呪王の鹿~南宮大社380年目の謎に挑む~

法信佑

序章


【水に生じて、五色をこうむりて泳ぎ、故に神なり。少ならんと欲すれば即ち化して蠶蠋さんしょくの如く、大ならんと欲すれば即ち天地をれ、のぼらんと欲すれば即ち雲气うんきを凌ぎ、下らんと欲すれば即ち深泉に入り、変化すること日無く、上下すること時無く、之を神とう】

                          『管子 水地三十九』


「いいかい、まこと。この南宮さんにはね、すごい秘宝が眠ってるんだよ」

「ヒホーって何、婆ちゃん」

 神社の奥の森からどよめく蝉時雨の大音響に声をかき消されないよう耳をそばだてた真少年は、青空の光に紛れる祖母を眩しそうに見上げた。

 白い後ろ髪が帽子から短く垂れ、銀色にキラキラ光っているようにも見える。ツバ越しに見える深く被った祖母の帽子の脇には「坂城和佳さかきわか」とのマジックで書かれた文字が汗で滲んでいた。

 軽装の登山服に身を包んだ祖母は少年の歪んだ帽子を力強く直して言った。

「私が新たに発見した秘密のお宝だよ。真も小学三年生なら宝物くらい分かるだろう」

「それくらい知ってるよ、テンショー大判とかコウシュー金とか」

 朱色の楼門を潜りながら真は握ったラムネの空瓶をむきになって振った。勢いづいたビー玉がカラカラとガラス風鈴のような音を立てた。

「おや、よく憶えているじゃないか」

 何分九歳だ、天正や甲州という言葉の意味をどれだけ理解しているかは定かでないが、その用語が流暢に出てくる事自体、歴史好きなのは容易に判る。和佳は瓶を受け取って健康的な前歯を笑って見せた。

 真は得意げに鼻をうごめかした。

「そりゃあ、歴史好きの婆ちゃんに色々教えてもらってるから。戦国は任せてよ」

「それならこの南宮大社は戦国時代に誰が建てたか答えられるかい」

 和佳はからかい気味の視線を送った。

「婆ちゃん、それは戦国じゃなくて江戸時代だよ」

 真は手水舎の柄杓で手を洗い、その水滴を振り払いながら答えた。

「それに正確には建て直した、だよ。関ヶ原合戦でここの神社全部燃えちゃって、それを建て直したのが三代将軍徳川家光。あ、後、かすがのつぼねって人。学校でも習ったよ。夏休みの自由研究もそれで仕上げたし」

「偉い偉い。地元をよく勉強してるねえ。よし、じゃあ婆ちゃんがご褒美に後でかき氷を尾張屋さんで選んで買ってやろうかね」

「ホント。やったー。だから婆ちゃん好き」

 拝殿に向かう和佳の両腕を後ろから掴んで真は揺さぶった。

 和佳の夫は五年前に逝去しているが、真は予てから祖父より祖母に懐いていた。両親は仕事の関係上海外赴任が多く、事実上和佳が育ての親であり、食事から勉強まで甲斐甲斐しく世話をしていたので孫が慣れ親しむのは道理とも言えた。

「これこれ、そういうのは姫香ちゃんにでも言っておやり。仲良い幼馴染みの一人なんだろ。同じ地域の班なんだし」

「えー、姫香。やだ、あいつ、最近やたら突っかかってくるんだもん。それに空手道場に通い始めたって。全然女らしくないし」

「そうかねえ、姫香ちゃんは活発だけど充分可愛い女の子だと私は思うがね。あ、真はそれよりお淑やかな大野さんちの孫娘の方がお気に入りなんだね。あの子は巫女の跡継ぎだから。だから真もよくここに参拝に訪れ……」

「もうそんな話はいいから。お参りだよ!」

 赤らめた顔を悟られまいと下を向いて真はポケットから五円玉を取り出し賽銭箱に静かに落とし入れ、祖母に倣い二礼二拍手一礼をした。そして暫くすると手を合わせたまま右目を薄く明けて、境内北側神官廊前にぽつんと建っている、細長いプレハブで出来た授与所を覗き見た。

「何だい、やっぱりあそこが気になっているんじゃないか」

 動作に気付いた和佳は呆れた顔を孫と授与所に向けた。

 拝礼にも気が漫ろなくらい建物が気懸かりなのは愛しく想っている証に他ならない。やたら大社について来たがるのはもう一人別の幼馴染みに会いたい名目に過ぎないのは和佳も薄々感づいていた。

「大野のお嬢ちゃんならこの時間授与所で巫女の手伝いしてるだろうよ。その時間覚えてるから私を引っ張って来たんだろ。会いたいなら堂々と会いにいけばいいじゃないか」

「わーわー。いいから、ほら、かき氷食べさせてくれるんじゃないの」

 授与所から離れた高舞殿の縁に沿って真は和佳の背中を押しながら楼門から押し出した。無関心を装い授与所から顔を背けてはいるが、その窓口から見える小さな黒髪の少女をチラチラ見てはにかんでいる。

 全く我が孫ながら素直じゃないね、と忍び笑いをした和佳は空瓶を店のごみ箱に捨てるとウエストポーチから財布を取り出した。

「あ、婆ちゃん、僕、今日はレモンじゃなくメロンの奴がいい」

 出し抜けに発せられた頼み事にギクリと肩が揺れた。

「何だって」

「かき氷、レモン味選ぼうとしてるでしょ」

「どうしてそう思うんだい」

 心中を読まれた和佳は動揺を隠すように問い返した。

「だって婆ちゃん出掛けにスーパーのチラシに載ってたカップのレモンかき氷の所にペンで大きく丸書いてたじゃない。家の冷凍庫にイチゴ味はあるから最初からレモンの買ってくれる気だったの丸わかり」

 真は菓子屋の冷凍ケースの扉をスライドさせて鼻歌を口ずさみながらガサゴソとメロンを象ったプラ容器のかき氷を探した。

「いやいや、あれはそもそもチラシだろ。また別日にそこへ買いに行く予定だったかもしれないじゃないか。それが何故ここのかき氷って話になるんだい」

 苦笑いしつつ仰天する祖母に真は底から探り当てたメロンシャーベットを二つ差し出して微笑んだ。

「先ず買って。暑いから」


 それから真は店の近くの木陰が落ちた、木製にみえる小さなコンクリートベンチに座り、かき氷頭痛にこめかみを叩いて喜んでいた。

「婆ちゃんはさ」

 メロンシャーベットが半分無くなる頃、木製匙で溶けかけた氷を混ぜながら少年は話し出した。

「僕がイチゴの次にレモン味好きなの知ってる。だからきっとそれを選ぶと思ったんだ」

「いや、私がチラシ見てスーパーで買おうとしてたかも……」

「それはないよ。大体あれ、昨日までの売り出しだもん」

 真は祖母の弁明を遮って匙を振った。

「そ、そうだったかい」

 同じ氷果を食べながら和佳はその状況を思い出していた。確かにその広告はたまたま古新聞とチラシの整理をしている時に見付けたもので期日までは気にしていなかった。

「そうだよ。それに今日こんなに暑いのに町のスーパーまでわざわざかき氷買いにいかないでしょ。婆ちゃん車もバイクも免許ないし、父ちゃんも母ちゃんも海外だから正月まで帰ってこないし」

「そりゃそうだけど」

「昼間自転車で遠いスーパーに行くなら、いくら持ち帰りの氷を袋に詰めても帰りにかき氷溶けちゃうよ。コンビニも遠いし、夜は婆ちゃん外出しないし。それに今日は尾張屋しか店開いてない」

 がらんと人気のない、猛暑で景色揺らめく参道の北へ少年は目をやって、溶けた氷を一気に飲み干しながら最後に決定打を言い放った。

「何よりも冷凍庫一杯で何も入らないから」

「ちなみに、真、今日の夕飯は何か分かるかね」

 畳み掛けるように和佳は尋ねた。時を移さず真は言い放った。

「冷やしうどんで決まり」

「う」

 素早い正答に喉が詰まった。理由を尋ねると少年は、冷蔵庫に切った薄焼き卵とキュウリとハムとトマトあったからと説明した。その具なら冷やし中華かもしれないじゃないか、と幾らか躍起になって返すとあっさりこう応じられた。

「だってうどんの乾麺テーブルに置いてあったよ。冷蔵庫に冷やし中華の麺ないし。それに婆ちゃんいつも僕の好きな物作ってくれるから。だから明日の昼は多分ハンバーグカレーとセロリのサラダ」

「な」

 次から次へと逐一当てられ続け、額に汗を垂らす祖母に孫は人差し指を挙げた。

「ほら、明日は剣吾が家に遊びに来るの前から知ってるよね。子供用ハンバーグ二個とセロリ別に買ってあったし、もう焼いてあったもん。今日剣吾用のカレー皿洗ってたの見たよ。婆ちゃんのカレー剣吾も好きだからあいつ絶対喜ぶよ。ただ、セロリのサラダ好きなの剣吾だけ。うちはみんな苦い物苦手だから」

「……」

 鋭い明察に二の句が継げなかった。生来敏い孫ではあった。行方不明の老眼鏡を瞬く間に探し当てたり、電話の着信音と同時にかけてきた相手を直ぐさま断じたりした。後で子細を聞くと「その人の癖とパターン」みたいな答えを容易に返す。

 去年辺りからクイズやパズルに興味を示したので問題を与えるともっとよく考えるようになった。それでも大人並みの観察眼に和佳は驚かざるを得なかった。

「苦い物も体にはいいんだよ。真も少しは剣ちゃんを見習わないと」

 孫の成長を喜びながら和佳は相好を崩した。すると誤魔化すように真は話題を変えた。

「それより、婆ちゃん、春日局かすがのつぼねってそんなに有名なの」

「有名だよ。どうしてだい」

「前にハルヒキョクって言ったら先生に笑われた。郵便局みたいで変な名前」

 真はふてくされた顔で交互に足をブラブラ振った。歴史が好きとはいえ小学校中学年ではその授業すらカリキュラムに組み込まれていない。春日局を正しく読めないのは当然である。和佳は優しい口調で教えた。

「春日局はその時の天皇からもらった名だよ。本名は斉藤福、いや、結婚したから稲葉福か。大奥を作った人でもある。とても名の知れた、徳川家の重要な人間だよ」

「大奥って?」

 子供らしく無邪気に、返答に窮する質問を投げ掛けてきた。和佳は些か困った顔で言った。

「それは今知らなくて良い。春日局は家光公の乳母。育ての親みたいな人だったんだよ」

「ふーん、ところで南宮さんのお宝って何。ホントに小判とか」

「ふふふ、残念、全く違うね」

「あ、サンジョーの刀ってあるよね、斉藤ドーサンのヨロイとか」

 三条の刀というのは名匠・三条宗近作の名刀で、全国で五振りしか残っておらず、戦前は国宝に指定されていた刀剣である。また美濃の戦国大名であった斉藤道三の甲冑も南宮大社に奉納されていて、共に大社の宝であるが和佳はハズレと人差し指を振った。

「婆ちゃんが新しく見付けたって言ったろ。世界広しとはいえ婆ちゃんが只一人捜し当てたお宝だと思うね」

「やっぱ金銀ザイホーざっくざくとか」

「だったら今頃大ニュースになってるよ。それよりもっとドキドキする面白いものさ。なら少しだけ教えてやろう、ここの神社にはね、すごい謎が隠されているんだよ」

「謎、何何、どこにあるの」

 食い付くように真はグイと祖母に身を乗り出した。謎解きに興味津々なのか瞳孔が大きく開いている。謎は解くのも面白いが、人が懸命に解く姿を見るのもまた面白い。和佳はにんまりと笑み顔を作った。

「それは自分で考えて探してごらん。必ず境内の見える場所にあるから」

「えー、ちょっとだけヒント頂戴」

「ヒントかい。そうだね」と和佳は一考してから閃いた。

「緯武経文って習って……ないわね、まだ真の年だと」

「イブ、ケイブン?」

「中国の言葉で、文武両道、今なら運動も出来て勉強も出来てって事だよ。でもそれにはもう一つの、別の意味もあるんだ」

「? ? ?」

 ヒントがヒントになっていない。混乱して首を傾げる孫に和佳は例えが難しすぎたか、ともう一度別のヒントを出した。

「じゃ、クロスワードパズル分かるよね、真好きだろう」

「うん。学級新聞のもよく作ってって頼まれる」

「おやおや、作る方とは謎解きに心強い。ただ、どちらにせよ今の真の年齢じゃ無理だ。説明するには高校生くらいの学力を身につけないと」

「そなの」

「ああ。でももし答えが見つからなかったらその時は垂井中の観光地を見て回るといい。ヒントはどこかに眠ってる。けど真ならいつか解いてくれそうな気がするよ。だからお宝の話は婆ちゃんと真、二人だけの秘密だ。いいかい、誰にも喋っちゃいけないよ。親にも友達にも。剣ちゃんにもだよ。あっと驚くミステリーだからね」

「ミステリー! ワクワクするね」

「そう、この南宮大社に相応しいお宝だよ。真が立派な大人になって、真自身がそれを発見したらここで同じアイス食べながら答え合わせをしよう、ほら」

 祖母は右手の小指を出した。

「分かった、誰にも言わないし、僕もいつか絶対そのお宝見付けてみせるよ」

 嬉しさに昂揚した真は大きな指切りで約束を交わした。

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