92.アバンレイン荒野の決戦・起
夜明けが来た。じっと空を見る。
曇天だった。雨は降っていなかった。
ペガサスには持ってこいだろうな、とペディアは思う。あれの弱点は、白くて目立つことではない。空を飛んでいるから、急降下と突撃を失敗すれば地面に真っ赤な花が咲くことでもない。
空を飛んでいるから、影が出来ること。その影と太陽の位置を見れば、どれだけ空高く飛んでいても、ペガサスの場所を予想出来ること。それが最大級の弱点だ。
だから、この曇天はこちらに、俺たちに……ペガシャール帝国軍に、有利な天候のはずだった。
「ペディア。……浮かない顔だな。」
「そうか?……そうだな。否定はしない。」
なんだろう。嫌な予感がしていた。これが決戦で、俺たちに有利なはずの天候で。
なのに、どこまでも不吉な予感。
「今日の開戦は控えてもらおうか?」
俺とペディアが同時に言えば出来るだろう?と言わんばかりの顔。俺は、それに頷きを返せない。
開戦を先延ばしには出来る。柵から出ず、守りに徹するような戦を、数日続けることは出来る。
数でいくら敵が押そうが、エリアスがいる以上、防衛戦はいくらでも可能だった。
『砦将像』は、新たに砦を作り出すことは出来る。すぐに消してしまえる砦をここに顕現できる。
『砦将像』は既成の砦を消すことは出来ない。もともと砦として存在するアバンレインを消すことは出来なかった。
つまり、何もない荒野という土地に限れば、エリアスの『像』は最強の防衛装置であり、いつでも奇襲でいる最高の攻撃装置になりえるのだ。
「いいや、その必要はない。」
この悪寒は、いつまでたっても消えない気がする。とっくの昔にばらまかれた下準備。そんな予感を、ひしひしと感じていた。
「これは今日でも、一週間後でも、変わらない。……そんな気がする。」
「そうか。じゃあまあ、仕方ないな。」
戦場の勘。そういうものがあることを、エリアスはよく知っていた。だてに俺と二年……いや、四年も傭兵団と行動を共にした人間じゃあない。
「勝つぞ、ペディア。」
「もちろん。」
肩を一つ叩いて、エリアスが自分の軍の指揮に戻っていく。あいつは、俺にずっと親愛の情を見せてくれている。
陛下の元で、立場が同じになった。敬語も消えて、完全に、親友のような立ち位置の人間になったと言い切れるだろう。アデイル、ポール、ジェイスを除けば、俺とエリアスは一番長い間柄だ。
……それでも俺が、エリアスを本当に親友と呼べないのは、この罪悪感の所在を決め切れていないからだろうな、と。わずかに、心の端でうごめく傷口に蓋をする。
「さあ!赤甲傭兵団改め赤甲連隊!『超重装』は着たか?」
叫び声。応じるように、全員が楯を一度持ち上げ、地面に突いた。
地響き。やはり頼もしいなと、しみじみと感じる。
右手に持った、大楯を地面に突き込んで立たせた。俺も、持ち物を点検する。
鎧は着た。一度だけ魔力を巡らせ、魔術陣の位置を確認。色あせていないか、きちんと反応するかを把握。
左手を、剣の柄に。陛下から頂いた剣。堅実なる前進(イプニファス)と名付けられた剣を持つ。
堅実。それは、傭兵の在り方に、ある意味最もふさわしいように思う。全身。それは、この『超重装』の在り方に最も近しいように思う。
この鎧は、耐え忍ぶためのものではなく、敵の攻撃を正面から受け止め、押し返し、前に進むための鎧なのだから。
「ふぅ。」
目を瞑る。ゼブラ公国との、決戦。この200年で大量に湧き出た盗賊たちと戦うことはよくあった。貴族の政争に雇われたことも、少なからずあった。
だが、国同士の大規模な戦争。それも「決戦」と名の付くような、全霊を出し尽くすような戦いは、ペディアのこの8年の傭兵生活、12年の戦場暮らしの中でも初めてだ。
「頼むよ、お父さん。」
最後に、思わず腰に結わえた、もう一つの盾に触れた。父の形見。これからの進路が描かれていたカバンの中に入っていた、もう一つの大切な宝物。
それはそこまで大きな形ではなかった。それは長さにして、ひじの付け根から指先をわずかに超えるくらいの長さであった。それは、ほとんど完全な円の形をしていた。
円盾。それは手に持つ武器。振り回せる武器。大楯と比べて、防御に不安の残る武器。
それは、盾が最も得意な戦闘武器であるペディアにとって、最高の、攻撃武器であった。
その形見に、願いを込める。どうか、俺たちが、生き残れるよう。勝利できるよう。
いつか、いつの日か、戦がない世が訪れるよう。
「……行くぞ。」
突き刺した大楯を握りなおして。戦端を開く最前線へと、歩を進めた。
ペディアは最前線へ。エリアスは殿へ。クリス、アメリア嬢は遊撃、右翼左翼中心、その全ての指揮権はコーネリウスに。
……ミルノーは、私のそばで控えている。
「ふぅ。」
勝てるだろうか。勝つしかないだろう。自問と自答を繰り返す。
ペガシャール帝国、ゼブラ公国侵略軍の、おそらく最後の戦闘。
改めて、勝利の条件について思いを馳せる。
そも、戦争において、勝利条件とは何か。
例えば。例えばである。敵が全滅することが勝利条件、という戦争はどうだろうか。全滅の定義とは、大きく分けて二つ。
一つは、国の継続を前提として、軍の兵数の三割が戦死、四割が重軽傷。
もう一つは、国の滅亡を前提として、軍の五割以上が戦死、残りのほとんどが重軽傷。
だが、国の継続・滅亡のどちらの場合においても、その『全滅』の定義に至るほどの戦争は少ない。
では、何をもって戦争の勝敗を分けるのか。それは、どちらか一方の『敗戦の確信』だ。
敗戦の確信。その手法は主に二つ。
一つ、どちらか一方の兵士の半数以上の戦意喪失。
一つ。どちらか一方の総指揮官の降伏。
これのみである。
兵士の大半の戦意喪失。これは簡単なように見えて簡単ではない。
兵士たちの多くは有象無象であり、旗色の良し悪し、正義のあるなしをわかっているわけではない。わからないようにするのが、政治というものである。そうでなければ、国としては都合が悪いのだから。
だからこそ、兵士たちには単純な一言が非常に刺さる。
負ければ、税率が上がり、暮らしは厳しくなるぞ。
負ければ大事な妻や家族が死ぬぞ。
負ければ持っている財産のほとんどがなくなるぞ。
この脅しの一言で、兵士たちは戦意を持ち、維持する。
旗色の悪さを察することが出来るかもしれない。だが、それでも。兵士たちは死の間際まで、自分の大事なものたちの生活を、明日を守るために、徹底的に抗戦できる。それが、いわゆる『バカの特権』であり、『民衆に学を与えない』政治家たちが得られる最大級の利点である。
ゆえにこそ、実のところを言ってしまえば。兵士たちのほとんどが戦意を喪失するような戦いというのは、演出が非常に難しい。
拮抗状態よりわずかに優れている程度の戦では、兵士たちはまだ次があると夢想するし、そもそも旗色が悪いという判別すらもが難しい。
では、あまりに圧倒的な戦力差を見せつけるような戦にすれば?これはもっと悪い。それだけの実力を見せれば見せるほど、人間というのは『最悪の展開』……家族や、財産、大事にしていた全てが蹂躙される様を想像する。
結果訪れるのは、兵士たちから進んで行われる降伏ではなく、むしろ積極的に、全力で、死に物狂いで噛みついてくる死兵の創造だ。
つまり。兵士たちに指揮喪失させ、戦意を折り、結果として勝敗が決まるというやり方をする場合、7:3で勝つような、そんな演出をしなければならない。
そんな演出が、戦争のさなかに出来る?そんなわけがない。よほど最初から仕組まれていない限り、そして最初から戦力差があるわけでもない限り、その条件は達成が不可能だ。
だからこそ。戦争の勝敗というのは、良くも悪くも指揮官の戦意一つに委ねられる。
指揮官が勝てないと判断したとき。かつ、最後の一兵まで戦おうという決断をしなかったとき。
あるいは、その決断をした指揮官を殺し、次点の指揮官が降伏を選んだ時。それが、戦争の勝敗が真に決定されたときになる。
「ゼブラ公国は、どの時点で降伏するのか。」
それは、まず、確実だ。優れた指揮官であればあるほど、ゼブラ公国の王、臣民全てを守るために降伏が最上だと考える。問題はいつかだ。
そして、私はほとんど直感していた。敵軍の敗北条件は、まず間違いなく、敵将、“雷馬将”グリッチ=アデュールの死あるいは戦闘不能である、と。
それが、敗北の理由として最も適している。将が落ちたから軍は戦わない。最高責任者がいなくなれば、戦いにはならない。そう言えば言い訳は立つ。
問題はただ一点。その場合、グリッチ=アデュールを斬らねばならないこと。そして、それをコーネリアスが望んでいないこと。
「人手不足は深刻ですからね……。」
「そうですな。彼を降せば、戦略眼の高い将校を一人味方に出来る。せめて生け捕りがよろしいでしょう。」
「将校には伝達してあります。とはいえ何が起こるかわからないのが戦場。心してかかりましょう。」
「もちろんですよ、『護国の槍』。」
オロバス公との軽いやり取り。その上で、敵陣をキッとにらみつける。
総指揮官が、敗戦理由を作るために最も軽く自死できる方法など、一つしかない。
コーネリウスはしっかりと、父から継いだ『護国の槍』を握りしめた。
他方、ゼブラ公国陣営である。
「ブレッド。俺の後は、任せるぞ。」
「……ああ。行ってこい、グリッチ。」
それは、暗黙の了解だった。それは、グリッチ=アデュールの葬送だった。
彼は、これから死ぬつもりだった。それが普通だと思っていたし、妥当な落としどころであることを彼は理解していた。
そして。生き残っていたとして、『ペガサスの王像』に選ばれた王……アダットかレッドかは知らないが、どちらの元に降るのも嫌だった。
そう。ゼブラ公国総指揮官、“雷馬将”グリッチの最大の誤算。
敵の将がコーネリウスであること。他の将の名前。誰がどの像を持っているのかは聞いた。だが、敵の戴く王の名前を知らなかった。
あるいはその名前を聞いていれば、彼は戦略的にもっと別の方針を打ち立てていたのかもしれない。だが、ただ王の名前を知らず、敵の王が自分にとって最悪の相手であると知っているからこそ、グリッチは戦を、全面戦争を選び、あまつさえ自死によって国を守ろうとすら考えていた。
「……『青速傭兵団』の野郎ども!いつでも行けるようにしておけよ!!」
「「「「応‼‼‼‼」」」」
響き渡る雄たけび。魔馬ペイラに乗った、2000人の傭兵たち。
自分が死ぬときは、敵を蹂躙しつくしてから。その決意の表れが、彼ら『傭兵団』であり。
「全軍!進軍開始!!」
その時その瞬間までは、務めを果たそうと。そう、グリッチは最後の戦の火ぶたを切って落とした。
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