第28話 独居房への道2
それにしても、長い階段だった――そいでいて、暗い。蝋燭の明かりは灯されているとはいえ、それは結局のところ、視界を広げるための手段となっているかは言い難い。
「この階段を降りていくと……何が待ち構えているのだろうね?」
神原が唐突にそんなことを投げかけた。
とはいえ、誰もそんなことを思っていなかったかと言われると――きっとそんなことはないだろう。恐らく殆どの人間がこの長い長い階段を降りていくにつれて、次第に不安が押し寄せてきたに違いない。この階段を降りていってから興奮が泊まらないなどと宣うようであれば、それはただの変態だ。
「何がある……と言われてもな。何もマントルまで続いているとは、流石に想像していないだろう?」
「幾ら何でもそこまで続いているとは……。それに、現実的じゃない。現実的ではないことについて、そう堂々と宣言出来る訳でもない――それぐらいは知っているものとばかり思っていたけれどね」
分かっていた。
ああ、分かっていたとも。
それぐらいお前さんが粘っこく言ってくることも想定済みさ。
けれども、そうと分かっていたってやらないといけない時もある。何とも言えないことではあるけれど、言語化出来ないのはちょっとばかし切ない話ではあるかな。
「でも、この階段に終わりがないというのなら……わざわざ当主まで出てくる必要はないと思うが、違うかな?」
確かに。
今、ぼく達の先頭を歩いているのは執事と冬華の二人だ。やることなすこと全てを執事に任せれば良い物を、何故か冬華が出張ってきている。
確かに、ちょっとばかし気になることではある――普通なら、そこまでしなくても良いことだからだ。
「良い運動になりますからね」
え?
ぼく達の疑いを物ともせずに、冬華はさらりとそう言い放った。
「……申し訳ない。今、何と?」
「いえ、ですから……。この階段の上り下りというのは、良い運動になるという話です。何故なら、この孤島で散歩をしたところでカロリーはたかが知れています。けれども、階段を上り下りするだけで消費カロリーはかなり高いのです。ならば、何を選択するかは最早分かり切った話ではあるでしょう?」
そりゃあまあ……、言いたいことは分かるけれど、でも結局は階段の上り下り、ってだけだしそんな消費カロリーが格段に増加するとは思えないのだけれどな……。それとも何か騙されているのではないだろうか。やっぱり絶海の孤島で暮らしている以上、そのデータは偏ってしまうのは当然だと思うし。
長い長い階段にも、やはり終わりは来た。階段を降りた先にあったのは――扉だった。
「やっと着いたぜ……。流石にちょっとは体力を使ったかな。美味い飯でも食えりゃ良いんだけれどな」
瀬戸は言ったが、階段を降りたということは、当然その逆も残されていることを忘れてはいないだろうか――それとも、まさか帰りはエレベータで上れるとでも思っているのか?
「この先にあるのが……独居房になります。かつては罪人を閉じ込めてその死に至るまでを監視したと言われる、この古城の汚点とも言える場所――」
汚点、ねえ。
確かに人間の心がないようなことをしでかしているのだから、汚点と言って差し支えないのだろうけれど、現在は自分達が住んでいる場所なのだし、あんまりそれを下げるのもどうかと思うけれどね。
きっと、それを承知で買ったのだろうし。多分……違う可能性も、五パーセントぐらいは残っていそうだけれど。
「……お嬢様。そう言われては、当主様が悲しまれます」
「どうせ、あのお方もわたしが死ねば良いと思っているのでしょう? だからこんな絶海の孤島にわたしを閉じ込めた……違いますか?」
「……お嬢様。今はそれを言うべきでは……」
執事が狼狽える様子を見せているが、流石執事と言えるか――それをあまり見せないようにしている。
「分かっています。けれども、わたしはあまりあのお方からは好かれていない。それはきっと……あなただって分かっているでしょう?」
「分かっているとは……、いえ、ここでは嘘を吐かない方が良いでしょうね。ええ、その通りです。当主様からのご連絡では、いつものように語られます。あの子はまだ生きているのか、と」
あの子――か。
恐らくは――いや、確実に好き好んで使う言い回しではないことは確かだ。
きっと悲しむだろうなどとは思いもしないのだろう。思っているならば、そんな直接的な言い回しなんて出来る訳がない。当たり前かもしれないけれど、母親なのだろう? 母親ならば、もっと愛情に満ちた発言でも出来るような気がするけれど――それとも、本当に枯れてしまったというのか? 愛情というものが。
「愛情――そんなものが存在しないのか、などと言いたそうな顔だね」
秋山はまたも表情から思想を予想していた。まあ、合っているのだけれど、心を読まないで欲しいな。長いモノローグも出来やしないだろう。
「彼女と母親の間には、愛情なんてありゃしない。最初は寵愛を受けたかもしれないがね。彼女が一斤染家に生まれなければ、ごく一般の家庭で育っていったのならば、きっとそんなこともなかったろうよ。けれども、彼女は一斤染家に生まれた。その時点でもう、普通の人間と同じように生きていくことが出来なかった。そういうレールの上に乗って、走って行くしかなかったのさ」
「……ええ、そうですよ。あのお方にとって、わたしはただの人形に過ぎない。誰が当主になろうとも、関係ないんだから」
「当主というのは、生きているうちに代替わりするものなのか?」
「いいえ、変わりません。一度なってしまえば死ぬまで永遠と続きます。たとえ本人の意識が消失していたとしても、死に至らなければ……。かつてはそれを利用して、摂政に近い感じで生き長らえたこともあったそうですけれど、今はそんなこともありません。というか、面倒臭いだけですから。だって、こうやって自由気ままに生きていくことも出来るのですから」
……成る程、変わり者と言われている理由が分かったような気がする。
一斤染家の当主争いは、きっと血腥いものとなるのが自然なのだろう。当たり前と言えば当たり前かもしれない、何せ当主となれば一生の安寧が約束される。ならば、たとえ汚い手を使っても当主になろうと思うのが当然だろう。
けれども、彼女はそうではない。寧ろ最初からそれを放棄しているかのような――そんな感じすらあった。
いや、それどころか――。
「……着きましたな」
執事の声を聞いて、ぼくの思考は中断される。目の前にあったのは、鉄で出来た扉だ。錆び付いてはいるものの、重厚な様子は未だ健在といった感じだった。
これが――殺人鬼が居るという独居房。
この奥に、生きているか死んでいるか分からない、シュレーディンガーの幽霊が居る――ということだ。
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