小説家という名の逃亡者
前田薫八
第一話 締切から逃げろ!
パソコンの画面は真っ白。文章ソフトであるWordを開いてからもう何時間経っただろうか。あまりにもこの喫茶店に居座りすぎているのでそろそろ店員から白い目で見られそうだ。
テーブルの上に置いてあったスマホから通知音が鳴る。どうやら担当編集である川島さんからメールが届いたようだ。嫌な予感しかしない。
『山城伍長様へ 本日が締切日となっています。進捗はいかがでしょうか? 一度連絡をください』
今日が小説の締切だということは知っていた。しかし、当然の如く俺の小説はまったく進んでいない。ここは何としてでも締切を延ばしてもらう方向で話を進めなくては。では、具体的にどうすればいい?
一、 素直に謝って締切を延ばしてもらう
二、 逆ギレして無理やり締切を延ばしてもらう
三、 メールを無視する
ふむ。順当にいけば「一」だな。しかし、そうすると小説家としての威厳が保てなくなるのではないか? 日本人は簡単に謝りすぎるという。ここは威厳を保つためにも「一」はやめておこう。
では、「二」か「三」ということになるのだが、さすがに「三」のメールを無視するはひどいだろう。人間のやることではない。大人である俺は真摯な態度で逆ギレしながらメールを返すことにした。
『川島慎一様へ 今日が締切とか無理に決まってるじゃないですか。私が小説を完成させていると思っているのですか? 常識的に考えてください。よって、締切の延長を要求します』
ふむ。これでいいだろう。送信と。
返信はすぐに来た。何と一週間締切を延長してくれるらしい。
「やったぜ。今回は何とか締切から逃げることができたな」
一週間後、俺は再びいつもの喫茶店でノートパソコンを開いていた。進捗? もちろんゼロだ。この一週間は昨日まで小説からの解放感とともに遊びまくっていたからな。ゲームのイベントもクリアできたし、大満足だぜ。
そんな満足感を打ち消すようにスマホから通知音が鳴った。またしても担当編集である川島さんからのメールである。嫌な予感しかしない。
『山城伍長様へ 本日が二度目の締切日となっています。進捗はいかがでしょうか? 一度連絡をください』
ふむ。常識的に考えて今日本気を出して小説を書いても間に合うはずがない。こうなったらまたメールを出して締切を延ばしてもらうとするか。しかし、前回は逆ギレメールで何とか締切から逃れることができたが、またあんなメールを出したらまずいだろうな。今回は違ったメールにするか。では、具体的にどうすればいい?
一、 担当編集を褒めて締切を延ばしてもらう
二、 担当編集を貶して締切を延ばしてもらう
三、 メールを無視する
ふむ。これは少し難しいな。まず「三」のメールを無視するというのはないな。俺はそんな非常識な人間ではない。邪道だ。
では、「一」の川島さんを褒めて締切を延ばしてもらうというのはどうだろう? これは一見よさそうだが、問題がある。それは、俺には川島さんのいいところが一つも浮かばないということだ。あの人、人間として終わってるだろう。もしかしたら人間ではなく鬼なのかもしれない。それならしょうがないな。
というわけで、必然的に今回のメールは「二」の川島さんを貶して締切を延ばしてもらうことにした。
『川島慎一様へ あなたは人の心というものがあるのですか? 少し考えれば今日が締切なんて無理なことくらいわかるでしょう。それがわからないあなたは鬼です。悪魔です。もしあなたに少しでも人の心というものが残っているのなら、再度締切を延ばしてもらいましょうか』
ふむ。これでいいだろう。送信と。
返信はすぐに来た。何とまたしても一週間締切を延長してくれるらしい。
「やったぜ。今回もまた何とか締切から逃げることができたな」
またしても一週間後、俺はいつものように喫茶店で執筆していた。今回はしっかりと文字数が増えてるぜ。三十文字ほどなっ! ちなみに完成まではあと九万文字ほど足りない。ふむ、これはもう無理なんじゃないか?
そんな諦念がかすかによぎった瞬間にスマホの通知音が鳴った。担当編集である川島さんからのメールである。嫌な予感しかしない。
『山城伍長へ 本日が三度目の締切日だ。進捗はどうなんだ? まだできてないとかは言わねえよな? 一度連絡しろ』
……口調変わってるじゃねえか。これは今回締切を延ばしてもらうことは難しそうだな。だが、俺はそんな困難な道にあえて進むぜ。難しいことから逃げていては人は成長しないんだよっ! では、具体的にどうすればいい?
一、 逆ギレして無理やり締切を延ばしてもらう
二、 担当編集を貶して締切を延ばしてもらう
三、 メールを無視する
今回はかなりの難問だ。「一」の逆ギレは余計に川島さんを怒らせるだけだろう。いや、それは「二」の貶すも同じか? 前回、前々回と少し川島さんに辛く当たりすぎたかもしれない。もう俺を許してくれることはないだろう。
ということは、俺がとるべき道は一つである。俺は川島さんのメールを無視することにした。一時的にメールを受信拒否設定にして、これで完璧だ。常識的かつ人道的な選択だった。
「やったぜ。今回もまた何とか締切から逃げることができ――」
「んなわけあるかっ! お前の行動はもうお見通しなんだよっ!」
「か、川島さんっ!?」
何とメールを無視すると決めた瞬間にいつもの喫茶店に担当編集の川島さんが現れた。なぜか知らないが鬼の形相をしている。やっぱりこの人は鬼だったんだ。
「もうお前は信用できんっ! 編集部でカンヅメにしてやるっ!」
「そ、そんなっ! 人権は、俺に人権はないんですかっ!?」
「そんなものは小説を書いてから言えっ!」
こうして、俺は川島さんに連行され、編集部で小説を書かされることになった。
だがまだだ、俺は何としてでも締切から逃げ続けてみせるぞっ!
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