123.放蕩者は迷いなく
ペガシャール王国、アダット派の拠点。王都ディアエドラ。
王都とは呼べない、もはやさびれた雰囲気すら漂わせるその場所に、一軒の酒場があった。
「らっしゃーい、ってお前か。」
「なんだ、あたしがいるのがそんなに嫌か。」
厨房の壁には、重さ10キロに届きそうな巨大斧。床上には酒樽が山のように積まれている。そんな中、注文を作り、酒を出す料理人は、強面の30代に届きそうな男。
しかめっ面を隠そうともせず、苦々し気に言い放つ男に、女は快活に笑った。
「お前が来るといい仕事が持ってかれちまう。商人の護衛依頼を一人で受注できる傭兵なんざ、お前しかいないんだぜ?」
「知ってるよ。だけど安心しな。あたしは今日、依頼人としてここに来たんだ。」
傭兵は、腕前と人数で金額が決まる。女は凄腕の傭兵だったが、一人でしかない。百人の傭兵より女の方が腕がよく、金額も安い……なんてことはよくある話だった。
店主と話す女は、質素で化粧の色の欠片もない恰好をしていた。赤髪が目立つその女は、体型と声の高さを見なければ女とは察せないほどに質素で雄々しい衣装を好んでいる。
この酒場は、彼女の行きつけの店。……いいや、多くの傭兵たちの行きつけの店だった。
「よぉ、ニーナ。久しぶりじゃねぇか。」
「おっさんも元気そうだな。」
店主との軽い挨拶を終えたと見て、男が声をかける。そいつに軽い返事を返すと同時、酒場に溜まっていた多くの傭兵たちが彼女に声をかけ始めた。
最初の方は程よく言葉を返し、交流を楽しんでいた女だが……何の依頼を受けるか、と聞かれて慌ててその言葉を遮る。
「待て待て待て。あたしは今回は依頼を受けにきたんじゃねぇ。依頼を出しに来たのさ。」
「傭兵界の紅い一匹狼が依頼を出すだぁ?やめろやめろ、どんな恐ろしい依頼か考えたくもねぇ。」
店主が素っ頓狂な声を上げる。紅い一匹狼。それは、彼女をあらわす呼び名の一つだった。
「そんなに驚くことか?」
「もちろんだ!……だが、実際問題困るぞ。お前が依頼を出す、つまりお前で対処できないような問題だったら、俺たちは『四大傭兵部隊長』に依頼を出さなきゃならねぇ。」
ニーナという女は、出来る。純粋な武術然り、貴族との交渉然り、商人との収支計算、時には百近い傭兵をまとめ上げて指揮すらしたことのある女傭兵だ。
だからこそ、彼女が出す依頼とやら次第では、正直手に負えなくなる可能性があった。むしろ、高かった。
「そんなことはならねぇと思うが……なんだ、それ以前の問題か?」
「あぁ。『四大傭兵部隊長』が揃いも揃ってだんまりだからな。」
この酒場は、傭兵たちの溜まり場だ。言い換えるなら、傭兵たちの情報は全てがここに集う。
もちろん、この街以外にも傭兵たちの溜まり場はあるが……よほどのことがない限り、それぞれが知る情報は、出来うる限りの最速で共有される。王都ともなればなおさらだ。
酒場の店主、つまり傭兵たちの総まとめみたいな人物が、「だんまりを決め込んでいる」というなら、本当に何か不気味なものでもあるのかもしれない。
「ちょっと具体的に話してくれよ。」
「金をとるぜ、と言いたいところだが、あんたなら話しておいた方がいいか。“赤甲将”は『王像』に恭順したらしい。奴は貴族を嫌っていると思っていたが……いや、だからこそ貴族どもを殺せるほうについたのか。」
それは知っている、と女は頷く。問題はそれ以外だ。
「『青速傭兵団』は『神定遊戯』が始まるちょっと前に姿を消した。今はどこにいるのかわからねぇ。連絡がつかねぇどころか痕跡すらねぇ。」
おかしいな、とニーナは思った。『青速傭兵団』はそこらへんの後始末はきちんとしている傭兵団だったはずだ。あまり独自で動く傭兵たちの方に顔を出したりこそしないが、お得意様が来ることへの予想もかねてよく酒場には顔を出す。
「あいつらが全員死ぬってなりゃ、よほど大きな物が動いたんだろうが……あぁ、『神定遊戯』が始まってたな。国で何か動いてんのかね?」
何事もなさそうに、しかし面倒そうな声音を乗せて店主が言う。もしも『青速傭兵団』という、貴族と懇意にしている傭兵団が粛清されるような事態になっていれば……残念ながら、ここにいる傭兵たちに未来はない。
「一人で動けず、しかして群れられず、か。」
あまりに危険な世の中だ。一人で野外で寝れば、翌日には死んでいる可能性すらある。死なずとも身ぐるみ剥がされることは、よくあることだ。
傭兵たちは単独で動けるものがほとんどいない。その大半が複数人での活動を主とする。
同時に、出自や性格の問題で、何十、何百という人間と共に活動するのが苦になる傭兵たちがいる。
一人の力ではどうしても足りず、誰かとともには難が多く。そういう人物たちは、妥協案で一つの方法を選択する。
5~10人の小集団で行動する。一匹狼にも大団体にもなれなかった傭兵が行きつく多くの結末である。だからこそ、『青速傭兵団』ほどの大傭兵団、しかも実力高い傭兵団が粛清されるような相手に立ち向かえるだけの力はない。
「他は?」
「『黄飢傭兵団』は……ほら、アレだろ?」
「……まぁ、そうだな。」
場所はわかっているのだという。だが、傭兵団の界隈の問題に口を挟まれていいか、と問われると……無理があった。
「『白芸傭兵団』は、完全に姿を消した。どこにいるかもわからねぇ。だが、奴が現れるタイミングはわかっている。」
「そりゃ、あたしでもわかるぞ。」
あの戦闘狂のことだ。一番戦が盛大に盛り上がるタイミングで、奴が一番楽しめる方につく。
「あぁ、お前も誘われたんだったか?」
「愛妾役でな。わりぃが誰にでも股開くような安い女じゃねぇよ。」
「だが、“白冠将”だろ?大抵の女は口説かれればなびくって聞いたが。」
「あぁ、盛大に口説いてくれた。悪い気はしなかったが、ちょっとな。」
本能で、危険だと思った。……女としてとか、人としてとかじゃなく、ニーナ=ティピニトとして大事な何かが、あいつのそばにいては失われる気がした。
「あいつ、勘だが。国と組んでるぞ。」
「はぁ?天下無双の傭兵団長がアダット派だって?そりゃやべぇや!」
素っ頓狂な声を上げる傭兵たちを尻目で捉える。本当に慌てているようには見えない。とはいえ、慌てていないわけでもない。
「わっかりにくいなぁ。」
「何がだ?」
「こいつらがだよ。ペレティの奴がアダット派だったら、こいつらはアダット派に行くのか、と思ってな。」
「いいや、行かないね。俺たち傭兵は貴族に恨み持つ身だぞ。放置するどころか推奨しやがる男の支援なんて、誰がするか。」
「……だろうな。」
わかっていた。だからこそ、こうして地味な作業をしているのだから。
「依頼内容を伝えよう。」
「おう。」
「ペガシャール王国アダット派、レッド派にある野草の採取、生物の生捕、及びそれを売ること。」
「売る?」
「誰でもいいわけじゃないぞ。あの『外交魔商』ビリーの店で売れ。」
「はぁ?」
驚くだろうな、とは思う。もしあたしが同じことを言われたとして、驚かない未来を予想できない。
「……あぁ、こうしたらわかりやすいか?『ペガサスの跳像』よ。」
輝く。弓を構え、矢の代わりに槍を番えた像。それは、飛び跳ねる鹿に跨った姿で顕現され、『跳躍兵像』であることをこれ以上なく雄弁に伝えてくる。
「ま、まじか……。」
「あぁ。報酬は、帝都ディマルス近辺で土地を得る権利。あと、欲しけりゃ国の軍の兵職も用意してやるよ。」
「本当か!!」
ガバっと言わんばかりに飛びついてくる傭兵が十数人。そいつらを体術で軽くいなして、頷く。
「あたし、“放蕩疾鹿”ニーナの名で保証してやるよ。新たな王は民を食い物にする腐敗を許さない。王の目が黒いうちは、きっとてめぇらが食らった理不尽は起きねぇはずだ。」
傭兵たちが、涙ぐむ様子が見える。いいや、あたしは何も見ていない、と首を振る。
傭兵たちは強いのだ。こんな些末なことで、泣きはしないのだ。
「絶対か?」
「とまでは言えねぇよ。国王っつぅても万能じゃねぇ。だが、国を立て直すんだ。それくらいはするだろうさ。」
帝国になる、という噂は聞いているんだろう。何人かの傭兵が、悩むような所作をした。
「ニーナ、教えてくれ。どうしてアシャト王は、帝国を作る……他二国を滅ぼす、なんてことを言っているんだ?戦争はしない方がいいじゃないか。」
傭兵が言っていいセリフじゃないなという呆れは脇に置く。……傭兵だって、食うに困って盗賊にもなれなかった半端者がなることの多い職業だ。平和主義でもおかしくないだろう。
「あたしは知らないね。だが、あの王様は……あと王妃様は、本気だってことだけは間違いないよ。」
「王妃様?」
その情報は出回っていないのか、と思う。
「エルフィール様だよ。」
「え、エルフィール様が王妃に……王としてお認めになられたのか?」
重要なのはそこなのか、と思った。『王像』に認められたこと以上に、エルフィールに認められたことが大きな承認理由になる。
良くも悪くも腕が全てを語る傭兵界では、あるいは普通のことなのかもしれない。
「いいな、ちっとばっかし『王像』の王様に興味が出てきた。俺はそっちにつくぜ。」
「俺も。」
「私もよ。」
多くの傭兵たちが声を上げる。あたしの依頼となれば断ろう、みたいな雰囲気が出ていた最初とは大違いだ。
「あっちにつくなら手土産がいるわなぁ。あぁ、だから食糧制限か。」
狩猟と採取。野草の類は、採取してしまえば次はない。困るのは、自領で動物を狩られた側、ということだ。
「もっといい方法があるぜ。いいとこの貴族から買い占めるんだ。」
「そっちはビリーがやってる。傭兵に出来ることをしようぜ。」
「そうなりゃぁ……いいぜ、とりあえず食糧の横流し、請け負った!」
これは、他にも何か考えている顔だ。あたしはそう確信しつつ……
「頼んだ。」
傭兵は、自由にやらせる方がいい。まだ、ペガシャール帝国に帰順していない彼らがどれだけ騒ぎを起こしたところで、アシャト様に迷惑が行くことはない。
ニーナ=ティピニト。“放蕩疾鹿”。次は、盗賊の持つ宝の転移だ。
―――――――――
この物語の主人公はアシャトです、という発言を、私は繰り返しています。ですが、割と怪しい部分があるのも確かです。
アシャト君の役割は、実は『帝国を目指す』を宣言した時点で八割がた終わっているんですね。王としての最終決定権であったり、配下の任命権はほぼすべてアシャトが握っているものの……彼の物語上の役割は、『王』に終始します。『主人公』というと、些か怪しい。
ですが、私は彼を主人公だと言います。それは、他の『英雄』たちが主人公ではないためです。ディール、エルフィ、ペディア、エリアス……多くの人物たちの来歴、これから、人間関係、恋に子、そして死。ありとあらゆる『人生』が羅列されていく中で、しかし彼らは歴史上の一人物にすぎず、数ある「英雄」の一人でしかありません。
英雄たちはアシャトを王と讃え、彼の決定に従ってその名声を獲得していく。強いてこの物語の主人公を断言するなら『ペガシャール帝国』であり、人ではない。ですが、それでは物語もまた描かれない。
ゆえにこそ、私は主人公をアシャトと言います。煌めく一等星の数々の中心で、僅かに劣ってなお導とばかりに輝く北極星。それがアシャトという主人公であり、この物語の肝なのです。
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