39.護国の槍
アダットは荒れていた。荒れに荒れていた。
自分の派閥の有力な武や軍に関する貴族たちは、軒並みレッドによって引き抜かれた。
今となっては、自派には血統主義者や内政に関する有力者ばかりが王宮に集まり、何の価値もない議論ばかりを目の前で繰り返しているだけだ。
「なぜだ!なぜだなぜだなぜだ!!」
そして、そうであることをアダットは認めたくない。
認められるはずがない。自派の人間が揃って寝返ったのだ。自分が弱くなって、レッドが強くなったのだ。
アダットは知らない。レッドは一度も、引き抜いた人間たちにアダットを裏切れとは一度も言っていない。
自分に与えられた役職を最大限に利用した。アシャトを討つという命令に従うために、力を貸せと言っただけ。
ただ、アダットに無断であるということを言わなかっただけだ。そして、自軍の軍備と連携の訓練のためにわが領地へ来てくれと要請しただけ。究極的には、アダットの命でアシャトを討つことになるのはレッドである……一度軍を率いて討伐に向かった前例があるだけに、疑いつつも従ったものがそれなりにいただけ。
策謀と魔剣の名家、デット子爵家。鍛冶と弓術の名家、ニネート子爵家。そして、魔術の名家、コリント伯爵家。
彼らはレッドの手によって、裏切りの手引きをさせられていた。何せ、理は、レッドにあったのだから。
「ミデウス侯爵の家へ向かう。ゲリュン、ついてこい。」
何の成果も自分に差し出さない彼らに嫌気がさし、アダットは早々に彼らを切り捨てた。軍の名門で、最後に残った王都の武家へと、足早に向かう。
(やれやれ。わが主の求心力のなさは一体どうしたものか。)
ゲリュンはややため息をつきつつ、今の仕事の手を止めて彼に付き従った。
ドラゴーニャ王国からの援軍は、アダット派の提供する食糧をただ食べるだけで、何もしようとしないだろう。戦争が始まればおのずと変わるだろうが……それも、アダットの為でなく国の為だ。
そもそもまだ、彼らも国を発ったところであろう。前回彼らがペガシャールに少数で来れたのは、『跳躍兵』の力故。今回は軍を率いての遠征であり、『像』の力は使われていない。
アダットの周りには、ただでさえ人が少ないアシャトよりも、人材がいなくなっていた。
アダットは足早に門へと入り、「主に取り次げ」と尊大な態度で命令する。
王としては正しい在り方でありながらも、状況にふさわしくない立ち振る舞いに、ゲリュンは冷めた目で主を見ていた。王太子としても、相応しいのか悩ましい。
だが、屋敷の主は、そのアダットの対応に呆れるほど鷹揚だった。あるいは無関心なのだろうとすらゲリュンには映る。
「これは、殿下。ようこそおいでになられました。」
堅い声音でそういうのは、この屋敷の主、クシュル=バイク=ミデウスだ。貴族の当主だけあってそれなりの礼儀を見せてはいる。が、その表情は堅く、厳しい。
鋼色の髪、同色の瞳。鍛え上げられた鋼鉄を思わせる肉体を覆うは蒼の中衣と藍の上衣。レッドを前にうやうやしく首を垂れる様は、まさしく武将であり、政に関与せぬという姿勢を強く見せている。
「お前はレッドについていかなかったんだな。」
「我が家は護国の槍ですので。わが弟が、彼の配下へ下りました。」
「そうやって血族を分けて、血筋を残す。それが貴様らのやり方か。」
「どこが勝つにしても、『ペガシャール』の国は残ります。であれば、我が槍はその全てを護り通すまで。」
『ペガシャール王国』建国以来、ずっとこの国を護り続けた、武の名家。それが、この、ミデウス侯爵家である。
五百年以上前、国がその功績をたたえて『バイク』という姓を与えてから、彼らはバイク=ミデウス侯爵家を名乗っていた。
「わが軍に来い、余を助けよ、侯爵。」
「承知いたしました。」
アダットはあまりにあっさりと命令し、クシュルあまりにあっさりと承知した。打ち合わせでもしていたのではないかというあっさりさに、ゲリュンが軽いめまいを覚える。
ゲリュンは、彼ら二人のその呼吸に、理解が出来ずにいる。当然だ、クシュルという男の難物性は誰もがよく知るもの。ましてアダットの態度は、人にものを頼むそれではない。
「良いのか?弟と争い合うことになるぞ?」
口出しをする気は、なかったはずだった。それなのに、ほとんど無意識に言葉が吐き出されていた。
それに対し。その槍の答えは、あまりにも武器武器しいもので。
「勝てぬ槍は、護国の任には向かないゆえに。」
満足したのか、アダットは大きく頷く。単純馬鹿には、生存競争的なノリが大変気に入ったらしい。己がその渦中どころか、ほぼど真ん中にいることに関しては、見事に目に入らないようだった。
「ならば命ずる。余に、勝利を捧げよ。」
「委細、承知。」
クシュル=バイク=ミデウス。彼を登用したことが、アダット唯一の成功策だったと、後世では語られている。
それと同時に、彼はこの時点で最大級の失敗をした、とも語られていて、その理由が……
「まずはレッド派だ。余の意に沿わなかった彼らの粛清から始めよ!!」
クシュルの表情に、変化はなかった。ただ、ゲリュンの顔だけは、「この、バカが」とでも言いたげなものに見る見るうちに変化する。
「……御意。いつ、出陣すればよろしいか。」
「二週間だ。それまでに準備を整え、出陣せよ!」
最初に、敵をアダット派に指名したこと。それが、彼の最大級の失敗であった。今であれば……アシャト達に、勝機はほんの一分もなかったゆえに。
護国の槍と謳われる名家、ミデウス家。どんなに優れた槍も、どれだけ優れた人材も、扱う人間の腕が悪いと、なまくらにしかならない。
アダット派の凋落は、その旗頭の時点で、とっくに始まっていた。
アダットとゲリュンが帰ったのち、クシュルは自らの息子と娘を自室に呼んだ。
「父上、お呼びでしょうか。」
若々しい声がした。クシュルの様に、まるで何もかもがそぎ落とされたような冷たい声ではない。燃え盛る情熱、それこそ熱鉄を思わせるような声。
クシュルの瞳の先に移るのは、クシュルとは似ても似つかぬ息子だった。いかつい顔、表情筋がもはや固まったようなクシュルと異なり、ハリのある、柔らかい表情筋を見せる、活動的な青年だった。
呼んだのは長男で、次男と三男は呼んでいない。だが、娘たちは側室の子に至るまで四人、全員を集めていた。
「コーン。コーネリウス=バイク=ミデウス。お前に任務を与える。」
仰々しい、大げさな物言いで、クシュルは口を開く。だが、その息子、コーンはどんな任務なのかを察していた。
ミデウス家は、護国の槍である。それは、長年培ってきた戦場での功績に拠るものだ。
だが、それなりの歴史があるからには、それなりに生き残ってきたという実績も必要である。
何が言いたいのかといえば、彼らはしぶといのだ。家のために、命を後につなぐために、どれだけ生き汚く立ち回れるかというのが、貴族として必要な資質なのだから。
「娘たちを連れて、アシャト様の軍へと合流せよ。彼らの下で、ミデウスの槍を振れ。」
クシュルが差し出したのは、護国の槍。ペガシャール王国建国当時から伝わる、ミデウス侯爵家最大の武具にして、家宝である。
コーネリウスはそれを両手で受け取った。これを得るということは、家を相続したこととなんら変わりはない。
「父上、もしや。」
「『王像』もその配下の『像』たちの力も、人智を超える。それに、現ペガサス王のことを、私は良く知っている。」
護国の槍と言われるからには、王候補とはすべて顔を合わせている。アシャトが現ペガシャール王国国王……アダットの父に命を狙われるきっかけは、クシュルの報告であった。
アシャトがいかに有能な人間か、王に報告したのはクシュルである。それがゆえに、アダットを王にしたい現国王は、アシャトを殺すために盗賊退治をさせた。
おかげでアシャトはディールと出会い、今こうして戦っていられるのだ。ディールと出会っていないアシャトでは、『王像』に選ばれても今日までうまく立ち回れたかわからない。ディールという絶対的な武は、アシャトの心に、「最悪生き残ることは出来る」という自信にはさせていた。
王としての己への自信はなくとも、義弟と二人で戦いつづける自信だけは彼にはあった。まるで針に糸を通すような勢力の連続拡大も、「あとはどうとでもなる」という土台の上に築かれている。
クシュルには、そこまで知る術はない。ディールとは会ったことすらないゆえに、その武技が国内でも五指に入るほどのものだとは知らない。
「エルフィール様も彼の方へ付き、デファもオロバス公爵と共に彼の下へと向かった。その意味が分からないおまえではないだろう?」
「は。では、私たちはアシャト様の下へ参ります。」
「良い。では、コーンとシャル以外は用意をしに行け。」
言外に、長男と長女は残れと言われて、彼らはそのように動き始める。他がみんな出て行った後に、クシュルは長男の方を見た。
自信に満ち溢れた息子。クシュルとしても間違いなく、次代を率いるに足る器たる子だった。
「デファがアシャト様の方へと向かった。おそらく、『元帥像』は彼だ。」
それでも。国の状況を鑑みるなら、そして『今の』コーネリウスの状況を考えるなら、心が折れる前に告げておかねばならぬことがあった。
次期ミデウスとして何ら不服はない才覚の持ち主ゆえに、認められない可能性を示唆しておかないと、折れられる心配があったためだ。
「人事異動もあり得るでしょう?護国の槍を元帥にしないほど、王は愚かではないのでは?」
「それは、アシャト様が現国王陛下の陣営であればあり得た話だ。だが、アシャト様は今、しがらみの多くから解き放たれている。」
代々受け継がれてきた『元帥』の歴史は、時代の変遷とともに変化していくのだとクシュルは言いきる。
「だが、人材不足は変わるまい。コーン。お前は、ほかの候補を出し抜いて、『将軍像』を狙え。シャル、お前は『戦車将像』だ。ミデウス家の戦車をすべて持っていけ。」
目を娘に移して、彼女の才覚を見据えながら言う。
娘は、困ったように少し首を傾げた。一族に伝わり続ける鋼の髪と瞳が、色白の肌を引き立てる。
「父上、それではアダット様に気付かれはしませんか?」
ちょこんと首を傾げた姿が、とても可愛らしかった。それが意識したものではなく、無意識に行えるように訓練されたハニートラップでなければ、クシュルは娘への愛情に負けていたかもしれない。
振り払うように、吐き出すように。クシュルは外からは決して見えないような感情の起伏を感じながらも、言葉を吐いた。
「気付かない。私たちの戦車は王都郊外にあるし、アダット様はそこへ行かれたことがない。」
ゲリュンの顔を思い出し、あれだけは怪しいな、と考えつつ答える。アダットは、王都から出たことのない箱入りだから、恐れるべきは彼の下についた部下たちだった。
「娘たちを任せるぞ、コーン。」
「承知いたしました。……シャル、行こうか。」
武家に生まれた若き二人は、父との決別をする。もう道が交わることがないと知りながら、次の出会う場所は戦場であると覚悟を決めて。
「クシュル様。」
「ベネット。……向こうの元帥は、デファだ。あのギュシアールの弟。……直接軍でぶつかるのは、初めてだな。」
「コーン様と戦うより悲しそうに見えますが……。」
「息子では、まだ私の敵ではない。デファだから、私の敵たりうるのだ。」
三陣営に、最高の指揮官がいた。
アダット派には、『護国の槍』、クシュル=バイク=ミデウス。
レッド派には、その弟、ヒリャン=バイク=ミデウス。
そして、帝国派には、デファール=ネプナス。
「勝った指揮官の所属する派が、ペガシャールの覇王だ。」
「興奮しておられますな。」
「しないわけがなかろう?……武人として、己の能力を最大限まで生かせる機会なのだから。」
静かに、クシュルは息子たちが屋敷を出ていくのを、聞いていた。
一方、レッド派拠点、ホーネリスでは。とある一室に、六人の男が集まっていた。三人は壮年、三人は青年。父子が三組である。
テッド子爵家、ニネート子爵家、そしてコリント伯爵家当主は、レッドに言われるままにここに来たことを後悔していた。
嵌められた。そのことに気付いたのは、アダット派への偵察の報告を、レッドが聞いているのを見てからである。
その瞬間、この三家の当主は、とあることを決意した。……主に、クシュルと同じことを決行したのである。
「ジョン。フレイ。バゼル。お前たちはアシャト様の下へ行け。……レッド派かアシャト派、どちらかしか生き残れないゆえにな、両側に両家を分けておく必要がある。」
その言葉から覗くのは、自分たちへの絶対の自信と、神への畏怖。鍛えぬいた人の力を呆気なく覆すことの出来る『像』の加護は、人の努力など塵芥のごとく消し去れる禁断の力である。
そんな内心を見透かしたように、瑠璃色の髪の青年が問う。
「……父上たちは、どちらが勝つとお思いですか?」
「おそらく、アシャト様だ。が、断言もできないな。あの勢力は、いきなり大きくなり過ぎたのだよ。」
今頃は食糧難にでもなって苦しんでいるのではないかな?と当主たちは言った。その予想は正しい。これよりしばらくしたのち、人が集まりだしたアシャトは、人ではあっても食わせられぬ整理が出来ぬで悩む羽目に遭う。
「……承知しました。食糧を献上物に、向こうの陣営へ行かせていただきましょう。……戦場で、会いましょう。」
「ああ、もちろんだ。生き残れよ、息子たちよ。」
アダット派、レッド派に関わらず、貴族たちは己の一族を残すべく、その家族を離散させていく。
こうして、ペガシャール王国の領土は、最大の内乱へと発展していくのだ。
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