何もできないわたしの取り柄
夏希纏
前編
わたしには、得意なことが何ひとつない。
「
そろそろ夏休みに入ろうとしている、7月の下校道。夕方といってもかなり暑く、汗を流しながら友人の
「わたしは就職。市役所で公務員として働きたいなって思ってて」
「へー、そうなんだ。大学を諦めるような学力じゃないから、てっきり大学に行くものかと思ってたよ」
優絵の言葉に苦笑する。この高校では偏差値60程度だが、この前受けた全国模試では偏差値55だった。
学力が微妙なだけではなく、運動神経も悪い。加えて絵がうまいなどの、特殊な能力に秀でているわけでもなかった。
得意なことがないならば、無能でも安心して過ごせる場所に行きたい。1回でも、競争の回数を減らしたい。
それが無能を自覚しているわたしの、いわば生存戦略だった。
「行かないよー。わたしは有能じゃないけど、公務員は能力に関係なくお給料がもらえるし、失業する心配もないから」
嘘だ。大学に進学しないいちばんの理由は、サークルなどで輝いている学生を見たくないだけ。
何の苦労もないように──実際、彼らにとっては苦ではないのだろう──見知らぬ人と話し、あっという間に友人を作ってしまうキラキラした集団を見るたびに、自分との差に愕然としてしまう。
頑張って克服しようとしても、自分が言ったことが相手を傷つけていないか不安になって、余計に疲れてしまう。そんなことを繰り返しているうちに、気がつけばわたしは取り返しのつかない無能になっていた。
「まあ、希名がそう思うならそれがいいのかもね。私は応援してるよ」
「ありがとう。優絵は美大だっけ?」
わたしの進路の話なんて、面白いものではない。質問を切り返すと、優絵は困ったように笑いながら、
「まあね、やっぱりイラストレーターになりたいから。可能性を上げるために美大に行くつもり」
と、わたしとは対照的に個性と希望あふれる答えをくれる。
優絵は幼いころからイラストレーターを目指していて、最近では描いた絵をツイッターに上げている。わたしも優絵の絵は頻繁に見るが、どれも繊細かつ色彩が豊かで、心が明るくなるような感覚を抱く。
絵には詳しくないが、才能があるのだろう。いいなあ、と羨ましく思うこともあるけれど、絵の世界が厳しいことも理解していた。
だからわたしはその厳しい世界で生き抜いていこうとする友人を、できる限り応援したい。
「優絵なら絶対に、最高のイラストレーターになれるよ」
わたしの言葉に、なぜか優絵は悲しそうに「ありがとう」と微笑んだ。
◆
中学3年生の冬、わたしは第二志望の高校に落ちた。
食事と睡眠時間以外、ほとんどは勉強していたように思う。特にわたしは運動や他の技能に恵まれなかったから、勉強だけは人並み以上に頑張ろうと努力した。
直前の模試で成績が振るわなかったことから不安を抱いていたものの、勉強は才能よりも努力が大事だと信じて疑わなかった。
課題はきちんとやり、期限内にすべて提出した。先生に言われたように学習し問題を解き、演習問題では見直しまできちんとして、間違えた問題は自力で解けるようになるまで完璧にした。
その結果が高校受験失敗だ。第一志望はチャレンジ校だったから仕方ないと思えたが、問題は実力より少しだけ下なはずの第二志望に落ちたことである。
天地が揺らぐようなショックは、後にも先にもあれが最後であってほしい。
『どうして、わたしの努力は報われないんだろう?』
ぐるぐると疑問ばかりが頭を巡る。合格して喜んでいる親子や友人同士が、憎くてたまらなかった。
受験直前、わたしに「努力は報われるから、大丈夫だよ」と言った担任の先生は、不合格を知ると「その努力は無駄にはならないよ」と言う。
不合格になったなら無駄じゃないか。そう思ってしまうのは、わたしの人生経験が足りないせいだろうか。
わたしよりも勉強していないはずのクラスメイトが志望校に受かっているのに、わたしは前期で受けた学校はすべて不合格になってしまった。
中期もさらにレベルを落として受験したが、あえなく失敗。ボロボロのメンタルで受けた後期は、第一志望の偏差値から15も下の学校だった。
幸い親友の優絵が同じ高校だったから、程なくしてメンタルはほとんど元通りになったものの、その傷は高校2年になっても、いまだに癒えていない。
たった2年前までは名門大学を目指していたというのに、今や私は高卒で公務員になろうとしている。
「本当に、就職でいいの? 大学進学費用なら出せるわよ?」
「そうだ。お金を気にして公務員になる必要はないぞ」
進路希望調査書を出すにあたって、親に最終的な進路相談を持ちかけた。
両親はどちらも大学受験を応援してくれたが、家庭の状況を気にしているわけではない。ただわたしは、一生懸命に『何者か』になろうとしている人を見るのがつらいだけだ。
わたしは何者にもなれない。頑張っている誰かを見るたびに、そうまざまざと思い知らされるようで。
「いいの。地域の人の役に立ちたいし、ちょっと仕事ができないからって首を切られることもないでしょ?」
作り笑いを浮かべる。しかし両親は笑顔が偽物であると気がついているのか、どこか釈然としない様子だった。
両親はこんなに優しいのに、どうしてわたしはこんな無能になってしまったのだろう。わたしに何か秀でているものがあったら、この家庭環境も意味があるものになっただろうに。
悲観的な思考を、グッと抑え込む。公務員にも試験があるから、決してわたしは試験から逃げているわけではない。自分自身に言い聞かせる。
そうでないと、劣等感に心が蹂躙されそうだった。
「……希名がいいなら、わたしは応援するわ。公務員対策講座のお金なら出してあげる」
「まあ、堅実な選択ではあるからな。頑張れよ、希名」
両親も渋々ながら、しかし無謀な選択でもないので応援してくれるようだった。ホッと息を吐く。
公務員として働きお金を得るようになったなら、わたしの劣等感も少しはマシになってくれるだろう。
「ありがとう。頑張るよ」
わたしはそう言って、進路希望調査書のいちばん上の欄に『公務員』と書く。第二・三志望には両親の勧めで近所の女子大の名前を記入した。
正式に両親に許可をもらえたので、本腰を入れて勉強を始めようと、自室へ向かう。高校受験に失敗したわたしでも、今から対策すれば高卒公務員試験には受かるはずだ。
進路の迷いは消え、堅実な未来をありありと思い描くことさえできるはずなのに、なぜかわたしの心はどんよりと曇ったままだった。第一志望の高校に落ちたときから、ずっとこんな調子だったように思う。
メンタルの不調を見て見ぬ振りして、テキストに向き合った。学校の勉強とはまた一味違う内容を学習するのは、楽しい。
ひとまず出題内容を読み込んでいると、机の上に置いてあったスマホが振動した。メッセージなら後で返していただろうが、電話なのですぐに取らざるをえない。
誰からだろう、いたずら電話かな。
軽く考えながら画面を確認すると、優絵からだった。
いつもは電話じゃなくてメッセージなのに、どうしたのかな。もしかして最高傑作ができた、という連絡だろうか。
「もしもし、優絵?」
わたしが呼びかけても、優絵はなかなか返事をしてくれなかった。
間違えてかけてしまったのかな?
そんな考えが頭をよぎったと同時に、わたしはあることに気がつく。返事こそはないものの、優絵がすすり泣く声がかすかに聞こえるということに。
慌てて音量を上げると、その疑念は確信に変わる。事件に巻き込まれたのか、原因は不明だが優絵は泣きながらわたしに電話していた。
「大丈夫? 何があったの?」
できるだけ落ち着き、温かみのある声を意識して話しかける。その気遣いが功を奏したのか、徐々に優絵の泣き声もおさまり始める。
よかった、これでようやく話をすることができる──なんて、安心したのも束の間だった。
『死にたいの』
やっと放たれた言葉は、あまりにも絶望的なものだった。
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