酒席

第13話 絡み酒

 ショットグラスに満たしたラムを飲み干したかなめは大きくため息をつくと嘆くように口を開いた。


「で?なんでアタシがオメエの愚痴を聞かなきゃならねえんだ?」 


 誠達にとってそこは本来リラックスできる溜まり場だった。お好み焼きの店『月島屋』。いつものように報告書の修正が終わるとランから声がかかる。そして下士官寮の住人の誠、かなめ、アメリア、ラン、そしてその時々で都合のいい隊員で連れ立って豊川市市街のこの店に立ち寄るのが定番となっていた。そこに今日は第一小隊に演操術系法術発動事件の説明をし終えた嵯峨茜の姿があった。


 町のお好み焼き屋と言う風情のどう見ても上品に見えない貸し店舗の一階。地球産の紫色の地の小袖を着た上品そうな顔立ちの茜は明らかに浮いていた。優雅な手つきでグラスに注いだラムを口に運ぶと一息に飲み干して切れ長の目をへと向ける。


「そんなことおっしゃっても……麗子さんの担当はかなめさんじゃないですか?」 


「いつからアタシがあの馬鹿の世話係になったんだ?」 


 いつもならこういう席を避けて東都の山の手の閑静な住宅街の嵯峨家東都別邸に帰る茜がラーナを帰らせて誠達に付き合うと言い始めたところで誠も嫌な予感はした。茜はその上品な物腰とは正反対に思えるほどの酒豪だった。父親の嵯峨を考えてみると彼女がウワバミのように酒を飲むことは不思議には思えない。


 だがそれが絡み酒になると分かっているから始末が悪い。しらふなら黙って澄ましている和服の似合う美人で済むが、彼女の酔い方は独特でこの人はと言うターゲットを見つけると徹底的に絡みながら際限なくこの物静かなペースで飲み続けるのだから最悪だった。そして今日のターゲットはかなめ。四人がけのテーブルに差し向かいにかなめを座らせるといつもの絡み酒を繰り広げている。


 今日も早速遼州同盟司法局本部の調整担当官秘書の田安麗子中佐への愚痴をかなめに向かってもう三十分も続けていた。


「あの人が語学が得意なのは分かりますよ。確かに甲武の高等予科学校から海軍大学校に直接入学なんて十年ぶりの快挙なのも分かっています。でも……」 


「だからあいつはアタシの担当じゃないんだよ」 


 かなめは右ひじを握り締めながら体内プラントでアルコール分解ができるサイボーグの自分とほぼ同じペースでラムを飲み続ける茜に辟易していた。それもそのはず、そのラムはかなめのボトルキープしている酒である。茜はまるで意に介さずに次々と手酌で杯をあおる。


「いいんじゃないの。聞いてあげなさいよ。タコ中佐も困っているみたいだから解決したら何かおごってもらえるかも知れないわよ」 


 さっきから茜の酔い方が面白いので烏龍茶に切り替えて観察を続けているアメリアがつぶやく。


「タコ中がか?駄目駄目!あのおっさん婚約してからはすっかり尻に敷かれてるじゃねえか。もしおごってくれたとしても後で婚約者にその分催促されるんじゃねえの」


 タコ中佐こと明石清海中佐が司法局の調整担当官をしており、その秘書の麗子の傍若無人なお嬢様気質に時々泣き言を漏らすのを誠も聞いた事があった。


「茜……まあ仕方ねえじゃないか。同盟の各部局の中でも司法局は人材的には隔離病棟扱いされてるからな。ああいうテストは得意だけど実際の運用はまるで駄目。その癖へ理屈は一人前の達者な人間が送り込まれても黙って耐えなきゃならない時もあるんだよ」 


 かなめはそう苦々しげに言うとグラスを傾けた。司法局実働部隊の『瞬間核融合炉』と呼ばれる短気に手足を生やして歩いているようなかなめの口から『耐える』と言う言葉が出てきたので黙って聞いていたランとカウラが顔を見合わせた。アメリアは噴出すのを必死で堪える。


「本当に……かなめさんの言葉は一般論」 


 そう言うと茜はまた空になった猪口に勝手にウォッカを注いだ。


「あのなー。そんな強い酒割らずに飲んだら胃が焼けんぞ」 


 さすがに黙っていられなくなったランがつぶやく。しかしすぐに彼女は自分の間違いに気づいた。だがすでに茜は満面の笑みを浮かべて茜が振り向いていた。かなめを生贄にして誠、カウラ、アメリアとまるで通夜のように静かに息を殺していた自分の苦労が泡と消えたことに気づいたランの頬のほろ酔いの紅色が瞬時に醒めていくのが見える。


「だってせっかく蒸留して濃くなったアルコールですのよ。そのまま飲まないともったいないと思いませんの?」 


 言っていることがだんだん支離滅裂になってきているが表情はまるでしらふの時と変化が無い。ランはうわばみと化した茜にじっと見つめられながら三人に目をやる。当然誠達は関わってたまるかと言うように目を伏せる。


「あ……そーだなー……もったいないねー」 


 いつも他の部隊からはその小柄で幼い姿で舐められるとどんと構えているランのいつもの威厳はどこへやら、まるで子供そのもののように両手で掴んだグラスで慌ててビールを飲み干す。誠もこの奇妙奇天烈なやり取りに噴出しそうになるのを必死に堪えていた。


 茜はそんな腫れ物に触れるようなランの態度が気に入らないと言うように自分の目の前の皿に目を向ける。すでにつまむ物は食べつくして何もなくなった皿の上の箸をかんかんと鳴らして見せた。


 もう限界だった。そんな時の度胸はアメリアが一番なのは誠も知っていた。


「茜さん……もうすぐ看板だと思いますから……」 


「良いのよクラウゼさん。これでかなめさんがまたボトルを入れてくれればうちも助かるもの」 


 そう言って気を利かせて女将の家村春子がビールを運んできた。誠とランはまだ二杯目。アメリアとカウラは相変わらず烏龍茶を飲み続けていた。


「なんですの?皆さん黙り込んじゃって。今日はわたくしのおごりにしますからどんどん頼んでいただいて結構ですのよ」 


「じゃあアタシの入れるボトルもか?」 


 かなめの一言に茜はキッと目を向ける。


「すいません、警視正……」 


「いいんですのよ。焼酎なら入れてあげる」 


「アタシは焼酎は飲まないんだけどなあ」 


 急に機嫌が良くなる茜。多少はアルコールが回っているらしい。誠達はやっと一息ついた。誠はビールを飲みながら先ほどの茜の絡み酒の間に冷えてしまったたこ焼きに手を伸ばそうとした時だった。


 茜の通信端末が呼び出しの音楽を奏でた。


「ちょっと待ってくださいね」


 そう言うと茜は周りを気にするようにして立ち上がりそのまま店の奥のトイレへと消えていった。あまりに突然で自然だった。あれだけ飲んでくだを巻いていた茜が一瞬で酔いを醒まして見せたのかと呆れて誠達は顔を見合わせる。


「どうした……事件か?」 


 そんな中でかなめは一番に正気を取り戻していた。そして手にしたショットグラスに満たしたラムをあおる。


「まあ法術特捜の捜査官はいまだに嵯峨警視正一人だからな。代わりがいないのはつらいんだ」 


 カウラの言葉に誠もうなづく。同盟司法局と東都警察の関係は決して良好とは言えない。三年前に設立されたばかりのよそ者の司法局の面々がうろちょろしていることを同業者がいい顔をするはずが無いのはどの業界でも同じことだった。だがこれまでは東都警察もこと『法術』に関しては法術特捜など司法局貴下の組織に一日の長があることを認めていた。


 法術に関して遅れをとっていた東和警察も、ここ半年で各警察署に署員の法術適正検査を行って適正のあるものに片っ端から召集をかけて独自の法術犯罪対応部隊を設立していた。さらに先月には一般からの法術師の応募にまで踏み切っている。法術犯罪のノウハウはほとんど無いが人間の数は揃えた。自慢げで捜査は任せろと言わんばかりの東都警察の上層部が、法術師を同盟司法局に出向させてくれることなど夢のまた夢の話だった。


 捜査には慣れているが人の足りない司法局。頭数は多いが捜査方法に関してはずぶの素人もいいところの東都警察。お互いの足の引っ張り合いは司法局の一員である誠から見てもあまりに無様だった。


「でも茜ちゃんだからいいのよね。私なんかあんなに飲んだら倒れちゃうわよ」 


「ありゃあ特別な血族だからな。叔父貴も酒はいくらでも飲みやがる」 


 かなめの言葉にさすがのアメリアも同意するようにうなづいた。


 トイレから出てきた茜の表情はほとんどしらふといっていい状態だった。


「すみませんけど豊川警察署までのタクシーを手配していただけません?」 


 そのあまりの変わりように再び呆れる誠達だが茜の真剣なまなざしがすでにおちゃらけた言葉を吐けるような雰囲気を抹殺してしまっていた。


「普通のタクシーでいいんですか?できれば助手とかになってくれる人も乗れるような車のあてならありますよ」 


 アメリアがそう言うと後ろの椅子においてあった自分の黒いポーチに手を伸ばした。すぐに端末を取り出すと耳にあてがい相手が電話に出るのを待つ。


「またパーラか……かわいそうだな」 


 かなめが同情するのも当然だった。運用艦『高雄』の艦長補佐のパーラ・ラビロフ大尉。アメリアやカウラと同じ人造人間の『ラスト・バタリオン』として生を受けた彼女の一番の不運は司法局実働部隊設立時に当時操舵手だったアメリアといつでも行動を共にすることになったことだった。


 趣味に関してはいくらでも暴走する。問題を起こしても要領よく一人だけ切り抜ける。そして徹底的に人使いの荒いアメリアとの腐れ縁は隊員達の多くが同情するところだった。


「いいじゃないの。あの子の車だって走って何ぼでしょ?……ああ、パーラね!今どこ?……」 


 さも車をパーラの運転で借りることが当然というような顔のアメリア。誠達は何も知らないパーラがまた慌てて自分の四輪駆動車に走るのを想像して同情の笑みをこぼすことしか出来なかった。


「じゃあそっちは任せて……アタシは帰るわ」


 ランはそう言って立ち上がる。


「お疲れさまでした!」


 立ち上がって叫ぶ誠。そんな二人のやり取りを見ながら茜は深呼吸してアルコールを抜こうとしていた。

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