第16話 セスナ

 セスナというのは、一言で言えば小型飛行機だ――そういうことは分かっていたけれど、しかしいざ実物を見るとそう簡単に解釈しようもなかったりするのが実情だ。

 九人乗りの飛行機である――そう、機長が搭乗ゲートで自ら語ってくれていたけれど、いざ見るとその小ささが際立つ。何せ直ぐ隣のゲートからはジャンボジェット機が飛び立っているのだからね。


「神原が言ったのはこういうことだったのか……。そりゃあ、キャビンアテンダントなんて付くはずもないよな」

「そりゃあそうだろう。簡単に言えば遊覧飛行みたいなものだからな。そういったものに機長は居るとしてもキャビンアテンダントは付いていないだろう?」


 そもそも機長が居なかったら飛行機は飛ばない――というのは野暮だろうか?


「唐紅島に向かうのは私達だけ……ってことはねーだろうが、こうもあっさり飛び立つ直前になっちまうってことは、案外もう他の招待客は向かっている最中か、或いは既に到着したかの何れかなのだろうね?」

「その口振りからすると、もしかして唐紅島で何が起こるのか知っているのか?」

「神原。大抵の想像は付かないか? 一斤染財閥が何であるのか、知らないと言わせない。この国で最高の、トリニティの一角たる存在――その財閥の令嬢が、どうして無人島の別荘で一人暮らしているのか? 考えたら直ぐに分かる話だとは思うがね。金持ちの道楽ではなくちょっとした理由があるんだな、ってことぐらいは」

「……訳あり、ということか」

「そもそも、一斤染財閥の末っ子は変わり者である――というのは、裏の世界じゃそれなりに有名なエピソードでね。私も一度は会ってみたいと思ってはいたけれど、存外何処に居るのか分かっていなかった……。よもや無人島に別荘を作ってそこに幽閉をしているとは、流石に想像は出来なかったけれど」

「ずっと幽閉されているのか?」

「さあね。私が知っている限りだと、生まれて暫くは本家で暮らしていたそうだ。けれども、ある切欠があって今はその別荘で給仕と一緒に暮らしているんだと。とはいえ、一応は一斤染財閥の正当な継承者だ。だからこうやって宴を開いているのだろうな。いや、或いは実験か……」


 宴? 実験?


「秋山。勿体振らずに教えろ。……一斤染財閥のご令嬢は、いったい何を考えている?」

「さあね。それは分からない」


 分からない……って。

 さっき核心を突きそうになっていたのに、あれはブラフだっていうのか?


「そもそも一斤染財閥は仲が悪い訳ではないらしいし、兄弟とも連絡は取っているのだと思うよ。……まあ、当主が決まったら残りの兄弟は分家として生きていくだけになってしまうし、それについては古いしきたりとばかり思っているけれどね」

「つまらないことだらけだから……、外から人を呼んで刺激を得ようとしているのか?」

「おっ、鋭いねえ」


 ぼくの問いに、秋山は頷いた。


「そうそう、そうだよ。その通りさ。……最初は有名な音楽家だとか小説家だとか画家とか噺家を連れてきたらしいのだけれど、流石は世界でも有数の財閥といったところかな。大抵の娯楽は既に知ってしまっていた、ということなんだよな。だから、何度どんな娯楽を見つけようがそのつまらなさは解消されなかった――という話だ」

「成る程ね……」


 幾つなのかは知らないけれど、世界の娯楽全てを知り尽くした――というのは財閥の力が凄いのか、本人の視野が狭いのかその何れかだろう。ともあれ、それをそうと感じさせてしまうこともまた、財閥の力を感じさせる一件ではあるのだけれど。


「つまらなさが解消されなかった――なら、どうしたんだ? 他にも何かアイディアがあった、と?」

「かぐや姫、知っているだろう?」


 不意に童話のタイトルを言われて、ぼくは目を丸くしてしまった。

 ええと、確か竹から生まれた女性が月に帰る話だったよな?


「あまりにも省略し過ぎて、最早話の本題が消えてしまったのだけれど……。かぐや姫はその美しさから、求婚する人が耐えなかった。けれどもかぐや姫は絶対に結婚したくなかったのか、その相手に無理難題ばかりを押しつけるようになった……それが、かぐや姫のストーリーにもあった一幕だ。それは知っているだろう?」


 ああ、何かそんな展開もあったような気がするな。うろ覚えだったからそうやって説明してくれるのは非常に有難い。

 でも、それが一体?


「要するに、かぐや姫なんだよ。今唐紅島に居る令嬢はね」

「つまり、どういうことだ? きちんと説明してもらわないと、分からない人だって居ることを理解してもらいたいものだね」

「あれ? これで分かってくれるものとばかり思っていたけれど、そうも行かないってことかい。まあ、別に良いけれど、あんたの脳細胞も錆び付いているんじゃないかな?」


 ストレートに罵倒していくな、この赤い探偵……。


「今、ストレートに罵倒するな、と思わなかったかい?」


 あれ、ぼく口に出したかな……。失敬失敬。


「正解なのかい。だったらもっと上手いカバーの仕方でもないのか。……何というか、神原、お前の知り合いってこういった変わり者だらけなのかい?」

「鏡を見て出直してこい。僕ちゃんからすれば、秋山、お前もしっかりとした変わり者だよ」


 しっかりとした変わり者って一瞬で矛盾した言葉のような気がするけれど、気にしたら負けだろう。多分。

 ところでぼく達は既に飛行機に乗り込んでいる。ちゃんとシートベルトを締めているのだけれど、席が近いこともあってかこうやって喋ることも出来る訳だ。

 というか、喋るぐらいしか娯楽がない――当たり前だが、離着陸時は電子機器に影響を及ぼしてしまうこともあるため、携帯電話の電源は切っておかないといけない。別にわざわざ機内でスマートフォンを見る必要もないので、ならどうやって時間を潰すかといったらこうやって無駄話に興じるしかない――という訳だ。


「ところで、トリニティというのはどういうことなんだ?」

「……知らないの?」


 知る訳がないだろう。

 え? それとも一般常識だったりするのか……? だったらぼくの勉強不足ってことになってしまうような気がするのだけれど。


「この国で強い力を持つ三つの財閥のことだよな、確か。一斤染、二藍ふたあい、そして甚三紅じんざもみの三つだ。この三つの財閥は、それぞれ切磋琢磨しながらもこの国を裏から掌握している――だったかな?」

「その通り。流石に神原、あんたは分かっていたか」

「そうだったっけ? まあ、噂程度には聞いたことはあるけれど……」


 トリニティなんてハイカラな名前が付いていることすら知らなかったな。流石にその三つの財閥のことは知っていたけれど。

 今考えると全部数字が入っているのも、何か意味があるのかな?


「それについては追々話すこととしようか。……何も知らない人間に知識を提供するのは面白いものだよな。労力を掛けることなく自分が上に居ると思わせることが出来るからね。……おっと、今のはオフレコで」


 本人目の前で言っておいてオフレコが通用するとでも?


「まもなく、唐紅島に到着いたします。シートベルトをしっかり着用しているかご確認下さい――」


 機長のアナウンスが聞こえて――大きい飛行機だったらそれこそ天井のスピーカーから聞こえてくるのだろうけれど、このセスナでは直接声が聞こえてくる。それが小さい飛行機のメリットでもあるかな、多分――ぼく達はシートベルトを確認した。

 目的地である唐紅島は、眼下に迫っていた。

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