第0話 弟子

 とある部屋。

 とある建物の中にある一室。

 そこには二人の人物が向かい合い椅子に腰を掛けていた。

 一人は白く染まった髪に細かな皺が刻まれた風貌の険しい顔つきをした男だ。

 年はおそらく中老に差し掛かるであろうその男は右目に付けたモノクルで手に取った一枚の羊皮紙にびっしりと書き綴られた文字の羅列を注意深く吟味している。

 対面に腰かけたもう一人はゆっくりとカップに口を付けながらその様子を眺めていた。

 それは美しい女だった。

 綺麗に整えられた顔立ちに白い肌。腰まで届きそうな黒く長い髪。

 赤と黒で彩られ飾り付けられた奇妙なドレスを身に纏い、美しくも少し暗い怪しげな雰囲気と気品を感じさせる女性。

 部屋に備え付けられた時計から聞こえる小さな駆動音、時を刻む針の動く音。

 静寂に包まれた部屋にそんなわずかな音だけが響く。


「なるほど、なかなか興味深い物を持ってきたな」


 羊皮紙に最後まで目を通した男は一息付くとそう口を開いた。


「数百年前の魔術史について綴られた文章か、確かに非常に珍しいものだな。

 この時代の資料はその大体が焼き捨てられて現存している可能性はほぼないと思っていたが……」


 男はそう口にしながら向かい側に座る女に視線を移す。

 それに気づいた女は手にしたティーカップの最後の一口を啜るとゆっくりと口を開く。


「王都にある古本屋の倉庫にあったものよ。

 そこの店主、猟書家だったらしくて所かまわず貴重な書物や資料を買い漁っていたらしいわ。まるで何かに取り付かれてたみたいに」

「ああ、あの男か。名前だけはよく聞いていたが……。

 だがなぜお前さんがあの男の所有物を?」

「あのお店の店主、数か月前にぽっくりと逝ってしまわれたらしいの、突然ね。

 それで親族が遺品整理を行っていたのだけど、店を続ける人も品の保管や手入れをする人もいないみたいだから

 同業者や買取を希望しているお客にどんどん売り払ってるの。

 それで私も何点か品物を頂戴してきたわ。羊皮紙はその買い取った品の一部ね」


 ふむ、と話を聞いて納得したような相槌を入れ少し思案した表情をする中老の男は手に持った羊皮紙を近くの机の上に置くとその机に置かれていた小さな黒い小箱を手に取りそれを女に向かって投げ渡した。


「交渉成立だ、持っていけ」

「ありがとうございます先生。貴重な品を譲っていただき感謝致します」

「貴重の度合いで言えば、お前さんが持ってきた資料の方がワシ個人としては遥かに高いがな。

 しかしまあなんだ、それを何に使うかなんて聞きはせんが目を付けられような真似だけは仕出かすなよアピロ?」

「ええ、今更国協会といざこざを起こすつもりはありません。これはあくまでも個人的な目的に使う物ですから……。それでは私はこれで」


 そう言って立ち上がり軽く会釈を行うとアピロと呼ばれた女が部屋から離れようとしたときだ。

 唐突に目の前の机の上に数枚の紙が無造作に放り投げられた。


「これは?」

「ある卒業予定生徒の進路希望表だ。」

「あら、そうなんですか」

「今年の卒業生は中々粒ぞろいでな、特に今そこに書いてる生徒については実技・筆記共に優秀、魔法に対する熱意もある。多少性格に癖があるが……成績は非常に優秀な生徒だよ」

「それはまあめでたい事で。で、その優秀な生徒が何か?」

「当校としてはまさに誇れる逸材の一人なんだが、未だに卒業後の入門先が決まっておらんのだ」

「それはまた大変な事で」


 女は自分には関係ないとばかりに他人事の様に形だけの返答をする。

 そんな態度の女を見て男は一瞬眉を顰めたが、そのまま話の続きを紡いだ


「この生徒が師事を求めている相手は、お前さんだよ」

「お断りします」


 男の言葉にすぐさま女は答えを返す。

 元よりこの男が伝えたい事には薄々感づいていた。

 態々自分の前でそう言った話を行ということは遠回しに弟子を取れという事を示していたからだ。


「アピロ、お前さんがこの世界に入ってからもう数十年だ。

 好き勝手に振舞うのもいいが、そろそろ若い世代の術者を引っ張っていってもいい頃合いだと思うんだがね」

「すいません先生、私は先生のように人にものを教えるのが上手くないので。

 第一そんな優等生が私に師事を求める理由がわかりません。

 私は天下の魔法協会様が名指しする問題児ですよ。

 この生徒は私の様な異端者ではなくもっと模範的な魔術師に教えを乞うべきです」

 例えばそう……、タリアヴィルの老師なんていかがですか?

 経歴能力共に協会随一といわれるお方の元なら遺憾なくこの子の能力を発揮できるとおもいますわ」

「あそこは人気株だ。枠がとっくの昔に埋まってるし、推薦もあったが既に蹴っている。ここまでしてお前さんを所望してるんだ、この子の意を汲んでやってくれんか?」


 その声と面持ちは真剣味、そして若干の怒気を帯び、その視線は女を見据える。

 だが、女はそんな事は意に返さずそのまま部屋のドアへと歩進める。

 その様子をみて、男ははぁと大きなため息を付き片手で目覆い、

 諦めたかのように机の上のカップに手を伸ばした。

 そして部屋を出ていこうと女がドアノブに手をかけた時、振り向きざまに男へこう言い放った。


「ああ、その優秀な生徒さんには申し訳ないですが、弟子の件はご心配なく。

 今年は既に貴重な一人分の枠が埋まっているので」


 そうして女は部屋の扉を開け外へと出て行った。

 帰り際の発言に驚愕し、カップを落とした一人の男の姿を見る事もなく。


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