205.女と軍事

 話は3ヶ月ほど遡る。

 デファールとヒリャンが開戦し、一週間が経った頃である。ある一面で、別の戦争が起きていた。


 対峙する2つの陣営、その片方の指揮官が前に出る。

 肩下辺りまである黒髪を雑にまとめ、ところどころ装飾が施された槍を握る女。

 さながら紅玉を思わせる瞳に映るのは、槍と双角の馬の旗印。即ち……『護国の槍』直々の出陣を告げる煌めきである。


 女は獰猛な笑みを浮かべていた。獰猛といっても猛獣のように本能に染まったものではない。いや、獣の願望を理性で抑えた上で零れ落ちたような。

 残滓の笑みだけで、それが獰猛なモノだと察しうるかのような表情だった。

「嬉しそうですね、エルフィール様。」

彼女の後ろに控える少女が、堪えきれないように呟く。わかるか?とは聞かなかった。彼女自身も、感情が態度に出ていることを知っていた。

「初めてだ。私は人生で初めて、10万もの軍勢を率いて戦うんだ。」

少女が嘘だというように目を瞠る。驚きは当然のことながら疑問が……「なぜ?」という問いが大きく込められた視線に、エルフィールは苦笑する。


「簡単だ。俺が、エドラ=ケンタウロスの公爵令嬢だからさ。」

マリアの問いの意味は、エルフィには痛いほどわかるつもりだった。エルフィールという女は、その名声の割に、実績は驚くほど……いや、無に等しいほど、ない。


 武の名声に関しては、在野で得たものだ。さながら傭兵が如く一人で盗賊たちと戦うことで、民衆の間で拡がったものだ。

 後押しは、ギュシアールの太鼓判だが……これを知る者は、ペガシャールでも限られている。実のところ、『像』の間で止められているといっても過言ではない。

 ネツルでその武威を示したディールにしたって、『像』の力を使ってギャオランを倒したと伝わっているだけで、彼が九段階格の槍術師であることはほとんど隠蔽されているのだ。


 だから、エルフィールが桁外れに強いこと自体は知られているが、彼女が九段階格であることは知られていない。

 ディールと違って表舞台での活躍が知られている分、察しているものはいるだろう、程度である。


 王器に関しては比較対象がアレ過ぎた。アシャトが台頭したのは『神定遊戯』開始以降。他といえば、血統頼みの愚物アダット才能頼みの傲慢レッド、あとは時代に捨てられた蒙昧アグーリオくらいしかいなかったのだ。

 王器が称えられたところで、良いものではなく……そもそもエルフィールは女だ、逆立ちしたって王にはなれない。


 あぁ。そうだ。

 実績がなくとも彼女が称えられたのは、時代が時代だったからに他ならない。

 実績がなくとも名声が高まったのは、彼女が女だったから……実際にはどう足掻いても実権をほぼ握れない立場の人間だったからでしかない。


 そのあたりは、まだマリアにはわからない話だった。

 天才的な才能を有する彼女であるが、貴族闘争というのは一年二年で理解できる話では到底ない。

 まだマリアには早く……


「俺が10万もの大軍を率いられるのは、アシャトが俺を総大将に任命したからだ、マリア。」

だから、わかりやすい言葉で伝える。エルフィの役目は、この戦争での勝利だ。が……次点で、この天才を育てることだ。

 だから、彼女は一から語る。全てをマリアが理解できるように。一年二年では理解出来ない話を、一生かけて沈んでいく泥沼を、五年とかけずに進めるように。


「エドラ=ケンタウロスというのは、とても力ある公爵家だ。だが、そんな大公爵でも出来ないことがある。10万もの大軍の総大将に女を、しかも血の繋がった娘を添えることは出来ない。それはわかるか?」

まずもっての大前提を告げる。その言葉に一瞬マリアは「わからない」と呟きかけ……首を振った。

「理屈としてはわかります。女性は結婚し子を産むべし、ですよね?」

「それは建前だ、マリア。それは女性としての常識であるし、生物としては否定の余地ない正論だが、貴族の政論としては違う。」

マリアの言を受け止めた上で、否定はせずにエルフィは続けた。

 どうしても、エドラ=ケンタウロスとして譲れぬものがそこにはある。


「女に軍を任せなければ、貴族軍として勝利を得られない、と喧伝するに等しいからだ。『護国の槍』ほどの軍略の名門でもなければ、女が武に触れることすらない。」

エルフィール、アメリア、シャルロット。軍を率いれる貴族の女性など、いまでさえたった三人しかいないのだ。

 建前、と謳ったマリアの主張は間違えていない。が、それは『当然の前提条件』。その前提を政治の世界に持ち込んだ先に、エルフィの実績不足の理由がある。

「家としては、そんな不名誉を被るわけにはいかない。だから、俺には実績がないのさ。」

僅かな諦念を浮かべて、彼女は嗤った。


 誰もが認める才覚がありながら、その腕を振るえない。エルフィールという女の人生は根本的に、諦めの連続である。

「アメリアも同じだろ?」

「えぇ、そうね。私もつい最近まで、部隊を率いたことはなかったわ。」

ギョっとマリアが目を見開く。そんな馬鹿な、と言いたげである。

 では、ソウカク山への出陣が彼女の初陣だったというのか。ゼブラ公国への侵略で、ペガサス部隊を率いて、あれほど優れた指揮を執り続けていたというのか。


 マリアは記録の上でしか知らないが……あれが、戦争経験の少ない指揮官の戦果だと、いうのか。

「驚くだろ?だが、アメリアはアシャトが騎馬隊長に、指揮官に任命しなければその実力を発揮することはない人間だったんだ。」

ため息、一つ。社会に対する呆れ、などはない。あるのはただ、それを可能としたアシャトの持つ権力である。


 風習や規則は覆せない。覆すためには、それ相応の力というものが必要だ。

 王と言う立場がそれを為したのだとマリアは考え……

「違うぞ、マリア。凄いのは王という権力ではなく、『神定遊戯』という儀式……『王像の王』という立場だ。」

断言。それは即ち、アシャトの本体が、国としての価値の本質が『アシャト王』ではないと言っているに等しい。

「アシャトは『王像』に選ばれなければそもそも王になれなかった男だ。それを無視しても……『王像』に選ばれてないなら、アメリアを一隊の将校に任命することは出来ていない。」

ただ王であるのなら。女を指揮官にすることなど出来ない。

 『王像の王』、神の承認を受けた代理人……という立場が、彼の権威を最大限まで補強、保証する。


 ゆえに。エルフィールは元来、どう足掻いてもどれほど能力があっても10万もの軍を率いられない英傑である。

「お前も無関係な話ではないぞ、マリア。むしろ、これからは『王像』にまつわる権力争いの中心にいるはずだ。」

いつかこの一言は口にしておきたかったのだろう。エルフィールは、己やデファールと並び立つマリアの姿を明瞭に想像出来ている。

 その時、エルフの彼女は、人との意見感情の擦り合わせにどれだけ苦労するか。若くして……齢14にして相当の権力を持つことになる彼女の未来に関しては、エルフィールとて予測しきれない。


 もう少し、もう少し時間があれば……とエルフィールは思う。しかし、状況に合わせて動けば、マリアは必ず、早くに『智将像』になっていた。

「……本題に入っていただけますか、エルフィール様。」

そんな彼女の内心をある程度見透かした上で、マリアが問う。エルフィールは確かに先達として尊敬している。だが、今は政治世界の話ではない。


 エルフィールが『実績のなさ』について口にした。わざわざ言った。つまりそれは、これからの戦のための前準備だと、マリアは承知している。

「……そうだな。」

そのせっかちさは、若さゆえではない。齢14とはいえ彼女はエルフだ、時間の概念は人より多少、甘い。

 少女の手が震えている。体に触れれば、普段よりわずかに下がった体温が感じられただろう。


 無理はない。正面には自軍の倍の数の軍隊。翻る旗は『護国の槍』、指揮官はまず間違いなくマリアの格上、クシュル=バイク=ミデウスである。

「断言する。この初戦、『像』を除く公属貴族や指揮官は、俺の指示を聞かない。」

「……は?」

「盗賊退治とはわけが違う。敵は正規軍で、実績のある、元帥閣下。対して俺は『妃像』を持つだけの実績がない小娘だ。」

内心でどう思っていようと。いかに優れた前評判を持っていても。事実は、変わらない。


 仮にも貴族を率いるものだ、人の上に立つものだ。エルフィールの指示に従って動くのは、個人の心情は別としても家としての合理性から許容出来ない。

 だが。これは戦争である。

 総指揮官たるエルフィールの指示に従わず、てんでバラバラに動くのであれば、先に待つのは全滅だけだ。

「『像』のみで動くのですか?」

王の命令……「総指揮官にエルフィールを据える」という命令に完全に拘束されている彼らを使うか、という質問。だが、紅の瞳の女は首を横に振った。


 少女が首を傾げる。他に方法があるというのか。

「ということで、グリッチとフレイ、バゼル、あとアメリアの部隊を任せる。自分のタイミングで運用しろ。」

「……はい?」

獰猛な笑みを変えないまま、エルフィールが馬に乗った。愛馬の首筋を撫で、バーツが打った槍を握る。

 そのまま少女に一瞥すらせず、公女はまっすぐに馬をすすめる。声すらかけずとも、彼女が育て上げた兵士たちがあとに続く。


 事ここに至って、天才少女も怪物公女が何をしようとしているか理解した。

 頬が引き攣る。あまりに傲慢で無茶苦茶で、しかし「なぜ」かは今十二分に語り終えた。

 『像』の実績ではない。『像』を率いた実績ではない。エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシアという個人の実績を積む唯一にして絶対の正解。

「あなたは!総大将なのですよ!」

「総大将になるための、通過儀礼だ、マリア。」

紅の瞳に炎が視えた。敵の掲げる旗を、その先にある槍の輝きを幻視する。

「突撃!」

エルフィールがここ一年ほどの期間で作り上げた、エドラ=ケンタウロス公爵家の直属部隊約500の騎馬隊。

 わずか、わずかその数の兵たちが、“最優の王族”を旗頭に、20万の部隊に吶喊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る