辻斬り騒動その3
鶯の止まり木亭、大通りを挟んだ正面の茶屋で、薄黒い着物に黒袴の大小二刀差しの女剣士三姉妹、小嵐三姉妹は串団子を朝食に表の通り沿いに設けられた長椅子に並んで座り、熱い茶を啜っていた。
一息ついて、長女の一美が静かに口を開く。
「御用件は、幸村様」
格子戸を隔てて後ろ、店内の一番外側の席で茶を嗜む凛々しい侍がことりと湯呑みを茶請けに置いた。
「今朝方の人斬りの件、お前達も知っておろう」
「存じております。上田城下町で起きた辻斬りと似た手口とか」
「うむ。害者は皆、そこそこ腕の立つ素浪人。皆、正面から袈裟斬りに斬られておる」
三江が串団子を一粒パクリと頬張って面白そうに鶯の止まり木亭を見つめて、双葉が茶を一口飲んで口を開く。
「手癖の悪い冒険者の渡世人もおりますれば」
「では双葉よ。件の異人の冒険者なる剣士に、人斬りは出来ると思うか」
「出来るかできないかで言えば、恐らく出来ます。そうした胆力は持ち合わせた御仁です。理由があれば、出来てしまう。そう思えてしまうのです」
「だが違うであろう。聴き及ぶ噂では、かなりの気弱な器量無しとか。そうした御仁が、無闇矢鱈と大人数を、一晩で斬る事もなかろう」
侍と小嵐三姉妹が語らい合っていると、一人の少し太った柄の悪い目明かしが子分も連れずに大股で仰々しく歩き鶯の止まり木亭の引戸をガラリと開けて入って行った。
『おうおうおう、邪魔するぜ!』
「幸村様、例の遺体検分に立ち会った岡っ引きです」
「では行くとしようか」
すっと席を立つ凛々しい侍、幸村。
「店主、代金はここに置いて行くぞ」
と、バチリと奥まで聞こえるように二十五文の銭を卓に置き、厨房で団子を焼いていた店主の男はその音に声高に応えた。
『毎度御贔屓に! お気を付けて行ってらっしゃいまし!』
店主の声と引き換えに奥の女中部屋から看板娘の年端も行かない少女が卓まで駆けてくるのを見届けて、暖簾をくぐり出る幸村。
小嵐三姉妹をチラリと見て微笑みかける。
「そのような顔をするでない双葉。行って話を聞けばはっきりとする事だ。想い人を疑うのは辛かろう」
「いえ! 彼ならば、決して、決して無益な殺生はなさらないはず! 無益な殺生は・・・」
「いずれにせよ、早く行ってやった方がよかろう。あの銭田米という目明かし、良い話を聞かぬ」
「まあ、無鉄砲で強引な捕り物で与力からはそれなりに評価されてる方ですけど。冒険者には特に厳しく、異人嫌いと来てますからね」
と、笑う一美。
「あたしはあの岡っ引きだったら、フィンクを応援するね!」
と悪い笑みを浮かべる三江。
小嵐三姉妹も湯呑みを長椅子に置いて颯爽と立ち上がると、幸村は三姉妹を引き連れて通り向いの鶯の止まり木亭へと脚を向けた。
あー、全く。何が厄介かって、この岡っ引きの親分さんは人の話しを聞かねえ口だ。
下手人と決めつけりゃあ、裏どりもしねえでしょっ引く輩。
コイツのせいで罪もねえ町人が何人も泣かされてる。
まぁ、大概は他の岡っ引きが真犯人を連れて来て事なきを得てるんだが。町人泣かせなのは違いねえ。
とはいえ、疑わしきはなんとかってんで、とりあえず検挙数だけは多い銭田米の旦那は抑止力って意味じゃあ屯所に
お冬ちゃんにあんな顔させるような輩はぶっ飛ばして追い返してやりてえが、どうにも俺が疑われてるみてえだし、まあ、そうじゃなくても屯所から睨まれたら食いっぱぐれちまうから手なんか出せねえんだが。
「おう! 聞いてんのかフィンク!」
「うるせえなあ、聞いてやすよ。そもそも、昨日の大立ち回りは向こうさんが突っかかってきたんだ。刀抜かれたら、斬られるわけにゃあ行かねえ。こっちだって刀抜かねえわけにゃあ行かねえでしょう」
「お
ムカつくなあ。
俺が腰に下げてんのはお師匠様の形見の打刀だっつーの。
小刀も持っちゃあいるが、侍でなきゃあ二刀差しは認めらんねえからいつもは借り部屋の長櫃にしまってある。
とりあえず、このスットコドッコイどうしよう。
もう完全に俺を下手人に仕立てようって魂胆だし。
いや待てよ?
おっ死んだのは、昨日の四人組の素浪人か?
「それよりも銭田米の旦那よう。俺の事を襲ってきた四人組が斬られたってえのは、どう言う事で?」
「てめえ、この、この期に及んでしらばっくれる気か!?」
「しらばっくれるも何も、俺じゃあねえってのにな」
トトトっとお冬ちゃんが駆けてくる。
おや、わざわざ足音立てて駆けてくるとは珍しい。
手にしたお盆から湯気一つ立っていない湯呑みが俺の前に置かれた。
「はいフィンクさん、お茶ですっ」
やだ、メチャ怒ってらっしゃる。どう見てもこのお茶冷え切ってますよね。
「あの、お冬ちゃん?」
「はい、銭田米の旦那さんもお茶です」
無視かーい。
満面の笑みで手を伸ばしてんじゃねえよ岡っ引き!
「おうおう、コイツァすまねえなお冬ちゃん!」
デレッデレしやがってこの!
「あっ手がー」
お冬ちゃん、棒読みでそんな事呟くと、徐に湯気の、もう、こう、モウモウ湯気の立つ湯呑みを右手でひっくり返すようにして銭田米の旦那にぶっかけてた。
「うわっちーーーーー!?」
熱いねー・・・。それは熱そうだねー・・・。
「ぶわわっ! アチイ!? あっつ!? あっつい何するのお冬ちゃん!?」
「何もかにもありません! フィンクさんは昨夜は私にこっ酷く叱られてお二階でお休みになられてたんですからね!? そんな人斬りなんて出来るわけ無いじゃあありませんか!!」
な、なんだかお冬ちゃんが味方してくれてる。ジーンとくるなあ。ちょっと嬉しい。
「お門違いも良いとこです! さあ、分かったらさっさと出てって下さい、塩撒きますよ!?」
「ひぃ、ひぃ、ち、違うんだよお冬ちゃん!? 俺ぁただ、目明かしの仕事でだな、しょうがなく! ほんと、しょうがなくフィンクに話しを聞きに来ただけなんで・・・!」
「問答無用です、お盆でぶっ叩きますよ!?」
やだ、怖い。
味方してくれてる、んだよな?
この流れって、旦那を追い出した後、俺、また叱られるパターンなんじゃあ・・・?
『御免!』
と、玄関先から凛々しい男の声が響いた。
よく通る、野太くもなく腹まで響く、実に男らしい声。
流石のお冬ちゃんも矛を収めて直立に立って客人を迎える。
飯処の暖簾を掻き分けて入ってきたのは、頭髪をキッチリと整えて髷を結った身なりの良いお侍様と、彼に引きつられた小嵐三姉妹の皆さんだった。
おいおい、舞い戻る鶴亭のエースが揃って何のようだ?
お侍様は一歩前に出ると言った。
「ここは宿泊客でなくとも茶は飲めるのかな」
「勿論でございます!」
流石看板娘。切り替え早くお侍様を迎えると、やはり気になったのか小嵐三姉妹の方をチラと見る。
ポニテの美女が軽くお辞儀をすると、お冬ちゃんも訝しげにしながらも会釈を返した。
と、お冬ちゃんが席を案内するより先に、お侍様は椅子から転げ落ちてもんどり打つ岡っ引きの旦那を見下ろして淡々と言った。
「おや? これは。銭田米の親分さんじゃあありませんか。このような店で会うとは奇遇ですな」
「ひいひい、あ、あんた、今朝の素浪人! て、
おい、俺に突っかかって来てたのはその腹いせか?
「まあ、そう邪険になさるな。それよりも、今朝の人斬りの件、何か進展はあったのですかな」
「おうよ、それよ! これよ! コイツだ、ここに居る異人野郎が下手人で間違ぇねえんだよ!」
完璧に決めつけてかかる岡っ引き野郎ちくしょう。
と思ったら、いつの間に俺の背後に来てたのか、男顔負けの大柄美人の魔百合姉さんが大きい胸を強調するように腕組みをして仁王立ちして銭田米の旦那を睨み下ろして地獄から聞こえるような恐ろしい声で言った。
「フィンクは昨夜はここに居た。私が腹を空かせてるだろうと握り飯を作ってやったからな。私が証人だ。解るか、銭田米・・・!」
怖ェェェェ!!
股座見えちまうような着流しの着こなし方で男褌履いちゃいるが、筋骨隆々としたその生脚はちょっとした木くれえ蹴り倒せそうなほど逞しい。
呆然とした銭田米の旦那が魔百合姉さんを見上げていると、徐に魔百合姉さんが左足を持ち上げて、
「ひゃああ!? わかった! わかったから!! ふぃ、フィンクは下手人じゃねえ! そらあ当然だよなあ!? この
「フィンクは、バカでも、臆病でも無いぞ。踏み殺されたいか」
「ひいっ!? ごご、ごめんなさい!?」
いっつも威張ってばかりの銭田米の旦那が恐れる。
普段は物静かなんだが、やっぱり魔百合姉さんはおっかねえんだなあ。
がっと、左肩掴まれた。
「フィンク」
「へっへいっ?」
怖いよ!?
「困ったら呼べ。奥にいる」
「へっ、へぇ・・・どうも、ありがとうごぜえやす・・・?」
俺の肩を掴んだまま、魔百合姉さんがお冬ちゃんを見た。
「お冬」
「は、はい、魔百合姉様」
「クズでも今はまだ客人だ。新しい客人の注文も聞いたら、厨房に戻って来い」
「あ、はいっ。わかりました」
魔百合姉さんの怖いのは見た目だけじゃ無いらしい。勝ち気で有名な看板娘のお冬ちゃんが仔猫に見える。
いてて!
肩! 肩掴んでる力!? 肉が千切れちまいますよ!?
俺の耳元に、凛々しくも可憐な唇を近付けて、魔百合姉さんが囁いた。
『お冬を泣かせるような事をしたら、コロすぞ』
「へっ、へいっ。肝に銘じておきやす・・・」
解放された。
スゲー肩が痛え。手形付いてんじゃねえかなあ?
颯爽と奥へと下がっていく魔百合姉さん。
そんなやり取りにも動じる事なく、お侍様は俺の卓の向かいの席に腰を下ろして言った。
「では、お冬さんとやら。茶を四人分いただけるかな」
「は、はいっ、ただいま!」
テテテっと駆け戻っていくお冬ちゃん。
ええと、小嵐三姉妹もドン引きしてるこの状況で、大した胆力でごぜえますな。お侍様。
小嵐三姉妹も隣の席に腰を下ろす。
座る椅子を失って、銭田米の旦那はヒリヒリする顔を摩りながら立って居心地悪そうにしながらも、お侍様を睨んで言った。
「手前ェ、良い度胸だなコノヤロー」
「元気そうで何よりです。それで、捜査はどの程度進んでおられるのかな?」
「うるせえやコノヤロウ!」
ふっと、奥の暖簾が掻き分けられて魔百合姉さんが顔を覗かせた。
びくつきながら続ける岡っ引きの旦那。
「しょっ、しょうがねえから・・・ほんとは駄目だが・・・お、教えてやるよ」
まぁ、俺よりもタッパのある筋骨隆々とした魔百合姉さんだ。おっかねえのは分かるよ。
けど、もう、威厳もクソもあったもんじゃねえなあ。
とりあえず、これで落ち着いて話が聞けそうってもんだぜ。
やれやれ。
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