怪物の趣味

アイアンたらばがに

火の手が上がる



 二つの月が地を照らす真夜中に、煌々と明るく村が燃えている。

 炎は空を舐めるほどに立ち上り、村全体を飲み込んでいる。

 そこかしこから家が崩れる音が鳴り響き、人の声は聞こえない。

 地獄のような景色の村を、痩せた男が息も絶え絶えに歩いていた。

 短い髪は火に焦がされてさらに短く縮み、細い手足は炎の中の枯れ枝のようにも見える。

 逃げ道を探しているのだろう。

 しきりに首を動かしては火の手の少ない場所へと進んでいる。

 足を引きずり姿勢は低く、口元を抑えて煙を吸い込んでしまわないように。

 けれども、足元にあった何かを踏んで男はその場に倒れてしまった。

 額から血を垂らしながら、男は起き上がろうとして自らが踏んだものを見る。

 焼け焦げた人の腕が男に踏まれて変形し、まるで逃がすまいと男の足首を掴んでいるように見えた。

 驚きと恐怖で思わず息を吸い込んでしまいそうになる。

 自分の腕を噛んで浅く呼吸をしながら、男はその場から逃げ出した。

 燻し出されるようにして村から飛び出した男は、近くにあった枯れ木に背を預けて大きく深呼吸をする。

 そこから村が一望できた。

 地上に太陽が落ちてきたかと思うような酷い光景だった。

 今更体が震えだす。


「僕は、こんなところで、死にたくない……!」


 言葉とは裏腹にどんどんと呼吸が苦しくなる。

 視界の隅がどれだけ目を凝らしてもぼんやりとしてしまって焦点が合わない。


「誰か、助けてくれ……!」


 人一人居ない夜の野原に男の叫びが溶けてゆく。

 瞼が閉じてしまいそうになるのを、男は必死でこじ開ける。

 一度でも閉じたなら二度と開けなくなる気がして、嫌に寒くなる。

 うすぼんやりと人の輪郭が見えたのはその時だった。


「助けてほしいですか」


 子供の声が耳にまとわりつくように鮮明に聞こえてくる。

 なりふり構わず、男は目の前の子供にしがみついた。


「助けて……助けて、くれ!」


 自分でも驚くほどに大きく、情けない声を上げて助けを求める。

 子供は男の瞼を手で押さえて、目を閉じさせようとする。


「い、やだ……」


 死んでしまいそうな予感がして縋り付く手を離そうとするが、もはや手を開く体力すら残っていない。

 男の視界が闇に染まる。

 思い切り目を開けようと力を入れると、男が思っているよりも瞼は軽かった。

 月と星の明かりが照らす野原で、小さな女の子が男を見下ろしている。

 牛乳のような白い肌と夜闇よりもなお黒い髪。

 夜空を写し取ったような黒い瞳には光が幾つも明滅し、どこか人でなしの気配を感じさせる。


「はい、助けましたよ」


 女の子はにこりと口角を上げて、首を傾げている。

 男の頭が混乱していなければ、すぐに逃げの一手を取っていたであろう怪しさだ。

 もっともこの時点で男に選択肢は無くなっている。


「きっとお優しい方でしょうから、助けた見返りに私のお願いも聞いていただけるでしょう」


 男を見下ろしながら、女の子は笑う。

 口が裂けてしまいそうなほどの笑顔を見て、男の本能がようやく危険に気付く。

 男の頭が理解するよりも早く、体が行動し始める。

 腰に着けていた短剣を素早く抜いて、女の子の目を切り裂こうと振るう。

 男の取れた行動はそこまでだった。

 短剣は女の子の目を切り裂けず、跳躍の姿勢を取っていた男は地面に縫い付けられたように動けなくなる。


「私のお話、聞いてくださいますよね」


 目に深々と短剣を突き刺したまま、女の子は男へと近寄る。

 男の顔色が女の子が近寄るたびに青褪めてゆく。


「来るなよ!お前何なんだよ!気持ち悪い!」


 喚きながらなんとかその場を逃げ出そうと体をよじる。

 けれども女の子は男の腕すらも自分に貫通させて顔を近づけてくる。

 男の腕には体液の伝う感覚も無ければ、体温すらも伝わってこない。

 何かが腕に触れている感覚だけが気持ち悪いほどに続いている。


「私は怪物です、私は目的があってここへ赴きました、聞いてくださいますよね」


 怪物を名乗る女の子は何度でも何度でも、男が肯定する意思を見せるまで問い続けるという意思を感じてしまうほどにしつこく問い掛けてくる。

 歯をカタカタと震わせて出来の悪い笛のように喉を鳴らしながら、男は首を縦に振るしかなかった。


「あぁ良かった、もしも断られていたらどうしようかと考えていたのです、思い過ごしで本当に良かった」


 男の腕から顔をずるりと引き抜いて、怪物は傷一つない顔で微笑む。

 痙攣と見紛うほどに震える男を見据えながら、淡々と話し始めた。


「私は好みではない物語をめちゃくちゃにするのが趣味なのです、今ここで起きるはずだった物語をめちゃくちゃにしに来たのですよ」


 怪物の話を聞きながら、男は何か引っかかる部分を感じた。

 それが自分と何の関係があるのだろうか、気になってしまってしょうがない。

 しかし口を挟むとどうなることか、恐ろしさで口が動かない。


「もちろんあなたにも関係はありますよ、あなたが物語の原点と言っていい存在ですもの」


 すると男の考えていることを読み取ったかのように、怪物は話し続ける。


「セーシュさん、あなたが村を燃やすことが物語の始まりに必要な条件でした」


 怪物はそう言いながらセーシュと呼ばれた男を指差す。

 怪物の一挙手一投足にいちいち反応するセーシュだったが、この発言には更に増した反応を見せた。

 確かにこの村の火災はセーシュが放った火が、偶然持ち込まれていた大量の燃料に引火したことがきっかけだった。

 後先を考えずに行った愚かな行為だが、ばれないようにするのなら多少の知恵は回る。

 隠密行動には自信のあるセーシュが久方ぶりに本気を出して忍んでいたのだから、気づく者など居るはずも無かった。


「どうして、そのことを……」


 思わず呟いたセーシュの眼前で、怪物は遊ぶように指をくるくると動かす。


「見ていましたし、聞いていましたから」


 当然でしょうと言いたげな表情でセーシュを見つめる怪物。

 恐怖と混乱でぐちゃぐちゃになっていたセーシュはさらに自信をも砕かれて、うなだれてしまっている。


「あら、そんなに反省しなくとも良いのですよ、だってそんなことは起きなかったのですから」


 怪物に力任せに顔を持ち上げられて、セーシュは燃やした村の方へと視線を向けさせられる。

 とても静かだった。

 あんなにも真っ赤に燃えていた炎は痕跡すら残らずに消えていて、月と星の光が優しく村を照らしている。

 村は何事も無くそこにあった。


「は?」


 腑抜けた声が彼の意に反して口を飛び出す。

 口はぽかりと開けたまま、何が起きたのか分かっていない頭だけが必死に理解をしようと動いている。

 くすくすと耳元で怪物の笑う声が聞こえてくる。


「そんな変な顔をしないでください、私はあなたを助けてあげただけなのですよ」


 煮えたぎりそうなほどに働く頭を手で押さえて、セーシュはふらつきながらも立ち上がる。

 目線だけは縫い付けられたように村の方へと向いている。


「助けたって……なんだよ、どういうことだよ」


「あなたを助けるために火災を無かった事にしたのですよ」


 セーシュの疑問に対して、怪物は更に不思議な答えを返す。

 何を言っているのかこいつと言った疑問や、何が何だか分からない感情などが混ざりあって、セーシュはただ目を見開いて怪物を見つめることしかできなかった。


「まあ、あなたには到底理解できないと思いますよ、私は万能ですもの」


 得意げな顔をしてセーシュへと視線を返し、怪物は村の方へと移動を始める。

 まるで地面の上を滑るように、音も立てずに進んでいく。


「……は?お、おい、何する気だよ?」


 その様子をきょとんと眺めていたセーシュだったが、怪物が少し移動したところで我に返った。

 ふらつく足取りでなんとか怪物を追いかける。

 怪物はセーシュの方を振り向きもせずにただ進む。

 寝静まった村を通り抜け、近くの森へとやってきた怪物とセーシュ。


「さぁ着きましたよ、早速あなたのお仕事の時間です」


 セーシュの方へと振り向いて、森の奥へと誘うように怪物が手を差し伸べる。

 なぜか着いてきてしまったセーシュは、今にも逃げ帰りたい気分だというのに足が言うことを聞かない。

 意思に反して着実に森へと歩みを進めてしまう。


「なんだよなんだよなんなんだよ説明してくれよ!」


 錯乱して怪物に説明を求めるセーシュだったが、目の前の光景に体が強張る。

 周りを警戒するようにぎょろぎょろと忙しなく動く大きな眼球。

 大きく裂けた口からは鋭い牙が見え、泡混じりの涎が吹き出している。

 ゴツゴツとした腕で石や棒を握り締め、器用に振り回しながら歩いている。

 小鬼と呼ばれている魔物が群れを為して移動していた。


「ッ……!?」


 叫び出しそうになるのをなんとか押さえて、セーシュは怪物の方を振り向く。

 声を出さずに口を動かして帰りたいと伝える。


「だめです」


 怪物はそれを許さない。

 ニッコリと笑いながら、子供のような残酷な目でセーシュを見据える。

 青褪めて冷や汗を流すセーシュだったが、ふと起死回生の案が思い浮かぶ。


「そ、そうだ!怪物は強いんだろ!?あんな奴ら一瞬で蹴散らせるよなぁ!?」


 名案だと信じてセーシュは捲し立てる。

 しかしすぐに口を噤んだ。

 怪物が耳にまで届きそうなほどに口角を釣り上げて笑っている。

 彼の予知とも呼べるほどに鋭い危機回避反応が、警鐘をこれでもかというほどに鳴らしている。


「本当にやっていいんですね」


 怪物の言葉が死の宣告のようにセーシュの頭に響き渡る。

 浅い呼吸を何度も繰り返しながらセーシュが首を横に振ると、怪物は以前の微笑みへと戻った。


「賢明な判断です、私は少し気を良くしましたので、少しネタばらしをしてあげましょう」


 セーシュの頭を鷲掴みにして、怪物は無理やり小鬼の方へと視線を向かせる。

 小鬼たちはセーシュの喚き声などまるで聞こえていないように歩き続けていた。


「あなたの出す音は彼らに気付かれず、あなたの姿は見えません、存分に性能を発揮してください」


 怪物はそう伝えると、続いて村の方へとまたもや強制的に目を向けさせる。


「彼らと村の住人には呪いをかけました、あなた以外のものから受けた被害はあなたにも適用されます、気を付けてくださいね」


 淡々と規則説明でもするかのように伝えて、セーシュの頭を手放した。

 セーシュの体の震えは幾分か収まってきたようだ。

 それでもなお不安そうな顔で小鬼を睨むセーシュの耳元で怪物が呟く。


「彼らを殺さなければ、私があなたを苦しめて殺します」


 瞬間、セーシュの足が地面を力強く蹴り、小鬼の一団へと飛び掛かった。

 最後尾に居た小鬼の首から短剣の切っ先が飛び出す。

 悲鳴の代わりに血を噴き出す同族を見て、恐慌状態に陥った一団が村の方向へと逃げ出した。


「逃がすか……!」


 先ほどまでとは一転して殺戮者の顔になったセーシュ。

 血塗れになりながら小鬼を追いかけるセーシュを見て、くすくすと笑いながら怪物はついていく。

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