私の魂に永遠を刻む人

蒼樹里緒

第1話

 広大な丘の上、鈍色の空から降る雪をかぶり、冷たい墓石は並んでいる。乱雑な人波じみたそれらよりは、盤上のチェスの駒のほうが余程整然としているだろう。墓石に彫られた名を確かめなければ、どこの誰が眠っているかもわからない。

 北の海に浮かぶこの孤島が『墓の島』と呼ばれ始めたのは、いつだろうか。たとえばこの世に空を飛ぶ乗り物があり、そこから見下ろせば、民家の屋根よりも墓の数が圧倒的に多いと一目でわかるはずだ。

 真新しい墓石にのみで故人の名を刻み、私は息をついた。白く染まった墓地の地面は、足の踏み場も見失うほどに隙間が少なく、自分の長靴で墓石をうっかり蹴ってしまいそうだ。

 革手袋をはめた指で、外套がいとうに付いた雪を払う。

 脇の通路を歩き出すと、ちょうど門のほうから小柄な少女が来た。

 白熊の毛皮をあしらった外套は袖が僅かに余っており、彼女を昔のようにあどけなく見せる。その裾よりも長く伸びた銀色の髪は、凛とした歩調に合わせて揺れて。紺色の傘の下からのぞいた笑顔は、少女というより淑女としての優雅なそれだった。

 一礼する私に、五歳下の彼女は微苦笑を浮かべた。すみれ色のまるい目が、優しく見つめてくる。

「また傘もささないで作業してたのね」

「この狭さでは、余分な道具は却って邪魔になりますので」

「風邪を引いてしまっては大変よ。ほら」

 毛皮の手袋を外したそのしなやかな指が、頭二つ分ほど高い私の髪へと伸びてきた。労わるように撫でる指先が、寒さでかじかむのもかまわずに。

「きれいな黒髪が、こんなに湿ってるじゃない。早く帰りましょう」

「はい、お嬢様」

 その手を取り、私も微笑んだ。

 傘を借り、彼女を雪から守るように歩く。私の片腕に彼女のそれが絡み、いつものように寄り添うひとときが、のどかに流れていくのだった。

 けれど、そんな大切な時間さえ、不意の悪意に打ち壊されてしまう場合もある。

 ざく、と雪を強く踏みしめる音。

 私の黒目には、中年の男の姿が映り込む。

 震えるその両手に握りしめられた撃鉄が、雪の色すらも打ち消さんばかりに黒光りして、こちらを捉えていた。

 怒気に満ちあふれた声が、彼の唇から発せられる。

「俺の妻を返せ、め」

 不安定ながらも無骨なその指が、引き金にかかる。

 私が間合いに踏み込むより速く、一歩前へ出たお嬢様の腕がすっと伸びて、私を止めた。

 目配せして微笑んだ彼女は、男に向き直って静かに言い放つ。


「あなたなんて嫌い。死んでしまってよ」


 歌うような、ささやくような、不思議な響きで白い吐息とともに発せられた言葉。それこそが、彼女のだった。

 銃口は、男自身のこめかみに当てられる。


 ドンッ。


 鈍い音が空気を裂いたあと、その身体は無様に倒れ伏した。

 地面を紅く染めていく死を覆い隠すかのように、白がさらに降り積もっていく。

 硝煙と鉄錆じみた臭いが、鼻腔を衝いた。

 私が傘を差し直すと、お嬢様は微苦笑した。

「ごめんなさい。仕事を増やしてしまったわね」

「かまいません。お嬢様の平穏のためならば、私は愚者の[[rb:骸>むくろ]]をこの地に埋め続けましょう」

「……ありがとう」

 彼女に一旦傘を返し、私はたずさえていたショベルで遺体付近の土を掘り始める。

 愕然とした表情のまま、男は横たわっていた。

 お嬢様のため息が、背中にもかかるようだった。

「あの女は、夜な夜ないろんな男の家を渡り歩いては、金目の物を盗んでたじゃないの。自分も騙されてたのに、気づかないままわたしを殺しに来るなんて、馬鹿な人」

「警察も手を焼いていたようでしたからね。お嬢様のお力に頼らざるを得なかったのでしょう」

「処刑人だの死神だの、人を好き勝手に呼ぶわりには調子のいいことよね」

 お嬢様の――正しくはお嬢様の家系に伝わる特殊な力が、この墓地を年々拡大させていったのだ。その一族と力を恐れた者は他国へと移住し、崇める者は島に留まるが、人口は減る一方だった。

 それでも、彼女自身は来るべきときまで故郷を離れようとはしない。ある願いのために。

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