探偵と電気椅子

空中逆関節外し

現職国会議員 毒ガス暗殺事件 1

 仕事には、いくつか自分なりのルールがある。


 自分の能力を超えた依頼を受けない事。

 環境は変化するのを前提に動く事。

 その場にあるもので出来る限り工夫する事。

 人によってその辺りのルールは違うのかもしれない。だが少なくとも彼にとってはそれがこの世界で生きていく為の鉄則だった。


『目標は頭に入っているな? メタルよ』

「問題ねえ」


 スマホ越しの合成音声の機械的な声に抑揚のない声で応じる。都内有数の高級ホテル、その入り口に立っていたのはパーカーを羽織った一人の少年だった。

 線の細い体つきにやや大きめのボストンバッグを肩から掛ける。見た目には運動部帰りの高校生にしか見えないその少年だったが、目の下には墨を入れた様に濃い隈ができている。少年はこれから自らが行う事を想像し、重く短いため息をついた。


 これから彼は、このホテルに宿泊している現職の国会議員を暗殺しに行くのである。


『前提条件を確認しておくぞ。目標はホテルに宿泊している自由党の前原源十郎。殺害方法は問わないが二次的被害が出ることは許されない』

「分かってる」

『それに加えて奴がどの部屋に宿泊するかは警護の為不明。常にSPが室外で待機している……それも分かっているだろうな』

「……」


 外泊中の現職の国会議員、考えうる限りでは最も暗殺が難しい対象である。

 彼がいなくなって喜ぶ連中は多いし、過去に彼がもみ消してきた罪の影には損得抜きに前原の死を願うものも数多いる。だがあまりにもリスクが高すぎるその依頼を多くの殺し屋たちが断り、最終的にメタルへとお鉢が回ってきたのである。


 漫画やアニメの殺し屋ならばハンドガン片手に強行突破して対象の首級を上げるのだろうが、生憎現実ではそんなファンタジーな事は起きえない。ターゲットを守るのは要人警護に特化したSP達であり、一対一ですら恐らくは負けるし、そもそもどの部屋に入るのかすら確認できない。


 強行突破はできず、部屋にも近寄れず、何か仕掛けようにも怪しい物はすぐに外されてしまう。その条件を加味した上でメタルは抑揚のない声で答えた。 


「安心しろ。もう仕掛けは粗方終わってる」

『っ? 今何と言った?』

「もう俺がすることは何もない。ここに来たのはただ結果を見に……」

 その時メタルの視界の端に、紺色の制服を着た一人の男が見えた。


「君、何しているのこんなところで」

「……」

 振り返るとそこにいたのは短髪の警官だった。今の時刻は夜の十時、それにここは大きな駅に面した繁華街だ。夜中にうろついている未成年の姿を見て不審に思ったのだろう。


『おい、どうしたメタル。何があった?』

「また後で掛けなおす」

 一方的にそう言って通話を切り警官の方に視線を向ける。帯革に装着された拳銃と警棒が嫌でも目に着いてしまうが、ここで取り乱しては仕事に支障が出る可能性がある。メタルは笑みを浮かべて警官へと愛想を返した。


「こんばんは。別に何もしていないですよ。ちょっと通りがかっただけで」

「……君、怪しいな」

「え?」

 警官の態度に輪をかけて警戒の色が浮かぶ。


「ど、どういうことですか? 俺が何をしたっていうんですか」

「いや、なんとなくね……」

 訝しみながら警察官は少年の顔を覗き込む。彼自体には怪しいところはない。だが場所が場所だけに過剰に警戒しているだろう警察官は、無遠慮に少年のボストンバックの紐を掴んだ。


「一応持ち物、調べてもいいかな?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何の権限があってそんな……」

「こっちも事情でね。特別にこの辺りを警戒している。いいから早く、中身を見せるんだ」

 半ば強引にメタルのボストンバッグをひったくり警官は中身を開く。そしてその表情を曇らせた。


「……? なんだこれは」

 バッグから取り出したのは大ぶりのタッパーが六つと、二重にしたスーパーの袋に入れられた炭だった。


「バーベキューの帰りだったんですよ。僕が食材と炭を用意していて」

「バーベキュー……?」

 鞄の中身とメタルの顔を交互に見ながら怪訝そうに警官は眉を顰める。

「君が……?」

「どういう意味ですか」

「いやすまない、他意はないんだけれども……」

「他意だらけだと思うんすけど」


 要するに陰キャだと思われているらしい。殺し屋としては目立たないに越したことはないので構わないが、はっきり言われると腹立つ。

「悪かったね。けれども未成年がこんな時間帯まで出歩いているのはやはり感心しないな。早く帰りなさい」


「そうですね……でもそう言えばさっきこの辺りを警戒しているって言ってましたけど、何かあったんですか?」

「詮索しようとするんじゃない。いいから――」

 その時だった。ホテルのエントランスから大通りへ、つんざくように甲高く切れ目のないけたたましいベルの音が鳴り響いた。ホテルに常設されている火災警報器の音である。


「な、なんだ⁉」

 突然の大音声に警官は思わず叫ぶ。対してメタルは表情一つ変えなかった。

 後はもう、見届けるだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る