58.一騎打ちの結果と逃亡兵たち
一騎討ちの結果は実にあっさりだった。
コーネリウス様が馬の速度を落とすタイミングがばっちりだったがゆえに、クリスとコーネリウスは互いに並走する構えを取った。
どうなったか、語る必要もないだろう。二人は互いの獲物をぶつけ合い、見事な拮抗状態を生み出した。
その手綱と両脚で馬に指示を出し、互いに裏を取ろうと読みあいつつ、上半身は互いに獲物を激しくぶつけ合う。その拮抗状態を、実に30分近く維持してのけた。
結果。人ではなく、馬が限界を迎えたのだ。全く、同時に。
ほんの5秒。ほんの5秒の差があれば、勝敗は決していた。馬上であるか馬上でないか、その差は大きい。コーネリウスほどの膂力を以て馬上から振り下ろす打撃武器としての槍は、まず間違いなく一瞬で決していた。いかにクリスの技巧が巧みであれども、落馬した瞬時では回避も迎撃も叶わない。
クリスの技巧であれば、態勢が大きく崩れたコーネリウスの体に致命傷を与えるくらい、呼吸をするかのように行えたであろう。それは間違いなく、コーネリウスの馬が先に疲れれば訪れる未来であった。
だが。二人の技術に、馬が長時間ついてこられるのか。……残念ながら、そんなわけがない。あるいはこれが一騎打ちではなく、相手が己と対等ではなく、互いに全力を尽くして長時間ぶっ通しでなければ話は違った。
しかし二人が乗る馬は軍馬とはいえ標準的な馬であり……せいぜい、30分が限界だった。もちろん、何の対策もしていなかったわけではない。馬の負担が減るように戦うこと。相手の負担が増えるように戦うこと。それは、馬術能力段階7段階格上昇への条件だ。両者ともその実力は有している。
有しているがゆえに、読みあい、削り合いがものの見事に拮抗するに至ったのだ。だからこそ、馬の疲労という形でこの勝負は不完全燃焼を迎え……
「「「「「おおおぉぉぉぅぅぅ!!!」」」」」
馬から降り、次の馬を選出するべく動こうとした二人の鼓膜に、歓声が響き渡る。これがあくまで模擬戦であり、兵士に将の威光を見せるべくの戦いだったことを今思いだした二人は、馬の選出を止めた。
見るからに、これ以上の戦いは蛇足である。どちらかが負けるまで、どちらかが勝つまで戦っても、そんな戦いを何時間も見せられるであろう兵士たちの心労を考えると、意味がない。
「……ふぅ。ここらへんでやめにするか、クリス?」
「そぉですね。この辺で切り上げて、もう一回調練始めますか?」
さっきの荒れた口調を引きずっているのだろう、些か間延びした賊のような口調でつぶやいた彼に、コーネリウスはクスリと笑った。
「笑わねぇでくださいよ。ちっとばっか興奮してるだけでらぁ、じき戻りますから。」
「あぁ、いいや、変えなくともよい。」
それに、興奮しているのはコーネリウスとて同じだ。ここ最近は対人戦なんてやる暇はなかったし、その分楽しかった。その感情は残っている。
いい気分ではないが、共に武器を交えた者。多少の情くらい、感じてみるのも一興だろうとコーネリウスは決めた。嫌悪もないとは言わないが、互いに強さを持つ身。身分の一面のみを見るには、あまりに才覚が大きすぎる。
「同じ『像』だ。『像』同士に身分の差など価値はない。」
「そりゃそうですけど、いいんですかい?」
建前だけ、きれいごとだけ、述べた。とはいえクリスも、コーネリウス自身がもつ嫌悪感を察している。
「私自身の感情を言っているなら、気にしなくてもいい。少なくとも、実力は認めるさ。」
「あんたのその理論じゃ、一番敬意示さにゃならんのはギュシアール老だな……。」
良くも悪くも実力主義、そんな姿勢へのツッコみは至極もっともだ。だが、戦乱もかくやというこの状況で、強さを頼りにしない……という考えでいるのなら、それこそ正気を疑ってかかるべきである。
コーネリウスは、『護国の槍』一族のトップだ。ただただ、好き嫌いで生きられる男ではない。
「強い者は認める。弱いものは切り捨てる。生きる上で必勝の理論だ。……少なくとも、現状のペガシャール王国では。」
あるいは、『王像』がアダット陣営であれば、特別実力を認めずともコーネリウスの地位は確約されていた。レッド陣営でもまた同様だろう。『護国の槍』の歴史はそれだけ重かった。
だが。今は、その限りではない。いや、アシャト陣営に限っては、その限りではない。
この軍はペガシャール王国から派生した軍ではあるが、ペガシャール王国と同一の国ではない。アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアという名の男と、『ペガサスの王像』ディアの二つの名に拠って立つ国だ。エルフィールやアファール=ユニク侯爵、エドラ=ケンタウロス公爵以下、外付けの権威はいくつかあるものの……彼らがおらずとも、アシャト王は『王』であり、彼個人で絶対的に一つの勢力である。
即ち、コーネリウス、いや、バイク=ミデウス侯爵家は完全にアシャト王の慈悲にすがらなければならない立場である。悲しいかな、侯爵家の権威、『護国の槍』の価値は有名無実。コーネリウスという人間は、ミデウス侯爵家の名でアシャト王を支えるのではない。コーネリウスという個人をアシャト王に売り込まなければならない立場で……
「だからこそ、私は強さを認める。ともに歩めないならば、陛下に切り捨てられたならば、その時が侯爵家の滅びるときだからだ。」
裸の王様が、権威を得た結果。マリアは『新たな国を興すようなもの』と表現したが、その評価は一部間違いだ。
正確には、確かに。アシャトは『新たな国を興している』。貴族たちに支えられて、あるいは神輿として担ぎ上げられるだけの『王』をやってきたこれまでの王たちとは違う。アシャトは今真に、貴族たちにゴマをすられているのだから。……その意味を、実のところアシャトとディアは理解しきれていないのだが。
「はん、生き残るためってか?」
「それだけではない、が。そうだ。これからのペガシャール帝国で、『護国の槍』がその名声を、実利を維持し続けるためには、どうしても陛下の意思に従わなねばならない。」
それが、実力主義だと。コーネリウスは言った。間違いねぇな、とクリスは笑う。
「俺はフィリネス候じゃねぇから断言はできねぇけどよ、お前、貴族らしいな。」
「ヒュデミクシアの、か?まあ、そうだな。否定はできない。あながち間違いとも言えないからな。」
「いぃや、うちの国の貴族はもっと下剋上精神に満ち溢れているね。あんたの貴族主義は、グリフェレトかドラゴーニャのそれだよ。」
フィリネス候は間違いなくフェルト王国の貴族だろう。性格ではない、気質、貴族としても考え方の問題だ。だが。
「貴族の考え方云々ではない。これは、人としての生き方の問題だよ。フィリネス候は命よりも誇りを大事にする。私は私の誇りよりも家の誇りを重視しただけだ。」
それでも、貴族らしいといわれると心の中で何か安心するのだから、きっと自分は貴族なのだろう。コーネリウスはそこに軽い呆れをにじませつつも、言った。
「さて、クリス。次は、どうする?」
「飲料水の確保だろう?」
「……そうだったな。必要だった。」
煮沸して、飲める水にしなければならない。燃料の確保もさせるかと、コーネリウスは指示を出すべく立ちあがった。
調練は順調に進んでいると、私は思う。アメリアの天馬騎兵隊も隊列を組んでの調練に入った。地上部隊もほとんどが三時間程度なら走り続けられるようになった。速度が均一かといわれるとそうではない。速いか遅いかで言うと……問われるまでもない。遅い。そもそも速く走る調練はしていない。長く走る調練しかしていない。
14日間しかないのだ。その間に、明確に生死を分けるような調練は、長く走れるか否かしかなかった。剣や槍の取り回しも、部隊行動も、一から叩き込むには14日では足りない。……いや、足りると言えば足りるが、足りない。
「あと四日で集団行動くらいは出来るように……ペディア、出来ると思いますか?」
「ほぼ3万の人数に、ですか?出来なくはないと思いますが……必死になってでも覚えようと思うきっかけが欲しいところです。」
ペディアの答えは私のものとも一致している。クリスとの一騎打ちのおかげで、兵士たちは私たちの指示に従うようになった。そこに不満を言うものも極端に減った。エリアスの砦を見て、兵士たちは『神』の威光を信じ切るようにもなった。
だが、やはり。それだけでは、ほんのわずかに届かない。
「ここまでの調練をしたら勝てるだろう、と思い始めているのがつらいですね。」
アメリアが隣に立って言う。その通りです、と私も思う。兵士たちは、調練に慣れていなかった。だから、たった10日間、数時間ぶっ通しで走れるようになった程度で、勝てるようになったと思い込んでいる。
私がやったのは、それだけ。生き残る可能性を底上げしただけで、戦争での技能を何一つ教えていない、教えられていないということに目が全く向いていない。
戦争は命のやり取りだ。兵士である以上必死でなければならないのだと、兵士たちが何より知らない。
「ほ、報告します!!」
考え事に沈み切る直前に、静寂を破って響き渡った声。私、アメリア、ペディア、クリス、エリアス、そしてミルノーがそろい踏みするこの場所で、響き渡る声はとても明瞭だ。
「先行部隊2万8千、全軍壊滅!生存者9000名、砦の前に集っております!!」
速い。それが純粋な感想だった。敗戦は予想出来ていた。だが、逃げてくるのがこれほど早いとは思っていなかった。
死の恐怖とは、人をここまで死に物狂いにさせるのか。その感慨が心の隅に色を落とす直前に、その数に、驚愕した。
「9000だと?」
「は!!」
そうです、何かとでも言いたげな部下の声音がイラつく。そりゃ大問題だろう、聞いて思わないのか。
多い。生存者が、多すぎる。予想では3000帰ってこればいい方だった。まさか、9000もの人間が、方向性を見失わず、ここまで走ってこれるとは。
「迎えに行く。護衛は50、ついてこい。」
ミデウス侯爵家肝入りの精鋭が付き従う。クリスも、いや、将校全員がついてきた。少し距離を離して、兵士たちもまた。誰も指示を出さないからだろう。待っていろとも指示されていないため、ついてくることは止められない……止める気もなかった。負ければこうなるという実例を、目の前にさらしておくことに、価値はあるだろうから。
それがどれだけの価値になるのかは、私たちにも、わかりはしないが。
「アーネルド伯爵軍以下28000名……だったものたちだな?」
「ハッ!アーネルド伯爵……ルーカス=ボレッド=アーネルド伯爵当主以下貴族当主、及び嫡子共に行方がしれません。また、陛下の膝元に集結しし兵士19000名余、死亡、捕虜、あるいは行方不明。生存者、計8352名、ここに帰投いたしました。」
「貴殿の名は?」
「アーネルド伯爵家にて武術教官をしておりました。グラディオ=アレイオーンと申します。アーネルド伯爵殉職後、逃亡する兵士たちを率いて逃げて参りました。一時的な代表として、こうして話をさせていただいております。」
筋骨隆々の男だった。しかし、強さは感じられない。……強いだろう。少なくとも、陛下よりは強い。だが、私とクリスよりは弱い。……エリアスとペディアよりもなお弱い。いや、私たちは『像』の力を使えば身体能力が上がるため基準にはならないのだが。
とはいえ、想像以上の兵士たちを生きて逃亡……生存させた男だ。指揮能力は低くあるまい。それよりも、だ。
「そこな兵士たちは戦えるのか?」
疲れ切ってへたり込む兵士たち。立っているだけの体力はなく、こちらを見上げるだけの目力もなく。……あるいは、私たちの手に持つ武器を視界に収める勇気もなく。
その割には、やはりだろうか。血の感覚が少ない。返り血であったり、踏みつけた戦友の亡骸の血であったり。
その全身を上から下まで隈なく見ても、血の赤が視界に驚くほどに入らない。
不思議がる私をよそに、グラディオという男は言った。
「無理でしょうな。もうすでに心が折れておりますれば。」
断言される。まあそうだろうと思う。28000人で飛び出して、ほぼ9000人……いや、8000人になって帰ってきた。その驚愕は、その心へ与える一撃は、察して余りある威力だろう。
「そうか。よい。砦の中へ……動くな!!」
突っ込んでくる兵士の影が目に写る。それが何を指しているのか。誰を狙った攻撃か、何のための攻撃か。将校と護衛のみが門前に出張った状況下。どう考えても多すぎる生存者。そんな状況で飛び出してくる、生存者側の兵士が、200。
「舐められたものだな。」
生存者……いや、生還者が多いのは、意図的なものだ。半分くらいはグラディオの指揮能力の高さだろうが、もう半分は意識的に生還者を増やされていた。
普通は、あと1000から2000は捕虜になる。追撃はもっと激しい。死傷者は言わずもがなだろう。だが、実際に8000名は生きて帰ってきた。意図的に捕虜を取らず、追撃は兵士を殺しにくい形にとどめていたのだろう。
逃亡者の中に刺客を紛れ込ませるために。彼らが違和感なく兵士たちの中に入り込むには、逃げる兵士が多い方がいい。8000の中のたった200、見抜く方が難しいのだから。
意図せず刺客を殺すリスクを抑えるために、追撃を激しくするわけにはいかない。刺客が多ければ多いほど、敵の有力な将兵を一人でも殺せる確率が高まるのだから。
だが、だからこそ、こいつらは私を舐めている。
「『ペガサスの将像』よ。」 「『ペガサスの砦像』よ。」 「「『ペガサスの騎像』よ。」」「『ペガサスの連像』よ。」 「『ペガサスの器像』よ。」
六人の声が重なった。私たちは王に力をもらった『像』である。正直、相手がよほど手練れの刺客でない限り、一人が力を解放するだけでも200人を蹴散らすには十分である。
それが、六人。ほんとうに、舐められている。
刺客たちを一掃するまでに、私たちは1分かからなかった。
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