第2話 もしもイケメンだったなら

 今日からは学校も通常通りの授業で、蒼月も宮本さんが乗ってるころだろうか。

「はぁ……」

 教室を見回しても柳田さんの姿が無い。中学に入ってから2年間、ずっと同じクラスだったからいつもより心臓が静か。……ここに最初から心臓なんて無かったみたいだ。

「川瀬! ボケっとすんな!」

「あっ、はい!」

 クスクス、と笑い声がする。心ここにらずって、きっとこういうことを言うんだ。

 次の休み時間で音楽室に移動。教科書とノートを持って幸隆と並んで歩いていると、廊下の向こうから小さな女の子……柳田さんが歩いて来る。

 さっきまで静かだった心臓は急に忙しくなる。しずまれ……。

「な、なあ幸隆!」

「なんだよ急に大声だして」

「さ、さっきの問題あとで教えて」

「え? あ……あぁ」

 会話が終わる頃には柳田さんとはすれ違っていて、ちらっと振り返ると小さな姿が遠ざかって行った。柳田さんも振り返ってくれるかも……と根拠もなくそう思っていたけれど、彼女はそのまま教室に入って行った。

「俺なんかに話しかけずに柳田さんに手でも振ればいいのに」

「後悔……しかない」

「颯、帰りにあの神社行こうぜ」

 はぁ……。


 嫌だと言ったつもりだったのに、幸隆に自転車を奪い取られたのでその後ろに僕が飛び乗ると、そのまま神社へ直行された。少しせた朱色の鳥居の向こうには別の学校の制服の生徒が何人かいる。

「……ほんとにご利益あるのかなあ」

 呆れた風な幸隆だが、スタスタと入っていく。

「おい、待てよ」

「颯、良いから行ってみようぜ」

 もう……。

「絵馬買って、ここに願い事を書いて掛けとけばいいのか」

 たくさん下がっている絵馬は、女の子の字で書かれたものが多い。一面にハートが散っていたり、真ん中に大きなハートが描いてあったり……

「他の人のお願い事だから、あんまり見ちゃダメよ」

 社務所の中から巫女姿のお姉さんがクスクス笑いながら話しかけてきた。

「す、すみません……」

「あんたたちもお願いしなさいな。叶うかもしれないよぉ?」

 ……そうは言っても絵馬に願い事書いて誰かに見られたら。

「あ、見られたらヤダなって思ったでしょう。そういうことよ!」

 巫女さんはまたクスクス笑っている。

「って。そっちの小さい子! キミ、春休みの馬術大会のジュニアの部で優勝した子でしょ!」

「……小さいは余計です」

「あは! ごめんごめん、優勝おめでとう!」

 明らかに年上なのにとても無邪気な人だなあ……。

「ありがとう。お姉さんも乗馬やってる人?」

「うん。でも私は社会人の部の1課目に出た超初心者よ」

「へー!」

 競技人口はそんなに多くないし、大会やクラブ以外で乗馬やってる人って初めて会ったな。

「ね、この絵馬にサイン書いて」

 そう言って新しい絵馬を出したのだけれど……

「すみません、サインって書いた事ないから」

「颯って一文字でもかっこいいんだから書けばいいじゃん」

 えぇ……

「颯君っていうんだ。いいね、それでお願い!」

「……そういうことで良ければ」

 受け取って真ん中に大きく「颯」と書いた。

「ありがとう! クラブの友達に自慢しちゃお! 頑張ってね!」

 結局、僕たち2人は何もしないで家に帰った。後から同じ制服の女の子たちが連れだってやって来たし、絵馬を見られたら絶対に嫌だったから。

「宝くじだって買わなきゃ当たらないって言われてるんだし、お参りだけでもしておけばいいのに」

「そんなこと言ったって……」


 神社からの帰り、いつも通り幸隆を乗せている。

「……なぁ、颯」

「ん?」

「やっぱいいや」

「へ? なんだよ話してよ」

「また今度!」

「気持ち悪いな。話してよ」

 後ろに乗っている幸隆が僕のわき腹をくすぐり出した。

「あっ、やめろってダメダメあっ!」

「相変わらずわき腹弱いんだな」

 後ろから元気な幸隆の笑い声がして、僕もつられて笑ってしまった。子供の頃から全く変わっていないいつもの日常。

 まだ少し冷たい4月の風を切りながら、僕たちは家へと向かった。


 幸隆と別れてからはいつも通りすぐに着替えて厩舎に向かう。

 平日はお客さんが少ないけど、毎日誰かしらクラブハウスや厩舎や馬場にいる。


 預託馬のオーナーさんたちは、基本的に時間とお金に余裕があるお客さんで、日々愛馬に乗りに来たり、様子を見に来て世話をして、他のお客さんや宮本さんと楽し気に話をして一日を過ごしている。

「颯君、もうあの新馬に乗ったんですって? どうだったかしら?」

 声をかけてきたのは、マーブルという馬のオーナーの鈴木さん。マーブルも鈴木さんも穏やかで上品で、とてもいいお客さんだ。

「んっと……、落とされないように必死だったけど、乗り心地は柔らかかったですよ」

 馬も個性が豊かで、振動の大きい馬からほとんど揺れないような馬までいる。

「じゃあ、やっぱり牡馬で気性が激しいのかしらねぇ。宮本君が乗って大変だったらしいから」

 今日も後ろっ跳ねたり、立ち上がったりしたんだろうか。

 蒼月の馬房にいくと、ブルルルルルっと鼻を鳴らして顔を出した。

「ホウ、ホーウ」となだめる声で話しかけると、大きな頭を僕の胸にこすりつけて甘えて来る。

 馬に話しかける時の「ホウ」はこの世界では共通語。初めて聞く人はびっくりするけれど、どこのクラブや牧場に行っても必ず使われる掛け声だ。

「こうしていると、本当に大人しくて甘えんぼなのに、なんで人を乗せるとあんなに暴れるんだろ……」

 僕がうちのクラブや、別のクラブで乗った馬は、みんな牝馬か騙馬。牡馬は本来乗用には向かないので、競走馬時代に牡馬でも、乗馬に転用となると大体去勢されて騙馬になる。


 蒼月は血統が良いらしくて、競走馬時代のオーナーがもったいないといって去勢しなかったらしい。人間が乗らない限り大人しいという理由もあったそうだけど、競走馬として生まれたのにデビューすらできなかったらどうしようもない。

「お前、恵まれてるのか不遇なのかよくわからないヤツだな」

 鼻づらを撫でてやると、喉の奥からウフフフと笑ったような音をだした。

 いつも通り、クラブの所有馬でまだ運動をしていない馬を連れ出して、馬装して広い角馬場へ向かった。


 僕が学校から帰ってから、夕方に馬に乗る時は、競馬の乗り方のトレーニングをする。競馬は、あの広いコースを思いっきり走る。その速さは時速六十~七十キロ。気持ちがいいだろうなあ……。

「宮本さん、お願いします」

 クラブハウスから出て来た宮本さんに僕の騎乗を見てくれるようお願いした。

 今日のパートナーはユキコ。だいぶ白くなってしまった芦毛あしげの牝馬で、動きは固いけれどとても優しい馬だ。

「今日はゆっくりのびのび運動してやって」

「はい!」


 手綱は長めに緩く持って、まずは常歩なみあしから。常歩は人間でいうところの徒歩。軽い運動からウォーミングアップ。「準備運動は長いほどいい」っていつも言われている。

 次は軽速歩けいはやあし。人間でいうところの軽いジョギングくらい。馬の後ろ脚の一歩ごとに騎手がお尻を持ち上げることで反動を抜いて、馬の負担を軽くする。

 徐々に手綱を短くしていく。馬が口にくわえたはみへ、手綱を通して僕の意志を伝えていく。

「そうだ、いいぞー!」

 隣の馬場で別の馬に乗りながら、ちゃんと僕の練習を見てくれている。面倒見がよくて教え上手でイケメンな宮本さんは、お客さんにも大人気だ。


 前は別の乗馬クラブに居たんだけど、僕が小学二年生の時にうちの乗馬クラブに来て、宮本さんを追いかけてお客さんが何人か移籍してきた。さっきの鈴木さんもそのクチだ。

『モテるってことは、好きな女の子のことで悩んだりしないんだろうなぁ』

「余計な事考えるなよー!」

 なんでわかったんだ……!

 いよいよ手綱をしっかり握りなおして、二拍子の軽いテンポの速歩から、三拍子の駈歩かけあし発進……!


 どう頑張っても競技用の角馬場の広さしかないから、スピードが最高になる競馬のような襲歩しゅうほでは走れない。それでも競馬の騎手のようなモンキー乗りの格好をすれば、視界はいつもと違った世界になった。


 週末は、幸隆が遊びに来て、蒼月を見ると「かっこいい」と感心していた。

「人間だったら、めちゃくちゃイケメンってところじゃね?」

「それ、僕も思った」

 宮本さんといい、蒼月といい、かなりのイケメンだ。

 ……それに幸隆だって背も伸びて頭が良いしイケメンなんだよ。羨ましい。

 僕も、次からは幸隆と同じ美容室で髪を切ってもらおう……。


「牡馬ってさー、牝馬見るとどうなん? やっぱりちんちん出て来るもんなの?」

「え、あぁ……。まぁ、それなりに馬っ気は……。」

 馬っ気とは、牡馬の発情のことだ。後ろ足の付け根の間から長いのが出て来る。

 うちに居る馬は、牝馬はユキコ1頭だけで、残りは預託馬含めて騙馬ばかりだけど、このままうちで蒼月を預かっていて大丈夫だろうか。

「馬のちんちんって、でっかいよなー。俺初めて見た時びっくりした」

「……あの体で小さかったら逆にびっくりだろ」

 馬の年齢は、人に換算すると一年で四歳になるから、四歳馬の蒼月は自分たちとそんなに変わらない。蒼月だってきっと思春期だ。

 ……でもユキコは今年十二歳になるから、かなり年上だぞ。

 僕は子供の頃から体が小さくて、幸隆だけどんどん背が伸びていった。それが悩みだった僕に「体が小さいなら競馬の騎手になればいいじゃないか」と助言してくれたのが幸隆と幸隆のお父さんだ。

 去年の暮れ、うちの父さんにお願いして競馬場に連れて行ってもらい、その世界を知った。

 遠目に見ても判る勝負服、最後の直線での追い込み、観客に応えるウィニングラン、表彰台に立つ姿……すべてがカッコよかった。僕はすっかり魅了されてしまった。


 僕の背がもう少し高くなっていて、声変わりもしていたら、将来の夢も違ったのだろうか。

 自信を持って柳田さんと話ができていただろうか。


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