第3話「格闘訓練」

垣が心配したほどではないにせよ、研修は巡査たちにとって過酷なものだった。


朝6時からグラウンドをランニング…堅岩軍曹が並走し、しきりに檄を飛ばしていた。

だが、警官相手なので若干の言葉選びをしているように五百川は聞こえた。


続いて懸垂。

10回に満たないものは、引きずり降ろされ、懸垂1回あたり腕立て伏せ10回を課された。


垣は懸垂3回目にして引きずり降ろされ、泣きそうな顔で腕立て伏せをしていた。


運動が終わると、ご飯と無数の具を味噌で煮たちゃんこ汁の朝食をとる。

身支度をして、再びグラウンドに出る。


まず、徹底して教育されたのは


発砲音がしたら直ちに伏せよ


と言うことであった。


たとえ研修の最中でも、ランダムで軍の誰かが空砲を撃つ。

聞こえたら有無を言わさず伏せる。


少しでもまごついた者は腕立て伏せであった。


「連島衛星では、過激派や反政府勢力のクソどもが銃を持っている」と軍曹が言った。「連島では警察力が追いついてない。『武装する権利』とやら米国人みたいな事を言う連中が多い。だから銃の所持率は地球と段違いだ。いつ何時発砲されるか分からんのだよ」


地球の日本領地では銃の所持は一般人には困難であるが、連島衛星では許可制で、地球ほどのハードルはない。所持を希望するものは、犯罪歴のないこと、精神疾患等の精査などを通じ審査される。



午前中の集中力が高まっている間に、銃の取り扱いについて研修が行われた。



銃撃戦の要領、屋内や市街戦での身のこなし、小銃の扱い、爆発物、火炎瓶の対処要領などなど…


「なんだよ…これ。俺達戦争に来たんじゃないんだぜ」垣がこぼしていた。

垣が21式カービンの弾倉装填にまごつく。


五百川は慣れた手つきで弾倉をはめ、チャージングハンドルを引いた。


「なんだ五百川さん、すごいじゃん。ひょっとしてあんた、軍隊あがりかい?」

垣が五百川の手つきに驚いていた。


「16から少年兵団にいた。どっちかというと、拳銃よりこっちの方が慣れてる」

「それで楽しそうにしてんのか。やだねえ、俺には野蛮すぎるよ」




最も巡査たちを疲弊させたのは、格闘訓練だった。


巡査達は災害時等に着用する出動服を着て、ヘッドギアを被せられ、指抜きのMMAグローブを着けさせられると殴り合いをさせられた。



巡査の中でも、「制圧術特別訓練員」という警察武道の奨励員がいた。 

しかし、「制圧術」は実際のところ、実戦からは遠く乖離したポイント・ゲームでしかない。


決められた部位に、“正しい動き“を用いて快音を響かせて当てればポイントが入るという"武道ゲーム"なのだ。


制圧術訓練員の巡査は、陸戦隊の二等兵と対峙した。

パンチは顔に当て、音は鳴った。訓連員は「アゴー」と誇らしげに叫んだ。

撃剣試合の名残で、敵に攻撃が当たると、気勢を発するのが伝統であったのだ。


しかし、二等兵には、気勢どころか、奇妙な奇声にしか聞こえていなかった。

二等兵はすぐに間合いを詰めると両足をすくい、巡査を地面に押し倒した。


制圧術であれば、顔にパンチが当たった時点で試合が途切れる。

しかし、これは実戦を想定した無慈悲な格闘訓練なのであった。


二等兵は馬乗りになると、容赦なく巡査の顔を何度も殴った。


日本軍は、宇宙進出前から米軍よりMACP(アメリカ陸軍格闘術)を導入していた。

このMACPは、ブラジリアン柔術やレスリング、ムエタイ、ボクシングといった珠玉の現代格闘技から編み出された実戦主義の格闘術であった。


一方悲しいかな自治体警察部は、総合格闘技や現代格闘術の黎明期以前の、机上の空論で編み出されたお家芸を脈々と原理主義的に保守しているのであった。



無慈悲な軍隊のやり口に、巡査はうつ伏せに頭を抱える他なかった。


即座に軍曹がストップをかけた。


残念ながら、彼が巡査の中ではマシな方だった。


殆どが、投げ飛ばされ殴られ、鋭いパンチに尻餅をつき、蹴り飛ばされて倒れた。


殴り合いといった経験は大人になればなくなってゆく。

警察官といえど、殴り合いに慣れた者など少数なのである。


巡査達が疲弊と精神的苦痛からグラウンドに横たわる中、いよいよ五百川の番が回ってきた。


五百川平治 185cm 体重84kg 体脂肪率10%

この無口な軍隊上がりの男は、恵まれた体躯を持ちながら、無口で慇懃な人見知りから、スポーツの歪なピラミッド社会に馴染めず、軍隊や警察でしか食い扶持が見つけられなかった哀れな男である。


しかし、五百川は不器用な自分が安全にうまく生きてゆくために…格闘術や銃器の取扱にのめり込んでいた経験があった。


五百川が立ち上がると軍曹が言った。


「おお、こいつは見応えありそうだ。おい!吉和」軍曹が叫んだ「お前が相手しろ」


吉和と呼ばれた男は180cmほどで、固太りした体格のいい男であった。エラは張り、釣り上がった細い目には、もはや勝ち誇った感情すら浮かべている。


五百川と吉和は向かい合った。

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