140.対ゼブラ戦勝式典2
女性が功績を立てるのを嫌がられる理由。それは、女性は子を産む義務があると捉えられているからである。
……何もおかしな話ではない。貴族に限らず、子供を残し、次の世代に己の生きた証を刻んでいくというのは、生物全てが持っている原初的な本能だ。それを『義務』と呼ぶのは、少々言葉を強くしすぎなきらいがあるが……しかし過剰ではない。
というより。子を産む義務があると捉えられているのは女性だけではなく男性もである。
ただ、妊娠期間があるか否か。女性が戦場、そして政治の場に出てくることを嫌がられるのは、終始この事実に結論するのだ。
……仕事に生きるという考えを持った女性がいないとは言わない。ただ、それは子を産む『義務』を放棄したという蔑視の対象になるというだけ。そして、『義務』を放棄するような人間に、信頼が与えられるかと問われると……うん。不可能もいいところである。
だが、俺は知っている。アメリアが別に義務を放棄したわけではないことを。むしろ、エルフィールとは違い、アメリアの内心は乙女に近いものがあるとみている。……問題は。俺の後ろで控えるディールが家出をし、未だに結婚していないというただそれだけなのだ。
「ペガサスの扱いの難しさを、余はよく知っている。その上に乗り、戦う恐怖を、余はよく知っている。余の乗ったペガサスがディアだったから、何とか乗れていただけであることを、余は知っている。」
落馬したら、地面に真っ逆さまに落ちていく。高ければまず間違いなく死ぬことを知って、それでも空で戦う勇敢さは、並の人物が持ち得るものではない。
「その気高き心の強さ。その素晴らしき技の冴え。そして、功を残した忠誠心。余は、そなたを得難き臣下であると心得ている。」
何より。ディールの次に、俺の直属となった将だ。彼女は俺にとって、本当に救いの女神とすらいえる人だった。
「よく戦ってくれた。よく余の軍を守ってくれた。よく国を勝たせてくれた。……感謝する。」
コーネリウスと比べて扱いが丁重すぎたかな、と思わなくもないが。俺にとって、コーネリウスとアメリアでは、アメリアの方が強い感情を抱いている。
それが、友情なのか、尊敬なのか、……あるいは俺より強いことへの嫉妬もあるのか。複雑なものは多い。が、それでも、俺はアメリアの方が大切だと思っている。
まあ、ここまでいえばアメリアを表立って侮辱出来るものはいるまい。
そう思って言葉を切ると、ペテロがわずかに眉を顰めていた。……贔屓発言が過ぎたか。
「アメリアよ。望む褒賞を言うといい。」
ペテロが言う。それに対し、アメリアは感極まったかのように赤くなった目を懸命に抑えながら、言った。
「ペガサスキングへの挑戦権を、望みます。」
……今は絶対に不可能なことを要求してきた。
ペガシャール王国は、一度遷都した。ここ、ディマルスから、現ペガシャール王都ディアエドラへと。だが、それは、何も無造作に選ばれたわけではない。
ディマルスから遷都するために選ばれた条件は、三つ。
一つは、『エドラ=アゲーラ』の勢力圏であること
一つは、ディマルスから遠いこと。
一つは、遷都するに足るだけの、ペガシャールとしての歴史と恩恵があること。
二つ目までを満たす候補地なら、今のディアエドラでなくともいくつもあった。しかし、最後の一つ、ペガシャールとしての歴史と恩恵という点において、全ての都市はディアエドラに負けた。
その理由が、ペガサスキング……ペガシャール王国が神獣と讃えるペガサス。彼らの長が生まれる山が、ディアエドラの近くにあったことである。
ペガサスキングは、神の使徒であるディアの次に偉いペガサスだ。……いや、ディアをペガサスに区分してはいけないだろうが。
ペガサスキングは、全ペガサスの中で最も賢い者であり、最も強い者であり、最も速いものだ。王の名に、最もふさわしいペガサスであり……彼は、乗り手を選ぶ。
「それは、言うまでもない。ペガシャール王都ディアエドラを占領した暁には、全てのペガサス騎兵にペガサスキングへの挑戦権は与えよう。その優先権は、指揮官であるそなたが持っている。……が、些か褒賞には遠すぎるな。」
おそらく、二年近く未来の話。それまでに、アメリアはまだまだ功績を重ねることだろう。
本当にそれだけ待たせてしまったら、申し訳ないが国の威厳が保てない。代替案すら出せない国という扱いは、困る。
だったら。あれを渡すときだろうと、思った。
「その権利と比べたら些か劣るが。アメリアよ、一本、槍を下賜しよう。」
隣に立つ小姓に目配せする。こうなる可能性もある、と指示していたからだろう。意を汲んだ彼は、玉座の裏から一本の槍を抱えてきた。
渡しそびれていた。アメリアは、戦場では薙刀を好むと聞いて、今渡さなくてもいいかと思ってもいた。だが、この機会だ、渡しておけばいいだろう。
「バーツが作った名槍。銘を
槍を受け取ったアメリアは、一瞬どうしようという表情をした。
乱戦の場で、槍を使う。それは多大なる神経を使うのだという。
槍は突き刺す武器だ。骨を砕き、あるいは隙間を縫って肉を貫く。そう聞けば強く聞こえるが、実のところ突き刺した後、引き抜くことが難しい。
槍を突きで使うということは、殺した後に手に戻ってこないこともあるという意味だと、むかしギュシアール老が言っていた。……確実に自分の手に握っていられるのは、よほど槍の扱いに習熟した、七段階格を超えるような者ばかりでしょう。そうでないものたちは、槍を持ちながら、もっぱら打撃武器として用いることが多いのです、と。
アメリアは槍術自体は六段階……いや、七段階だろう、だが、やはり彼女は槍を棒のように扱うことが多い。
単純に、力不足なのだ。突き刺した槍を正確に引き抜くには、技術だけでは足りない。成人男性並みの力は必要だが……アメリアは成人男性の力を流す技術を豊富に持っているが、同じだけの力を発揮することは出来ない。
「……まあ、家宝にするなり、一騎打ちの時に使うなり、『像』の力を使っている時だけ使うなりしてほしい。」
「そう言うことでしたら、確かに頂戴いたしました。ありがとうございます、陛下。」
釈然としないものがある。とはいえ、彼女がそれ以上の望みを持ってくるとも思えない。
だから、アメリアへの褒賞は、これでいいのだ。そう、俺は己に言い聞かせた。
「最後に。功第三として、ディーノス家ペディア。」
貴族としての爵位を言えないのは少々不便だ。上二人が侯爵家だっただけに、家名だけでは少し目立つ。
「敵将の首を上げた、というわけではないだろう。しかし、ゼブラ侵略戦の全てにおいて、無視しきれない安定性を持ち、最前線で敵と戦い続けた功績は、賞賛に値する。他二人と比べると少々見劣りするものの、内実的な功績は決して劣らぬものだと、陛下と元帥殿はお考えだ。」
ペテロが、今度はデファールの名前まで交えて言い切った。
ペディアは、アメリアより蔑視の視線は濃い。当然だ、男性女性問題こそあれど侯爵家の一員であるアメリアは、人の義務を放棄しても許されるだけの権力を(実家が)持つ。
対して、ペディアはそうではない。ぽっと出の成り上がり者。それが、ペディアに与えられた立ち位置である。
……なお、一応姓があることで役人階級であったと判明しているペディアと比べ、エリアスに向けられる視線はもっと酷い。たまたま王の目に留まった平民風情、という言葉があれば、それは必ずエリアスのことを指している。
だから。だからこそだ。『国』は彼の、彼らのことを蔑視するかもしれない。だが、『王』と『軍』だけは、英雄を英雄と讃えられるようにしなければならない。
「王から、」
「ペディア。」
なんだ。もういいや。そう思った。アメリアに、本心を話した時点で、きっとダメだったのだろう。だが、これでよかった。
俺は、王だ。
「よく戦ってくれた。よく勝ってくれた。よく皆を守ってくれた。戦略面においてはコーネリウスを信じていたが。それでも、彼の未熟を補うのはお前とクリスの仕事だと思っていた。」
ちなみに、クリスの未熟をアメリアが叱責する場面があったという噂を聞いた。それが嘘か真かは知らない。
だが、仲がいい話だと、思った。
「好きな望みを言うといい。お前の望みなら、余は聞こう。」
下が騒がしい。ペテロは、「いつかやるだろうと思っていました」という顔をしている。
顔を横に向けると、陰で見ていたエルフィがくすくすと笑っていた。
(まあ、確かに。僕がいる限り、君が王だ。誰も君の在り方に文句は言えない。)
ディアの呆れに笑いで返す。俺は、やはりこういう人間だったのだろう。
ペディアも、笑っていた。泣きそうになりながら、笑っていた。
「では、半年の
彼が出してきた要求は、予想の斜め上を超えてきた。
笑い、戸惑い、あるいは呆れ。そんなものが渦巻いていた空間が、静まり返る。
そうだろう。よりによって、功績の褒賞が暇とは。
「……なぜだ?」
「義父の弔いを。我ら『赤甲傭兵団』、我らを長く支えたアデイル=ヴェドスの骨を、彼の故郷に埋めたいのです。」
納得できる、答えだった。アデイルの死を、俺は知っている。ペディアを守り死んでいった彼の生き様を、俺は報告書で読んだ。
俺のよく知るペディア=ディーノスなら、アデイルの亡骸は確かに故郷に持ちゆくだろう。そんな男だからこそ、俺はペディアを信頼できるのだから。
「……。」
頷けばいいだけ。だが、今ディーノスの地は、フェリス=コモドゥス伯爵領は、戦争の渦中だ。そこに、俺の陣営についたと伝えられている『赤甲傭兵団』を向かわせていいのか。
「必ず。必ず生きて戻ります、陛下。義父は、父の墓に入ることを望むでしょう。……愚かな息子に出来る最後の孝行を、果たさせてくださいませ。」
お願いします、とペディアが頭を下げる。その姿に、父を弔うことすら叶わなかった己の後悔が思いだされる。
羨望した。家族を持っていることに。嫉妬した。家族の死を悼めることに。
そして、満足した。俺が出来なかったことでも、きっと彼はきちんとやる。
「嘘を言え。全力で生き抜くこと。それがお前に出来る本当に最後の孝行であろう?」
弔っても、孝行は終わらない。真なる親孝行というものは、親が死んでも全力で生き、その生き抜いて幸せになった話を、いずれあの世で親に聞かせてやることだ。
「必ず帰ってこい、ペディア=ディーノス。約束できぬなら、行かせぬ。」
「……承知いたしました!必ず、半年後には必ず、陛下の下へと馳せ参じましょう!」
いい配下を持った。そう思いながら、立ち上がる。
「他のものへの功績も、褒賞も、すでに定めてある。後ほど伝えよう。本日はここまでとする。」
裾を擦りながら、元居た場所……紅い玉座の脇へと消えていく。その俺の後ろから、小姓がぴったりついてきて、そして同じく建物の影へと入って。
「これにて、戦勝式典を終了する。下座の者より順に外へ出よ。」
ペテロがそういう声が、聞こえた。
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