(211)元旦を襲った地震

 2024年1月1日、16時10分頃、石川県能登地方で大きな地震があった。


 能登地方に大津波警報が出され、NHKは地震情報と津波情報に塗り替えられた。


 都内の僕が住むマンションも緩やかに揺れ、テレビでは「津波から逃げて下さい! 今すぐ、可能な限り、高い所へ逃げる事!」と何度も大声で訴えていた。


 僕はこの報道を見ながら、北陸の原発の安否を心配していた。


 3.11では福島の原発が爆発するという、最悪の原発事故が起きた訳だが、その光景が僕の脳裏にフラッシュバックした訳だ。


 まずは地震の被害に遭った方にお見舞い申し上げると共に、早期の回復をお祈り申し上げます。


 で、もう一つNHKを見ながら僕は、政府の動きを注視していた。


 元旦という、行政機関が全て休んでいるタイミング、日本においては「最悪のタイミング」での災害とも言える訳で、情報収集がし難いこの状況で、政府がどの様に行動するのかを確認したかった訳だ。


 もしここで岸田首相が素晴らしい動きを見せたならば、自民党の復権の足掛かりともなるのだろうが、今回の動きはどうだったろうか。


 1610 地震発生 最大震度7

 1620 津波警報 能登地方を含む広範囲

 1630 大津波警報 能登地方

 1650 首相官邸に対策本部設置との情報


 ここまでは良いのだが、現場では何度も緊急地震速報が鳴り響き、一部では停電が発生。


 さらに火災が発生し、その火災が拡大していた1800頃になっても首相や官房長官からの発表が無かった。


 発災から2時間が経過しても何も発表出来ないというのは異常だ。


 避難すべきなのか、どうすべきなのか。

 そうした事を政府が発信する事はとても重要な筈だからだ。


 1805頃に気象庁の会見が開かれ、今回の地震に関する発表が行なわれた。


 しかし1830を過ぎても首相官邸からのメッセージは発表されず、1833に原子力規制委員会が先に会見を行うような状況だった。


 彼らの説明によると、富山県の志賀原子力発電所がある地域で震度7だったとの事で、誰もが福島原発の事故の恐怖を思い出したのではなかろうか。


 しかし、そうした会見が行われた後も政府による会見は開かれず、とうとう19時を過ぎる始末。


 これは元旦であるが故の事態なのか、それとも自民党がへなちょこ政権であるが故の事態なのか、はたまたその両方によるものなのか…


 そんな事を考えていた1903に、ようやく官房長官の会見が行われた。


 これが「素晴らしい対応かどうか」は見る人によって意見が分かれると思うのだが、今回の政府対応をよく見て、これからの日本の政治についても考えて行きたいと思います。


 神戸の震災を経験した僕だから分かる事が何かあるはず。


 今の僕に出来る被災地支援とは何だろうな。


 出来る範囲で何かしたいと、そう思う今日の僕なのであります。

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