(55)何故そうなった

 色々な言葉の中で「何故そうなった」と思わされる言い回しや名詞がある。


 今朝、納豆と豆腐を朝食にしていたのだが、そもそも、このネーミングって「何故そうなった」んだろうか。


 豆を型に納めて作る「豆腐」


 で、豆を腐らせた「納豆」


 ・・・・・・・・・


 逆じゃね?


 と納豆を練りながら思った訳だ。


 これに似た感じの違和感がある言い回しで「踏んだり蹴ったり」というのがある。


 酷い目に遭ったのに、更にひどい目に遭った人が

「あーもう、ほんとに踏んだり蹴ったりだったよ!」

 と愚痴る訳だが、これも本来ならば「踏まれたり蹴られたり」が正しい表現ではなかろうか。


 だって「踏んだり蹴ったり」したのなら、これは「加害者」だ。

 被害者ならば「踏まれたり蹴られたり」が正しい筈だよね?


 他にも「指折り数えて待っている」なんて言い回しがあるが、数を数える時の指って、どちらかというと「指を伸ばして数える」のではなかろうか。

 だって、3歳の子供に「君、いくつ?」と訊いて、小指と薬指の2本を立てた状態で「3さい」って答えられたら違和感しか無くない?


 他にも、大阪に住んでた時から思っていた事だが、奈良県から大阪に向かう電車などで、大阪行きが「上り」で、奈良行きが「下り」などと表現される。


 本来、東京に向かって行くのが「上り」で、東京から遠ざかっていくのが「下り」の筈なので、奈良県から大阪に向かうのは、明らかに東京から遠ざかっていく訳だから「下り」という表現が正しいのではなかろうか・・・。


 そもそも「青々と茂る緑の木々」というのも「青いんかい! それとも緑なんかい!」とツッコミたくなる表現だ。


「青信号」等と言うが、実際には緑色の光を灯しているし、アメリカ等では「グリーンシグナル」と言ってるあたり、やはり「緑」という表現がグローバルスタンダードな訳で。


「真っ赤に燃える太陽」ってのも、実際には黄色く光っているのに日本の国旗も昔から日の丸は赤い訳で。


 などと、いつの間にか常識となって普段気にしない様な事が、納豆と豆腐のコラボレーションによって僕の頭の中に吹き出して来た訳だ。


 ほんと「何故そうなった?」と訊きたくなる事が、世の中には沢山あるのだと思い知らされる。


 そんな考えが頭の中をグルグル回って、今日はあんまり仕事がはかどらなかったな。


 個人事業主じゃなければ会社をクビになりそうな一日を、今日の僕は過ごしていたんですのよ。


 はあ、ちゃんと仕事しなくちゃな。


 明日から頑張ろうな。

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