狼の紋章
人がメロディーに合わせて流れるように、音楽がゆったりと流れるように、それと同時に、華やかな時は流れ、巡る朝がやって来た。
彼女は、伯爵夫人が起床する何時間も前に起きなければならない。その法に準じて、今日も、眠い目をこすりながら体を起こした。
使い古された服に着替えて、長い髪をまとめ、いつもと変わらず、真っ先に庭へと向かう。
「おはようございます」
「……」
門の前に厳かに建っている門番たちに軽く挨拶をしてから、割れんばかりに詰められたポストを開けるのだ。
伯爵にも、伯爵夫人にも、誰からも頻繁に手紙が届く。
とくに夫人は、男性から熱烈な恋文が、女性から恨みつらみを書き詰められた手紙が届くのである。
こういった行事の後には余計に届くため、その管理や整理もメイドの仕事の一つとして課せられていた。
バサバサと音を立てながら、封筒の山を抱える。
(また、こんなに手紙が…。整理が大変だわ)
彼女はため息をつきながら、いつも通りの仕事をゆっくりと始めるのだった。
身分の高い方から順番に並べていき、女性から送られてきたものは捨てる。そんな単純な作業をこなしていくうちに、彼女は少しばかり、違和感をおぼえた。
同じ人物からの手紙は重ねて置いている。が、その置かれた手紙たちのなかで、一つだけ、山のように積まれているものがあったのだ。
その封筒の中心は、赤色の狼の紋章で止められていた。
かのフランツブルグの紋章である。
(まさか。いくら奥様だからって、あの家と関係を持つことになるのかしら)
しかし、相手の意思はその封筒たちによって語られている。
彼女は順番に整えたおびただしい量の手紙を抱えて、伯爵夫人の私室にまで運んで行く。
音を抑えるようにノックし、無関心そうに爪の手入れをしていた夫人に手渡した。
夫人は彼女のことを見ることすらもせず、封筒の宛名を見て、さらに手紙たちを仕分けていく。
身分の低い者から、そして、都合の悪い者からのものは、封も切らずに捨てられているのであった。
彼女は、次々に落とされていく封筒を拾う。あえて手紙を落として拾わせるのも、夫人の悪い趣味なのである。
が、夫人の封筒を撫でる手も、しばらくすると止まりがちになった。
「…フランツブルグの方からの手紙、多すぎるのだけど。こういう方って、面倒なのよねえ。まあいいわ」
夫人は内心まんざらでもなさそうな表情をして、さっそく開封し、収められた熱烈な文章を眺め始めた。
他人からちやほやとされるのが好きな夫人であったから、あまり後先は考えていなか ったのであろう。彼女の心配そうな表情も目に入らないといった様子で、意地の悪い笑みを浮かべていた。
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