第18話 憐憫





 毎晩深夜になると、娼館の嬢たちと客の織り成す「稼ぎ声」の隙間に悪竜の鳴き声が風に乗って聞こえてきた。

 言われる程おぞましい感じはしない。

 むしろ、どこか物悲しい響きのように俺は感じた。

 本当に悪竜は悪なのか?

 そんなことをふと思ってしまった。



 4日目の深夜、ローズマリー=エイミが俺を呼びに来た。


 ローズマリー=エイミの恰好はいつものチャイナドレスではなく、タンクトップにホットパンツで腰にいくつか収納鞄マジック・バッグをベルトで固定し上からフード付きのマントを羽織っている。

 洋ゲー某大ヒットゲームの女主人公感バリバリだ。


「珍しい装いで」


「そりゃまあねぇ、いつもの恰好じゃ山昇るのキツイしぃ。出発するわぁ、用意は」


「出来てるよ」


 俺はいつものスーツと肩掛けの収納鞄マジック・バッグで部屋を出た。

 持ってきたスキルとスペルのオブラート聖餅は全種類摂取済み。

 『暗視Lv5』で見る夜の街は、青く淡い星の光で満たされた幻想的な光景だ。


「また変な奴に絡まれるのも面倒ねぇ。アナタ『潜伏』はぁ?」


「使える。『潜伏Lv4』だが」


「ならいいわぁ。じゃ、市街地を出て廃城の麓の森までは静かに行くわよぉ」



 途中で路地に屯している冒険者崩れらしき男たちの集団や、巡回と称してみかじめ料を強請ゆす警邏隊けいらたいを何回か見かけたが、『潜伏』スキルのおかげで奴らに見つかることなく移動する。

 ローズマリー=エイミも少なくとも『潜伏Lv4』以上の『潜伏』スキルは身に付けているようだ。


 数時間程街道を移動し、山上に廃城の影が米粒のように辛うじて見える位置まで俺とローズマリー=エイミは街道を進んだ。

 この先、道なき道を掻き分けて進んで行かねばならない。


「そう言えば食料と水は持って来てるのか?」


「一応持っては来ているわぁ。でも、多分要らないわよぉ」


「何言ってんだ。ここから3昼夜は掛かるって話だろう。最も誰も辿り着いた者は居ないらしいが」


「そうねぇ。まあでもここからなら直線距離で言えば20か21km程ってところよねぇ」


「測量した訳じゃないから正確にはわからないが、多分そんなもんなんだろうな。ただ、この森の中、下草茫々ぼうぼうで道も無く、魔獣が生息している中戦闘しながらだとやっぱり3昼夜はかかるだろう」


「そうねぇ。普通に進むならねぇ」


「何だよ、何か空を行く手段でもあるのか? 最も空中を移動していても途中で平衡感覚がおかしくなって墜落するって話だったが」


「ふふっ、地中を行く、という感じかしらぁ」


「廃城に通じる洞穴ダンジョンでもあるのか?」


「あなたには見せたでしょぉ? 私の『特能』。私の『特能』は物体を素通りすることが出来る。というより『この世界』とは一枚隔てた世界に移動して『この世界』に干渉することが可能な能力よぉ」


「俺にめり込んで通り抜けた、あの能力のことか」


「そ。だからぁ、私と手を繋げば、あなたも1枚隔てた世界にご招待。『この世界』の草木や、地面の凹凸や、龍の張る結界も関係なく移動できるって訳」


 チートじゃないか。

 チートじゃないかあ?

 この程度じゃチートって言わないか最近は。


「つまり、この世界のどんな攻撃も1枚隔てた世界にいる者には届かないってことだな?」


「ふふっ、そういうことよぉ。では、お手をどうぞぉ」


 ローズマリー=エイミが差し出した手を取る。

 どう手入れをしているのか、その手はこの世界に似つかわしくなく艶やかで滑らかだ。

 待て、いかん、俺はローズマリー=エイミの「魅了」に掛かりつつあるんじゃないか。

 そう思ったが、出発前に『魅了耐性Lv5』のスペルオブラート聖餅は摂取している。

 多分大丈夫だろう。


「じゃあ、行きましょうかぁ」


 ローズマリー=エイミに先導されながら森に入って行く。

 草も木の枝も俺達には一切触れない。

 地面の凹凸も全く感じず、舗装された坂道を昇っている感覚で進める。

 大木が俺達の行く手を遮ったが、ローズマリー=エイミは気にすることなく大木の幹に突っ込んで行く。

 俺も引っ張られて大木に突っ込む。

 視界が遮られるんじゃないかと思ったが、大木が半透明になり向こうが見渡せる。

 大きな岩の場合も同じだった。


 1時間程そうやって歩き続け、池のほとりに出た時にローズマリー=エイミは一度休憩を取った。


「ちょっと、一休みよぉ」

 そう言ってふうっと一息つく。

 俺も長距離の行動を伴う大樹海の中の探索からはしばらく離れていたのもあり、多少体が鈍っているのか少し息切れしているので遠慮なく草の上に腰を下ろした。

 収納鞄マジック・バッグから水筒を取り出し喉を潤す。まだ体力回復のポーションを飲む程体力は消耗してはいない。

 傍らのローズマリー=エイミは収納鞄マジック・バッグから何も取り出そうとはしないで地面に膝を抱えて座り込み、上がった息を整えている。


「おい、水飲まなくていいのか」


「まだ大丈夫よぉ」


 ローズマリー=エイミはそう答えるが、行動中は水分を摂れる時に摂っておくのが鉄則だ。


「これ、飲めよ。昔はあんたも冒険者だったんだろ? 行動中の鉄則忘れたのか」


 膝を抱えて座っているローズマリー=エイミに水筒を差し出す。


「ほら」


 なかなか水筒に手を伸ばさないローズマリー=エイミだったが、俺が再度そう言って差し出すと水筒を受け取り、クピクピと飲んだ。


「ありがとぉ」


 そう言って俺に水筒を返すローズマリー=エイミ。


「何だかチャイナドレスでふんぞり返っている普段とは違って可愛らしいな」


「あら、そうぉ。最近じゃ滅多に外で山に登ったりしないからねぇ」


「そうか。たまにはいいもんだろ」


「そうねぇ。これが夜じゃなく昼間だったらなお気持ち良かったかもねぇ」


「夜だって乙なもんだ。星の光が青く幻想的に世界を照らしている」


「あなたって、外見に似合わず意外にロマンチストなのねぇ」

 そう言ってふふっ、とローズマリー=エイミは笑う。


「なあ、ところで一つ聞きたいんだが」


「なあにぃ?」


「アンタの『特能』、本当は移動もある程度自在になるんじゃないのか?」


「……どうしてそう思うのぉ」


「単純な話さ。一枚隔てた世界っていうのが多重世界でこの世界の一つ横にある世界というなら、その世界にも重なるように草木は存在するだろう。その影響を受けないで歩けるのはおかしい。

 それに足の裏に舗装路を歩いているような感覚があったが、一枚隔てた世界ってのは舗装された地面だけがこちらの世界と似たような勾配で存在する世界で、こちらの世界と同等な重力が働く世界ってことか? さすがにそれは無理がある。

 一枚隔てた世界に居る間、移動はある程度能力者の自由に行えるが、能力者の感覚から極端にかけ離れたことは出来ない、ってところじゃないか?」


「あらぁ、鋭いわねぇ。アナタに私の『特能』を打ち明けた事、失敗だったかしらぁ」


「いや、単なる当てずっぽうだ。気にしないでくれ」


「アナタには私のこれまでが通用しないわねぇ」


 そう言うとローズマリー=エイミは膝を抱えていた両手を後ろの地面に着き、空を見上げる。


「噂で聞いたことがあるかも知れないけれどぉ、私も日本からの転移者よぉ。アナタが転移してきたのは何年前?」


「7年前だ」


「私はもう18年になるわぁ。転移してきた時はまだ高校生でねぇ、突然日本とは違う異国の街に飛ばされた16の小娘がどうなるか想像がつくぅ?」


 想像はつくが、それを本人の前で口に出す程、俺は恥知らずじゃない。


「俺達とは違って街中だったのか」


「そうよぉ、王都シャンケルの路地裏にねぇ。そこに16の小娘がいきなりよぉ。当然のように男達に乱暴されそうになってねぇ、必死で逃げたわぁ」


「16歳の少女の足で逃げ切れたのか」


「ふふっ、無理よぉ。必死で泣き喚いて抵抗したけど、男の力には敵わなかった。もうショックでねぇ。相手に報復したいとか全然思わなかった。ただただ怖くて、悪い夢なんだって思い込もうとしていたわぁ」


「その時はまだ『特能』が使えなかったのか」


「そうよぉ、使えていれば何てことなかったのに。その時に『特能』が発動してたらって今でも思うわぁ」


「何でそんな話を俺にするんだ」


「……さあねぇ、普段は見せない姿を見られたせいで、ちょっと自分のことを知ってもらいたいって気持ちがくすぐられてしまったのかもねぇ」


 そう言ってローズマリー=エイミは黙り込んだ。


 黙って星空を見上げるローズマリー=エイミの横顔に、転移したての少女だった頃の面影が何となく重なり見える気がした俺は、気恥ずかしくなって同じように空を見上げた。



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