35.ペガサスの妃像

 アシャトは、エルフィをよき戦友であると思っている。

 彼女が共に歩んでくれるなら、自分が道を踏み外すことはないという確信もある。

 だが、それは戦友という関係性に拘らなくても、できることであった。

「……まだ早い、と思うが、公爵?」

「ええ。しかし、早くに正妻は決めていただかなければ、その座を争おうとするものはなかなか多うございますよ?」

彼は、わかって言っている。それは、重々承知していた。

 『ペガサスの妃像』。『ペガサスの王像』の劣化コピーとしての能力を持つ『像』だ。

 アシャトはいまだその能力を解放していないが、『像』の扱う能力の一時的な模倣、というのが『王像』の能力だ。

 それは、『像』本来の固有能力だけでなく、『像』と与えられた配下の化学反応によって得られる固有能力も模倣できる。

 もちろん、配下本人が扱う能力より、質は落ちる。『王像』の模倣率はよくても九割。『妃像』の模倣率はよくても八割。

 だが、『妃像』には、そんなことが些末な問題になるほどの、圧倒的な政治的意味合いを持つ。

 なぜなら、『妃像』は、純粋に正妻……王妃が得る『像』だ。それを得る、と言うことは、ペガシャール王国の王妃になる、ということだ。

 王妃の実家、というのは権勢を得やすい。ほかに王が下賜する『像』の実家とは、一線を画するのだ。

 ゆえに、『妃像』を得んと欲する貴族家は多く……また、目の前の大公爵もその一人であるのは間違いない。


 そして、俺がその席を誰に与えたいかを明確にすれば、その席に関する争いはほぼほぼ終わる。

 『王像』に選ばれた『王』は基本、絶対的な権力を得るため、自由結婚がまかり通る。それにより権力の座から滑り落ちた貴族など、後を絶たない。

 だが、俺は違う。もともと裸一貫な王である以上、政治的観念と『妃像』の関係は免れられない。

 同時に、ふさわしい貴族の血を持っていることが、どうしても求められる。王妃としての、正当性の問題だ。

 この場合は、王妃に求められるのは『侯爵以上の身分の娘』であること。アシャトが王に選ばれる以前の時点で、という条件が付くため、アファール=ユニク現侯爵家の一人娘、アメリアは『妃像』になれない。

 そして、ペガシャール王国内では三つの派閥が争い合っているため、俺の結婚相手にふさわしい貴族家の娘など、意外と少ないのだ。

「……本当は、『英雄像』を与えたかったが、しかし。」

彼女を『妃像』にすることは、俺自身にとっても多くのメリットがある。

 その中でも指折りのメリットが……俺が彼女を、対等として扱えること。彼女を部下として扱う必要がないことだ。

 熟慮したかった。だが、そんな時間はどこにもなかった。


 ノルドはじっと俺を見上げ、エルフィはそっと目をそらしている。

 彼女とて、俺を『王』として優秀だと認めたその瞬間から……こうなることを、半ば予想していたはずだった。

「公爵。」

俺は目を閉じて覚悟を決める。認めたくないという気持ちはある。

 しかし、戦略的に見ても、政略的に見ても、それが最善手であることは間違いない。


「いや、公爵相手ではないか……エルフィ。」

彼女に告げるべき言葉がある。まだ、恋心を知らない身なれど、仕方がない。

 王というのは、権力闘争から逃げられず、好き勝手生きることのできない職業だからだ。

「お願いがある……『ペガサスの妃像』、受け取ってはくれないか?」

事実上のプロポーズに、エルフィは笑顔で、答えた。

「皇帝になったら考えてやるよ。」

言うと思った。無意識に俺の口からそのセリフが漏れる。

「エルフィ!」

父の叫びに、エルフィは笑って言った。

「俺の夫は俺が選ぶさ。アシャトはいい王だが、あいつと結婚すると王権と結婚するのと変わらないからな。」

王権、というより権力闘争が嫌なのだろう。あのサバサバした性格では、確かにジメジメドロドロした権力同士の戦いは嫌だろう。

 俺はそれでも、知らない赤の他人よりは彼女がよかった。それに、彼女を『妃像』にするメリットも大きい。


 『妃像』は、その権力にとっての重要性上、そして王と王妃という立ち位置になる以上、戦えないものが多い。

 つまり、戦場に立てない……その特性を大いに生かせないものが多い。だが、エルフィは違う。戦える女だ。

 ほかの国が、戦えない王妃を抱えている中で、俺の国が戦える王妃を持つ。それは、戦力的に考えても非常にありがたいことだ。

「皇帝を名乗れば良いのだな?」

「ああ、そうだ……お前、まさか?」

エルフィが何かに気付いたようだった。だが、関係ない。

 いくら反則だと彼女が俺を責めようが、俺にとって些末なことだ。

「エルフィ。悪いが俺は、お前に王妃になってほしい。」

「なんでだ、俺が武功を立てると面倒だろうが!」

主に。求心力の問題で。彼女はそう暗に伝えてくる。

 その気持ちはなくもない。だが、それを補って余りあるものを、彼女は持っている。

「理由は、公的には三つ。」

スゥ、と息を吸い込んで、言う。彼女を口説き落とさなければならない。

 だが、俺たちは王族。感情だけで話ができるほど、安い立場では、お互いにない。


「一つは、お前の名声だ。お前が有名であることはよくわかった。だからこそ、その夫として、の名が欲しい。」

「二つは、お前の武力だ。ほかの国の『妃像』は、政治に長けていても軍事には長けていないだろう。戦えて賢い王妃の存在は、国にとって利益となる。」

「最後に、お前のバックだ。エドラ=ケンタウロス公爵家。かの家が俺に従った、となれば、ほかの多くの家も俺につく。その力が与える影響は計り知れないだろう?」

ここまでは、建前だ。俺はここまで言えば、彼女が次に気になることがおおよそわかる。

 父の非難するような視線にさらされて、それでも彼女は、続きを問いかけた。

「で、私的な理由で言えば?」

わざわざ俺が「公的に」と付けた理由を、彼女はすぐさま察したようだ。

「これもまた、三つだな。」

彼女は俺を見ていて、俺は彼女を見ている。

 二人の、王族。彼女の性別が違えば、この関係性はありえなかった。


「一つは。ほかの『像』と違って、『妃像』は俺と対等であることだ。俺はお前を部下として扱いたくはない。対等な者として隣に立ってもらうには、王妃であってもらう必要がある。」

ただの俺のわがままだが、彼女はそれを聞いて微かに、笑った。

「もともと、『像』をお前に与えなければ、いつかお前を王にと擁立するグループが出てくるに決まっている。配下にするか、妃にするか。それなら、妃になってもらいたい。」

やっぱりこの理由が一番大きい気がする。俺は彼女に、命令を下したいとは思えないのだ。

「次に、お前の出した条件……「皇帝になる」というのは、お前が俺に与えた行動指針だ。一度夢を見せてくれたのだ、最後まで一緒に夢を見てもらいたい。」

行く末は、二人でともに。俺は、彼女とその先が見たい。

「最後に、だが。……。」

言いたくはない。だが、言うしかない。

「他の知らない奴が王妃になるくらいなら、お前がいい。お前なら、立場とか気にせず俺を咎めるだろう?」

そう言うと、俺はエルフィに手を差し出して言った。

「国内が分裂している。嫡出のアダットは王国を統治し、その座を狙うレッドもいる。」

だからこそできる奥の手というのが存在する。裏ワザと言っていもいいだろう。

「それをやったら、大陸全土の国を敵に回すぜ?いいのかよ?」

「帝国を築く。最終的な目標がそこになる以上、どちらにしろ、変わらない。」

エルフィはにやりと笑うと、俺のその主張を受け入れて、言った。

「いいぜ、俺はお前の王妃になってやる。」

「では、俺はお前の皇帝になることを誓おうではないか。」

王国は三分する。そのうち一つが、「紛らわしいから」という理由で『ペガシャール帝国』を名乗る。

 本来なら、国土も、国民も、そして国富も十分とは言えない。

 皇帝を名乗るのには、あまりに不十分な条件だが……この世界情勢を見て、俺はその反則がまかり通ると思った。

 その証拠に、ディアは、何も言わなかった。その主張を俺がすると推測できていたにもかかわらず、だ。

「アシャト、でもさ。皇帝になったからと言って、僕からの恩恵は変わらないよ?名乗るだけなら自由だけど、僕はまだ、『ペガサスの帝像』にはなれない。」

王の最終目的は、『王像』を『帝像』に変えること。それが、帝国としての実権を得るための楔。

 アシャトはそれを認識したうえで、言った。

「もちろん。でもな、ディア。名前って、結構大事なんだぜ?」

俺は、思う。『ペガシャール帝国』を名乗れば、ほかの国はどういう反応を返すだろうか、と。

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