第10話
現在入学2日目の午後。今日1日はクラスの顔合わせや、オリエンテーションがメインみたいで授業もなく、こうして保健室でぼーっとしていても登校日数は満たし、単位的な問題は発生しないらしい。
「君は良き隣人を得たとして、ここで何をしているのかしら。」
「先生も良き隣人になりませんか?」
養護教諭はこちらを一瞥し、すぐに正面のデスクワークを再会する。
「そろそろ部活紹介とかあるわよ。せっかくだから運動部はともかく、文化部の見学にでも行ったらどうかしら?」
「私の家は門限があるので無理ですよ。基本的に放課後直ぐに歩いて帰らないと間に合いませんからね。」
「生粋の箱入りね。他人との距離の測り方が0か1しかない理由が分かったわ。」
生徒同士の会話を盗み聞きしていたくせに、随分と擦ってくるからたちが悪い。その上で彼女の0か1かという言葉に既視感を覚える。数秒間黙っていると、こちらの機嫌を損ねたと思ったのか、養護教諭は立て続けに話す。
「流石にもう高校生なんだから、親御さんに相談して門限くらいはどうにかならないものなの?」
机に向かったまま顔を上げない彼女の話を聞き流す。会って2日目に、よく知りもしない家庭の事情に口を出す人間を初めて見た。知らない様子を装っているが、寧ろ知っているから出る言葉だ。きっと私が難しい、無理だと言って、そうして会話が終わると思っているのだろう。
「じゃあ先生からもお願いして下さいよ。」
「え?」
一石投じてみると、案の定強い反応が帰ってくる。久しぶりに上げた顔に、無理と書かれた瞳がしっかりと嵌め込まれている。
「確かに高校生にもなって、部活も入れないと寂しい学校生活になるんでしょうね。お友達が少ないと寂しいですよね。」
「大根役者ね。」
平静を取り戻した養護教諭は再び背を向けて、机に向かう。彼女の行動から、母との力関係が透けて見える。試しに保健室に長時間居座っても、軽い小言は飛んでくるが、強く追い返そうとする気配はまるで感じられない。元々不真面目な養護教諭だと言われたらそれまでだが、そんな様子もない。母は事前に連絡などと言っていたが、実際には何を言われたのやら。
「冗談ですよ、私の両親は結構厳しいのです。」
「それは残念ね。」
全く残念そうに見えない彼女の後ろ姿から、美波さんが持ってきてくれたプリントの束に目を落とす。美波さんくらい優しい養護教諭だったら良かったなどと考えていたら、プリントを捲る時に紙の端で指を切ってしまった。
「痛っ」
驚いたようにビクッとこちらを見た彼女は救急箱を取る為に席を立った。
「これくらい大丈夫ですよ。」
「いいから、いらっしゃい。」
先程の0か1という言葉を思い出し、指を消毒されながらふと聞いてみることにした。
「先生は私のストッキング欲しい?」
軽く脚を開き気味に投げ出してみるが、保健医は傷口を見たまま、何を言っているんだという顔をした。
「大人相手にそういう商売をするのは危ないからやめた方がいいわよ。」
商売?よく分からない返答をされたが、彼女は私のストッキングを欲しいと思わない様だ。
「はい、もういいわよ。」
養護教諭はいつの間にか張り替えられた新品のゴミ袋に血を吸ったガーゼを放り込み、こちらに向き直る。
「先生意外と優しい。」
「意外とは余計よ。」
そんな軽口を叩いているうちに、放課後を知らせるチャイムが鳴る。ベット傍に置いてある荷物を持って帰ろうとすると彼女に呼び止められた。
「見られたり、聞かれたりしたくないことは保健室でしないでちょうだい。」
盗み聞きを正当化しないでよ、という言葉を呑み込み、見聞きされたくない事柄は無かったという前提で答える。
「名前も知らない先生に見聞きされて困ることなどはしてないですし、しませんよ。」
「あら、名乗ってなかったかしら。私は」
「さようなら先生、私は門限がありますから、また明日。」
「さようなら、水原さん。また明日も入り浸る気なのかしら。」
私は何も答えずに、あまりゴミの入っていないポリ袋の口を縛る養護教諭に手を振り、保健室を後にした。
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