止められない想像力
@Luni
考え出したら、止まらない
雨の中歩く夜道には、なんとも言えない切なさがある。
路地裏のネオンの光が水に濡れた地面に反射して煌めきを放つ。
その僅かな光でさえ眩しく感じてしまうのは、俺自身が暗い存在だからだろう。
同じ日々の繰り返しでつまらない日常から逃げ出したかったのだと、思う。
母親が「安定した職に就いて、結婚して家族みんなで暮らすのが1番幸せ」なんて言っていたのをふと思い出したが、実際そうではなかった。
やはり人間には「刺激」が必要なのだと、思い知らされた。
長い間身体を濡らしてきた雨が急に止んだのに驚いて、顔を上げてしまった。
視線の先には傘を差し出した20代位の男が居ることに気がつく。
陶器のように白い彼の肌と、この世のものと思えないほどの端正な顔立ちに一瞬ゾッとした。
呆然としていると、彼はゆっくりと口を開き、
「あなたに素敵なプレゼントをあげましょう。どのようなものをお望みで?」
と話しかけてきた。そんな男に驚きながらも、つい、
「刺激が欲しい。」
と言ってしまった。
今思うと、俺はどうかしていたのだろう。
でも、あの好奇心はどうにも抑えきれなかった。
男は不気味な笑みを浮かべて嬉しそうに答えた。
「では、あなたにとっておきの力をあげましょう!日が沈んだ夜しか使えない、想像が実現できる力です。その力の代償として夜間は眠ることができなくなります。この力を放棄することも出来ません。それでも欲しいですか?」
俺は一瞬迷ったが、
「欲しい。」
と言ってしまった。
「明日の夜から力が使えるようになります。使い方はとっても簡単!想像するだけ!まぁ、明日になればすぐ分かるはずです。お楽しみに。」
そう言い残すと男は去って行った。
しばらくぼんやりとしていたが、あまりに現実離れした話だと、急に馬鹿馬鹿しくなって笑いが込み上げて来た。
今夜はもう家に帰ろう。
昨夜の出来事が夢だったかのように、また代わり映えのない日々に連れ戻された。
朝、電車の窓の外を流れる景色を眺めながら考える。
平然とした顔で優先席に座る高校生も、迷惑になるほど目いっぱいに新聞を広げるサラリーマンも、いい歳して大きな声で会話をするおばさん達も、全部いつも通りだ。
今日も職場で上司に叱られ、同僚に馬鹿にされるのかと考えると先が思いやられる。
昨夜のことを馬鹿馬鹿しいなんて言っておきながら、今夜何が起こるか、なんて期待してしまう。
俺こそ馬鹿なのだろう。
案の定、今日も職場は息苦しく居心地が悪い。上司が当たり散らしてくるのは、昨日彼が奥さんに嫌味を言われたからだろう。
俺はその鬱憤晴らしにされている。
彼はきっと、大切に思っていた人と結婚して、愛娘が誕生して、幸せだった俺が憎かったのだろう。
しかし、今はその2人にも見捨てられた俺を見下している。
同僚も「こんな奴よりは自分はマシだ。」と思っているのだろう。
帰りの電車内に眩い夕日が差し込む。
明日も晴天だろうか、などと考えてしまった。
虚しさでいっぱいの心を抱えて、すっかり暗くなった夜道を歩いて帰宅する。
家のドアの前で立ち止まり、ふと昨夜のことを思い出した。
俺は魔が差したのだろう。
「あぁ、こんな時に妻と娘がいれば慰めてくれるのかな。」
なんて、都合のいい想像をしてしまった。
次の瞬間、閃光が走り目の前が真っ白になった。
「もしかして…。」と少し期待しながら扉を開ける。
暖かい家の空気と共に、美味しそうな夕食の香りが立ち込めた。
「おかえりなさい、あなた。今晩はあなたの大好物のハンバーグよ。」
聞き慣れた懐かしくて、心地の良い声に思わず涙が込み上げてきた。
俺の大切な人。
「パパ、おかえりなさーい。早く抱っこしてー!」
そう言って抱っこをせがむ娘は、しばらく見ないうちに大きくなっていた。
夢でもいいから、この瞬間だけでも幸福を味わいたい。
なんとも甘美な能力に引き込まれた。
幸せな心地のまま夜を過ごし、
「こんな幸せが続いて欲しい。」
と願ってしまった。
あの不思議な男の言う通りに、目が冴えてしまって眠ることはできなかったが、今は目先の幸福を離したくなくて、久々の幸せに酔いしれた。
夜が明けて、次の日になった。
今日も清々しい晴天だ。
妻と娘がなかなか起きてこないのが心配になり、寝室を覗くと、もうそこには膨らみのある掛け布団の抜け殻があるだけで、愛していた2人の姿は消えてしまった。
「想像を実現する力は夜しか使えないから、朝になって効力が切れたのだろう。」
と思ってリビングに戻ると、どうしようもない虚しさが降り掛かってきた。
職場に着いても、夜になることを願うばかりで仕事に身が入らない。
その上、上司の当たりも昨日より強くなった気がした。
「君は本当に何も出来ないね。いい歳して、困るんだよ。仕事も、家庭も、失敗ばかりで、情けない。」
仕事のミスは俺自身、集中力が欠けていたからだ。
それに、家族に見捨てられたのも事実であり、おれが原因だ。
いつもなら我慢できるものを、俺は能力が本物だと分かって、気が大きくなっていたのだろうか、それとも家族の愛で満たされたからだろうか、つい言い返してしまった。
「そちらこそ、昨日は奥さんに叱られたんですか。いつもよりもイラついてますね。」
と。
俺は彼の逆鱗に触れたらしい。
当たり前の頭を持ち合わせていれば、良かったものを、それが出来なかった。
自分が自分ではない感覚に、おかしいかもしれないが、快楽を感じた。
だが、そのせいで仕事を押し付けられて残業を余儀なくされた。
俺は夜になったら家族に会えるという楽しみを潰されて、苛立っていた。
終わりそうもない書類の山を眺めながら、ある恐ろしい考えが浮かんでしまった。
その直後、汚れ切った心に絶望して、拳を握りしめた。
夜が明ける前に何とか帰宅でき、2人が家で待っている想像をした。
時刻は既に12時を回っていたため、2人はもう寝室で眠っていた。
愛おしく思う妻と娘の頭に手を置き、抱きしめた後、溺れるほど酒を飲んだ。
そして、
「今日の嫌な出来事を忘れられたら…」
と朦朧とする意識の中で考えた。
翌日、職場に着くと上司は来なかった。
嫌味なあいつがいなくなったことは喜ばしいことだが、昨日の出来事を思い出せないことがどうにも引っかかる。
同僚達が、
「あの人、無惨な姿で発見されたらしいよ。誰かに殺されたんだって。警察の人が今朝、恨んでいた人を知らないか聞かれたんだ。」
なんて話しているのを聞いて、胸がざわついた。
今日もまた静かな夜が訪れた。
昨日何があったのか気になって、力を使って思い出すことにした。
すると、記憶の中であいつを、「上司を殺したい。」と考えてしまっていたことに気がついた。
自分の知らないうちに能力が発動していたのだ。
駅のホームで電車を待つ間、
もしかしたら、防犯カメラが俺の姿をした何かが上司を殺した所を撮ったのではないか、
周りにいる人の中に警察がいて、後をつけているのではないか、逮捕されてしまうのでは、ない…か。
その刹那、俺は隣にいた私服警官に腕を掴まれた。
遠くから聞こえるパトカーのサイレンが鼓動とリンクして、だんだん速く脈打った。
ここで素早く走って逃げられたら…と想像して、警官の腕をすり抜けた。
後ろから俺を呼び止める声がする。
呼吸を忘れるほど必死で近くの路地に逃げ込んだ。
途中、追いつかれてしまったら、待ち伏せされていたら、と想像してしまい、捕まりそうになった。
その度、逃げられる希望を信じ、想像した。やっとのことで、家に着いた。
逸る鼓動を抑えて、息を潜めた。
こんな身体とは反対に俺はあろうことか、とてつもない快感を得ていた。
警察から逃げ出すなんて、どこかの映画の主人公のようだった。
笑い出しそうになった時、我に帰って、明日にはこの出来事が職場の人にばれて、捕まるかもしれない。
愛してる妻や娘にも迷惑をかけるかもしれない。
俺の幸せを願った母親、父親も兄弟にも…。
それどころか、上司の家族に復讐として俺の家族を殺されるかもしれないと思ってしまった。
その直後、パトカーの音に救急車のサイレンが混じった。
全身の震えが止まらない。
この負のスパイラルを止められるほど、俺の心は強くなかった。
眠ることができないことの辛さを思い知った。
人間の想像は止められない。
そこで、こんなことを考えてしまう。
本当に都合がいいことしか考えられない自分に嫌気がさす。
「もし、あの男に出会う前に戻れたら…。」
冷たい雨音に懐かしさを感じた。
眩いネオンの光が閉じそうになる瞼をこじ開ける。
無視したいような足音がぴしゃりぴしゃりと近づいてくる。
あの時は気づかなかったのに、記憶が、細胞があの男だと確信した。
逃げ出したくても、できない。
頭に降り掛かる雨粒が遮られた時、
「楽しかった?」
と声をかけられた。
「あなたはもう、今は時間の流れに逆らえない。この想像の能力からも逃げられない。こんな絶望の顔が見たかったんだぁ。」
そう言って笑う男の顔はとても美しかった。
地獄が、
また、
繰り返される。
止められない想像力 @Luni
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