第25話「命乞い」

薄暗い倉庫の中、平治は棚と棚の間を縫うように逃げる。


「逃げるな!それでも警察か!」溶接マスクの怒鳴る声が聞こえ、炎が噴き出す音がする。


その瞬間、小麦袋や棚の隙間から炎の塊が飛び出してくる。


平治は肌が焼けるような熱気を感じつつ、辛くも避けつつ逃げていた。


時折身体を翻し、牽制で反撃する。


カービンを連射した。


溶接マスクの身体に何発か当てるものの、火花が散り、よろめかせるのみである。


溶接マスクは体勢を戻して叫ぶ。

「無駄だ!」


さらに火炎放射してくる。


平治はある程度の距離を取りつつ、入口付近へとおびき寄せている。


平治はある疑問を抱いていた。


先ほどから火炎放射を浴びせてきてはいるものの、どう見ても射程は3乃至5メートルほどと非常に短い。


背中のタンクは大ぶりなのに、なぜここまで射程が短いのだろうか。


武器の不備だろうか。


日本の陸軍工兵が所持している携帯火炎放射器でも20メートルは通常燃料で射程があるはず。


それに、室内で粉塵爆発のおそれや、酸素欠乏のおそれもあるのに盛んに噴射して来る。


室内での戦闘武器としてもこの火炎放射器よりピストルの方が有効だ。


溶接マスクは足が遅く、平治に遅れを取っている。


平治は吉和の言葉を思い出した。


「革命勢力」


平治はほくそ笑んだ。そうだ。

革命か…


所詮こいつらは寄せ集めの素人だ…平治はそう思った。


「垣さん!どのあたりだ!」平治が垣を呼び出す。

平治は入口の近くへ近づいていた。


垣が散らしたと思われる小麦が散乱し、周囲は霧がかったように白かった。

視界もさえぎられるほどである。

小麦粉の香りが充満している。


垣の姿は全く見えない。


「いいぞ…平治」垣が言った。「もう20メートルだ!」

垣からは平治が見えているようだ。


「どっちに?!」


「あーっと…あのなんだ。軍隊のいう…お前から見て…二時の方向!」


平治は20メートルほど移動した。

うっすらと追跡してきた溶接マスクの姿が見え始める。


「来たぞ…」と平治


「よしよし。いいぞ」垣が言った。「平治!そいつを足止めできるか?!」


「無茶言うな。軍隊上がりだって人間だぞ。丸焦げにされちまう」


「頼む!動き回られたら失敗するぞ!」垣が言った。


「くそっ!」平治はそういうと、接近して来る溶接マスクを見据えた。



溶接マスクは小さな炎を出し、近づいてくる。


心なしか、小さな炎が、酸素か何か吹き込まれたようにぱっと大きく発火している気がする。粉塵に反応しているのかもしれない。


平治はため息をついた。

しくじれば危ない。

だが、素人の「革命勢力」なら勝算はあるかもしれない。


平治は溶接マスクと対峙した。


「見つけたぞ。国家権力の犬め!」溶接マスクは怒鳴る。


「はあ、はあ。参った。」平治は大きく息をつき、降参を申し出た。「もうあんたには勝てない。投降する、殺さないでくれ」


「なにい!?」溶接マスクは信じられないという感じで言った。「本気か?このまま焼き殺してしまうぞ」


「頼む!」平治は悲痛な面持ちで叫んだ。「俺にも家族がいる、勘弁してくれ!」

平治はカービンを足下へ放った。

がしゃんと音をたて、平治愛用のカービンは床に落ちた。


「ふーむ。なんと情けない」溶接マスクは立ち止まって言った。「俺は国家権力の犬と戦っていなかったのか…。所詮、サラリーマンと戦っていたってわけか。貴様には警官としての誇りはないのか」


「ない。俺は給料がもらえればそれでいい。死にたくない、生きて帰りたい。許してくれ」平治は情けない声で言った。


溶接マスクは高らかに笑った。

「ああ、なんと情けない!お前は気骨ある警官と思ったが、所詮はその程度か。この俺が出るまでもなかったな」


「いいぞ…いいぞ…平治」垣が無線でつぶやいている。


溶接マスクは足を止めて話す「貴様ら特殊の恐ろしさを買いかぶっていたようだ。『牙』の方々も貴様らの実力を測りかねていたのかもしれないな」


「『牙』とは?」と平治。


「冥土の土産に教えてやろう」溶接マスクは得意げに言った「われら、革命戦士の中でも精鋭中の精鋭だ。貴様ら国家権力や腐ったブルジョアどもを打倒する部隊だ。貴様ら警察特殊はおろか、軍隊の特殊部隊、ゲリラ部隊にすら引けを取らん」


「ゲリラか」平治がつぶやく。


「彼ら以上に精強で畏れ知らずの部隊は存在しない」溶接マスクは言った「彼らは元軍人や、元武装勢力、元特殊部隊員などが多数いる。いずれも、この腐った日本、汚れた世界に嫌気がさした方々ばかりだ。そして、彼らをまとめ上げるのは、日本軍最強の陸軍兵士と恐れられた男よ」


「なんだと…」平治は目をむいた。


【日本軍最強の陸軍兵士】


平治の知る限り、その称号で呼ばれていた男はただ一人しか存在しない。

平治の記憶は、再び数年前の離島…武装偵察に戻りかけていた。


「その男は…」平治は言った。絞り出すような声だった「その男は…顔に傷がある男か?」

平治の顔は、哀れな敗残者を装う顔から、険しい武装偵察隊員の顔に戻っていた。


「知らん。私ごときが会えたことはない」溶接マスクが答えた。


「いいぜ平治!10秒後に、5時の方向へ全力疾走しろ!」垣が無線で言った。


「最後の言葉を言え。聞いてやる」溶接マスクが言った。勝ち誇った様子で立っている。


「手短に言う」平治が言った。「お前らのような素人に、俺は殺せん」


「なんだと!この期に及んで革命軍を侮辱するのか!」溶接マスクが怒鳴った。


「革命軍だと、笑わせるな。お前らはオママゴトと絵空事で人を殺しているカルト野郎どもだ」


「貴様!焼き殺してくれる!」溶接マスクが叫ぶ。


平治は5時の方向へ飛び出していた。

溶接マスクに背を向け、斜めに逃げていく方向だ。


全力疾走である。

モモやふくらはぎ、背中、腹筋、全ての筋肉の持てる力を振り絞り、全力疾走した。


その瞬間、すさまじいスピードで走るフォークリフトとすれ違った。


フォークリフトの前面には、小麦の粉袋が積まれている。


そしてフォークリフトから、垣が決死の表情で飛び降り、宙を舞っていた。



フォークリフトは猛るイノシシが如く、溶接マスクへ突進した。


平治との会話で棒立ちになっていた溶接マスクは、まともにフォークリフトの突進を受けることとなった。


フォークリフトが溶接マスクに激突し、かっさらわれるように吹き飛んだ瞬間だった。



溶接マスクとフォークリフトを中心に爆発の光が飛び、激しい轟音と、衝撃波、爆風が飛んできた。

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