(249)爪痕

 よく、世界の歴史の中で「戦争の爪痕」とか「事件の爪痕」とか、後に残る悲しい残滓ざんしを「爪痕つめあと」と表現する事がある。


 誰もが納得の表現ではあると思うのだが、そもそも「爪」の「あと」を残したのが生物では無いにも関わらず、何故に「爪痕」と表現しようと思ったのだろうか。


 例えば僕は、蚊に刺されて痒いところに爪でバッテンを付けて痒みをまぎらわせようとした事がある。


 これには大した効果がある訳では無い事が分かったので、今はもうやらないのだが、子供の頃には誰しもが一度はやった事があるのではなかろうか。


 しかし、この「爪痕」と冒頭に述べた「爪痕」では、何と言うかニュアンスが異なる気がする訳で。


「戦争の爪痕」という表現で言うところの「爪痕」は、もっと恐ろしい生き物の「爪」に傷つけられたかの様なニュアンスがある様に思える。


 そう、例えばドラゴンの様な恐ろしい生き物などだ。


 常識的な大人に「ドラゴン」なんて言ったところで、「そんなものが居る訳だ無いだろう」と思われていそうなものだが、そもそも日本には「龍神」を祀る神社があったりもする訳で。


 もっと言えば、世界中に「ドラゴン」の伝説があり、中国などでは高層建築を作る時などには、地上に近いところに「龍の通り道」と呼ばれる空洞を作る事でも知られている。


 欧州にもドラゴンの伝説はあり、有名な神殿の装飾には、ガーゴイルやドラゴンの様な生き物が彫刻されていたりもする。


 更に欧州の貴族の家系などになると、家紋にドラゴンが描かれている事も少なくない訳で。


 となると、「戦争の爪痕」などに使われる「爪痕」とは、そうした災害級の生物による被害を想像させる状態を指すのではないかとも思える訳で。


 今はインターネットで世界中と繋がる事が出来るが、大昔はそんな技術が無かったにも関わらず、そうした似た様な伝承が残されているというのは、とても不思議で、なかなかにロマンのある話だ。


 下手の横好きで執筆をしている僕だが、作品にドラゴンを登場させた事もあるし、そのドラゴンの姿は西洋の伝説として記録されているものもあれば、東洋の伝承に残されたタイプのものもあって、どちらも「怒らせると恐ろしい災いをもたらす存在」という感じで表現している訳で。


 そんな恐ろしい「爪痕」を残す生物の伝承が、世界中の人々に共有されている事を不思議だとは思うのだが、だからこそ好奇心をくすぐられるのだなと、クルミの殻を割る為にたこ焼き用のピックを使って親指に突き刺してしまって流血している僕は思っていたりする。


 ・・・ほんと、小さな怪我で済んで良かったが、僕の指にも「クルミとの戦いの爪痕」が確かに残されたのだと、そんな事を思う、今日の僕なのであります。

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