ。今日はお前らの激励に来た」
「はぁ? 激励だぁ?」
「なんでお前なんだよ。どうせならアリサちゃんたちに来て欲しかったんだけど」
文句を言ってくるクラスメイトたち。どいつもこいつも汗だくで、死んだ目をしているのが共通している。
まさに疲労困憊といった有り様で、ひたすら体力作りに勤しんでいただろうことが垣間見れた。
「そうだな、そうだろう。雪菜たちに激励してもらいたかったというお前らの気持ちは、痛いほど分かるぞ」
「だったら……」
「というわけで、今日はお前たちにプレゼントを持って来たんだ。ミュージック、スタート」
俺が指を弾くと同時にかかる、『私のカレは♪ドクズ野郎?』。
やつらにとって聞き慣れた曲ではあるだろうが、それでも大ファンである『ダメンズ』の曲がかかったことで、クラスメイトたちの目に徐々に生気が戻っていく。
「これは『ダメンズ』の……」
「そう、お前らの大好きな『ダメンズ』だ。そして今かかってる曲のCDがここにあるんだが……これには雪菜とアリサのサインが入っていたりする」
「「「!?」」」
「勿論、今日の日付入りの本物だ。これを今日の訓練の成績が一番良かったやつにプレゼントすると言ったら……お前らはどうする?」
「「「なんですと!!??」」」
俺の言葉に、男子たちの目の色が露骨に変わる。
「マ、マ、マジですの!? こんなレアなアイテムを、貰っちゃっていいんですの!? わたくしも、わたくしも訓練に参加しますわぁぁぁぁぁぁ!!!」
ついでに伊集院の目の色も露骨に変わる。
着ていたジャージを放り捨て、何故かブルマー姿で準備体操まで始めていた。
「ああ。ちなみに他にもいくつかサイン入りCDがあるから、それを日替わりでプレゼントしよう。勿論成績一位だったやつにな」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!?」」」
「あと今日は特別に、雪菜とアリサから差し入れのお菓子も受け取ってきている。これは数に限りがあるから、先着順な。とりあえず、先にトラック十周したやつにくれてやるぞー」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
「わたくしも、わたくしもそのお菓子くださいませ! 家宝にしますからぁっ!?」
咆哮とともに一斉に駆け出すクラスメイトたちと、自分にも渡すよう縋ってくる伊集院。
「じゃあ伊集院もあいつらに混ざって十周な。そこは平等にしないと示しがつかんし」
「分かりましたわ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
俺が顎でグラウンドを指すと、伊集院は裂帛の気合とともに勢いよく駆け出していく。
その後ろ姿に満足しながら、俺は拡声器をゆっくりと下して息を吐いた。
「ふぅ、扱いやすいやつらばかりで助かるぜ」
「お疲れ様です、ご主人様。流石の人心掌握術ですね」
「そう褒めるなよ。あ、ついでにこれを頼む。さっきも言ったが、袋の中にCDが入ってるから、あいつらのやる気が下がったタイミングでその都度渡してくれ。目の前に人参をぶら下げないと、走らないやつらには丁度いい起爆剤になるだろ。女子にも同じようなやり方をしてくれたら万々歳だな」
言いながら、一之瀬へと袋を手渡す。
やり方は示したし、こいつならソツなくこなしてくれるだろう。
「かしこまりました。この鮮やかな手腕、お嬢様にも見習って頂きたいものです」
「ん? まぁあいつはあれでいいだろ。こっちとしては簡単に操縦できて助かるし」
『ダメンズ』の名前を出すだけでこちらの思い通りに動いてくれる金持ちとか、素直に有難い。
伊集院には是非とも末永くあのままでいて欲しいものである。
「ふふっ、まぁご主人様がそう言うのでしたら仕方ありませんね」
「迷惑をかけるな、一之瀬。そのうちなんか礼をするよ」
実際、一之瀬には結構な頻度で頼ってるしな。
いくら尽くすことが喜びだというメイドさんとはいえ、たまには労ってあげるべきだろう。これは間違いなく本心だ。
「……でしたら、その。今ひとつお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
そう思っていると、一之瀬が上目遣いで俺を見てきた。
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