77.赤甲将の初陣

 それは、夏の終わりが近づいてきた日のことだった。

 ぼうっと、満天の空を眺めていた。

 この屋敷に来てはや3ヵ月。そろそろ、ここを出たい。疲れた。言葉には絶対にしないものの、そういう思いが渦巻き始めたころだった。

「ペディア。入るぞ。」

「父さん。どうぞ。」

机の上に出したままの戦術書を閉じながら立ち上がる。父に先んじて扉を開け、部屋の中に招き入れた。

「もう、10になったな?」

「うん。父さんが祝ってくれたじゃないか。」

「そうだ。そうだ。……頃合いだ、戦場に出るぞ。」

「今?」

まだ賊徒が出たという話を聞いていない。なのに、どこに行くのかわからなかった。


「半月後からだな。収穫が始めれば盗賊はそれなりに出始める。先んじて見回りに出、威圧するのが目的だ。」

「なるほど。もう出ていいのですか?」

「あぁ。お前が10になれば戦場へ出すと決めていた。見回りとはいえ、賊徒とぶつかる可能性はある。覚悟を決めてもらいたい。」

「半月も先に行ってくれたんだ。きちんと準備するよ。」

「そうか。」

そう言う父の顔は、少し苦しそうに見えた。まだ幼い息子を、これほど早くに戦場に出すことへの葛藤だった、と今ならわかる。


 きっと、父は10になったら戦場に出す、なんて決めていなかったのだろう。上から……これもおそらくだが、アレイア男爵ではなくリーナ様からの命令だったのではないかと今なら思う。

 とにかく、俺は、そんなよくわからない流れで出陣することになった。


 俺は10歳の子供だ。とはいえ、貧しい子供の中には10歳で戦場に出るものなどいくらでもいる。

 俺は俺用の防具などないのではないか、と思っていたが、そうでもなかった。10歳用の、新しい防具に身を包み、人並みに乗れるようになった馬で出陣することになった。

「ペディア様、お久しぶりですな。」

「アデイル!お前も来るのか?」

「当然。私はフレイルの親友兼副官ですので。本日はペディア様にご紹介したい者たちがおり、こうしてフレイルから離れてここに参った次第でございます。」

そう言うと、アデイルは少しだけ体をずらし、俺の前に二人の子供を押し出した。二人とも、俺と同じくらいの背丈の男だ。両方とも、かなり体を鍛えているのがよくわかる。多分、武術の実力は俺よりも強い。


 二人が俺に軽く礼をした。俺も、会釈で返す。

「ペディア様、こちら、私の息子たちです。こちらの棍棒を握っているのが、兄のジェイス。弓矢を携えているのが弟のポール。これから、ペディア様の護衛の任につくことになります。」

「護衛……戦場だもんな、わかった。ジェイス、ポール。至らぬ部分は多いと思うが、俺を守ってくれ。」

「安心しろ、俺たちが来たからにゃ、お前は死なねぇ。ここにいるのは、ディーノス一の棒術師と弓取りだ!」

「……父さんが、守ってほしいって言ってた。だから、守る。」

うちの父さんより強いのだろうか。そうは見えないんだが。

「ああ、よろしく頼む。」

そうして、ディーノスの一族は、男爵の部隊の指揮官として移動を始めた。




 見回りと言ってもやることは単純だ。たくさんある小さな村々を巡り、挨拶をし、変わったことがないか尋ねながら、領土をぐるっと回り続ける。

 戦争で進軍するような固い旅ではない。どちらかと言えば、ゆったりと軍団で旅行をするような。そんな、落ち着いた旅路だった。

「おい、見ろよペディア!蛇だ!!食ったらうまいかな!獲ってくる!」

「馬鹿者、ジェイス!あれは毒蛇だ、ちょっかいを……ああもう!殺気なんか見せるから!」

「ちょ、早、うわ!」

「兄さん!」

なんていう一幕が、一幕なんていう頻度ではないくらいに起きた。楽しい。心から楽しい日々だった。


「楽しいか、ペディア。」

「うん。戦場に出るなんて言うから、もっと危険なものを考えていたんだけどね。正直、エリアスと一緒にいたときくらい楽しい。」

「そうか。思えばお前が自由に遊ぶことなどそうそうなかったからな。楽しんでくれたらうれしい。」

そうだな、と思う。俺は、言うほど遊んでこなかった気がする。


 男爵様の屋敷に行って、男爵様の息子とか、他の『執事階級』の人たちの生活に触れた。彼らは、何だろう。俺みたいに、訓練して、勉強して、また訓練する、みたいな日々を送っていなかった。

 勉強はしていたけど、もっと町とかに出て買い物したり、外に狩りや釣りをしに行ったりしていた。

 なのに、俺は絶対に許されることはなかった。聞いていいことか、当時は考えるようになっていて。意を決して、聞いたのだ。

「どうしてなの?」

「……もう、話してもいいか。」

少しため息を吐いてから、父は言った。


「俺たちディーノスは、アレイア男爵の猟犬だ。アレイア男爵の軍を借り、その指揮官として戦場に立ち、多くの賊徒たちを倒し、時に民に戻す。そういうことをずっとしてきた。」

「そうだね。父さんは優秀だって、よく聞くよ。」

「そうだ。父さんは優秀だ。誇っていいぞ、お前はそんな父さんの息子に生まれたんだ。」

頭を撫でられる。俺も、あなたの息子に生まれてよかったと思う。


「だが、優秀だからこそ嫉妬を買う。この優秀さを、他の執事階級の者たちも持っていたら話は別だったのかもしれないが、そうじゃなかった。父さんがとてもとても優秀だった。」

「いいことじゃない!だって、そのおかげでみんな安心して過ごせるのでしょう?」

「そうだ。アレイア男爵様や、その上司であるフェリス=コモドゥス伯爵様。そして、男爵寮に住む全ての平民たちは、父さんが頑張っているから安心して暮らせている。でも、他の執事階級はそうじゃない。」

お金を管理するもの。商売をやるもの。税収を取り立てるもの。いろいろな執事がいて、でも彼らは、ディーノスがそこまで優秀なのは怖いのだ。

「どうして?」

「父さんたちは多分、商売も出来る。税金を集めるのは、多分あの執事たちより父さんの方が早く、みんなに協力してもらって集められる。」

みんなが父さんを慕っている。父さんがみんなのために一生懸命に働いているから。だから、他の執事は、自分たちが職を失う可能性があることを恐れている。


「でも、父さんはそんなことしたくないでしょ?」

「そうだな。したくない。でも、したくないという感情と、出来るという事実は別なのさ。重要なのは、事実の方。……命の危機になるなら、排除する。職を失うのは、命を失うことに近い。ゆえに、今の俺には敵が多い。」

正直、父さんが何を言っているのかはわからなかったけれど。でも、父さんが、周囲に敵が多いことを当然だと受け止めていることだけはわかった。間違っている。でもなく。おかしいでもなく。ただ、当たり前のことを当たり前に受けているのだという、そういう姿勢。


 俺はこの時の、妬みを受け止められる父の姿勢を、心からすごいと思った。


「父さんたちは、執事階級から妬まれている。そして、倒した賊徒たちやその家族からも、恨まれていてもおかしくない。父さんたちは、アレイア男爵家に立場的に守られているけどな。そうでなければ、今すぐに他の家から攻撃されてもおかしくないんだ。」

そして、ディーノス家が重用されていることが面白くない執事階級も、恨みつらみを発散させたい賊徒たちも、両方が狙いやすい人間がいる。

「それがお前だった。ペディア。」

執事階級にしてみれば、俺さえ死ねば、後は父さんが引退するのを待てばディーノス家の重用は終わる。のこりはせいぜい20年ないくらいだろう。それなら待てると考えられた。

 賊徒たちにしてみれば、ディーノス家は俺を人質にしてまで搾り取れるほどの財はない。ないわけではないが、搾り取れたところでそこまで旨味がないのだという。

「殺した方が俺自身の心に傷を負わせられる。お前は、人質としての価値より、死んでからの方が大きな影響を与える息子だった。だから、徹底的に守らなければいけなかった。」

少しでも外に遊びに行かせたら。不用意な人間と接触させたら。ほんの少しのことで俺は死んでいる可能性があったと父さんは言う。


 俺は、黙って頷いた。俺が、思っていたより数倍大切にされていた。そんなことを、知った日だった。

 でも、思うのだ。俺の家は、俺の境遇は、一歩間違えれば死ぬような、そんな危険な綱の上に建っていたのだという事実は……もしかしたら。今まで感じていた以上の、悪夢だったのではないかと。




 まる二ヵ月。それだけかけて、俺たちは盗賊の一人も寄ってきていないことを確認した。後は、最後の一か所だけだと、父さんは言った。

「ペディア。次の場所は、いいか、必ず戦いになる。お前の方に誰もいかないようには注意するが、保証はしない。いいか、何があっても取り乱すな、冷静さを忘れるな。お前は、俺の息子だ。」

「……はい。」

父さんのセリフに、頷きを返す。自然に、手が剣の柄へと伸びていた。緊張する俺を見て、父は笑った。

「さて。例年確実に賊徒がいる山だ!心して動け!!」

アレイア男爵領に拠点を持つ、賊徒の山。そちらへ向けて、父は一歩踏み出した。


 アレイア男爵領の、領境付近の山。ここは、毎年必ず盗賊が拠点にしようとするらしい。

 ディーノス家は、アレイア男爵領でしか戦わない。もちろん、フェリス=コモドゥス伯爵からアレイア男爵に出陣要請があれば、その軍を率いるのは父さんになるのだが、普段は父さんもアレイア男爵領から出ることはない。

 そして、領境のこの山には、自分たちの住んでいた場所から流れてきた盗賊が、一番最初に拠点を作る場所なのだ。だから、ここには必ず、盗賊がいる。


 一歩、一歩。ゆっくりと、確実に進んでいく中で、彼らは予兆もなく、唐突に襲撃してきた。

「上に気をつけろ!ここは山だ、視界の悪さと足場の不安定さは念頭において、3人一組!離れすぎるな、近づきすぎるな!」

父さんの声。それを聞いて、剣を抜いて構えつつ、ジェイスとポールの位置を確認した。あの二人も、きちんと俺と兄弟を視界にいれている。上手い。


 上空に影。反射的に、剣ではなく腕に備え付けた盾を振り上げて迎撃する。

「うお?子供だったらカモだと思ったのに!」

「舐めるな!!」

振り下ろしていた武器を弾き飛ばされた盗賊は、ググっと体を縮めると何とかバランスを保ったまま着地しようと試みる。させるまい、と剣を全力で突き出した。

「っと?ダメだよそんなに飛ばしちゃ、読んでくれって……うわ!」

危なげなく回避しようとした男に、剣を下げつつ盾を突き出す。……腕が伸び切ってこれ以上届かないのなら、一歩踏み込めばいい。剣を引き下げて突き出す、では遅すぎるのなら、最初から盾を突き出せばいい。


「っつ。こいつ、主武器は剣じゃなくて盾か。クソガキめ。」

「落ちろ!」

剣では、腕を伸ばしきったら出来る動きがほとんどない。でも、盾ならその限りじゃないことに、今気が付いた。

 盗賊の顎を、盾で突き上げる。それによって落ちた盗賊を見ながら、チラリと周囲を見回し……

「ペディア!!」

真後ろに、賊が一人。しかも、網を構えている。


 ヤバイ、昨日父さんが言っていた「殺した方が価値がある」のは平時の身だと思いだした。戦場で大将の息子が人質、ならば、俺にも人質としての価値は高くなってしまう。

「う、おおおおお!」

槍が、投げられた。投げた男の名は、ヒツガー。俺の、上司。

 投げられた槍は宙を飛んで、網を持った賊の脇に突き刺さる。貫通こそしなかったものの、致命傷にはなったようで、やつはそのまま崩れ落ちた。

「……父さんは?」

ホッと、安心するのもつかの間。俺は、前を進んでいるだろう父の方を振り返り。


 血まみれの赤い剣を振り回す、父の鬼人がごとき暴れっぷりに目を見張り。

 その後方から矢を放とうとしている、数人の賊たちも視界にいれた。


「父さん!」

叫び声は、多分、聞こえなかった。



 槍が、一周、回転された。それだけで、父さんに向かう予定だった矢は、全て叩き落とされた。

「フレイルの背を狙おう。その頭の回転は認めましょう。しかしながら、フレイルは一人ではない。」

「アデイル。相変わらずだな。」

「そりゃ、もちろん。」

「任せても?」

「いくらでも。」


その会話は、俺には聞こえなかったものの、なんとなく察せた。

 アデイルが、常に父さんの背を守っている。……アデイルは、常に、父さんの背中だけを、守っている。それが、伝わってくる一つの絵。

 その日の戦は。父の雄姿を、俺の教師の覚悟を、絆を。まざまざと、見せつけられるようだった。



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