第8話 めんどくせえ営業先②




 城塞本体の扉の前で、また警備の衛兵に冒険者証を提示し、目当ての民政官ワイル氏への面会希望を伝える。

 当然衛兵には1000デイス銀貨を握らせてやる。


 ここの衛兵も慣れていないのか怪訝な顔をしたが、どうにか俺達の来訪をワイル氏に伝えに行ってくれた。

 しばらく……いや、かなりの時間そのまま待たされていたが、ようやく城塞の扉が開き、ワイル氏の部下の吏僚レリオが姿を現した。


「カワイ、入りなさい」


 レリオに招き入れられ、俺とエディは城塞の中に入る。


「今日はどうしたんだカワイ? まだ下水清掃の達成報告には早いと思うが。それにワイル殿に面会だなんて」


 レリオが歩きながらそう尋ねる。


「新しい営業職員をワイル氏にお目通りさせておこうと思いまして。

 俺からすれば、レリオさんにだけご紹介させていただければ十分なんですけどね。

 レリオさん、こちら新人営業部員のエディ=レイクです。今後は何かとお世話になると思いますのでよろしくお願いします」


「エディ=レイクです、よろしくお願いします」


「民政部のレリオ=エゲーロという。歩きながらのあいさつで済まんな」


「エディ、レリオさんが実質的に俺達に仕事を振ってくれる依頼主みたいなものなんだ。レリオさん、これはエディと俺からの気持ちです」


 そう言って俺はレリオにスーツの内ポケットから取り出した小瓶を2本、そっと手渡した。


「いつも悪いな、カワイ」


「いえ、レリオさんにはお世話になってますし、エディがこれからお世話になりますので。ゼップ爺さんのところで貰った蜂蜜です。レリオさんも色々とお疲れでしょうから、パンケーキにたっぷり掛けて召し上がって下さい」


「まあ、色々と気疲れもあるのでな。娘たちと一緒にいただくとしよう」


 レリオは自分の仕事場である十何人かの吏僚が机を並べているフロアに差し掛かると、「少し待っていてくれ」と言ってフロアの自分のデスクに一度戻った。

 蜂蜜の小瓶を置きに行ったのだろう。


「待たせたな」


 戻って来たレリオは、エディに1枚の紙を渡した。


「新人に御祝儀代わりだ。スポット的な依頼だが、雨が降ると街道の水溜まりがひどくてな。その補修作業だ。ただ、8番洞穴の近くだから魔物対策が必要になるが、まあそこはそっちで総額内で割り振って何とかしてくれ。

 それとワイル殿にはこの件で礼は伝えるなよ。知られると面倒くさい」


「ありがとうございます!」


 エディが感激したように頭を下げ感謝をレリオに伝える。


「いいんだ。農民の課役でやらせると、各村の日程だの都合だので調整が大変で結局冬の農閑期にずれ込むことになる。それなら、それくらいの金額払って早々にやってもらった方が助かる」


「ワイル氏は依頼に反対なんですか?」


 エディがそう尋ねるとレリオは、

「ワイル殿はとにかく支出が嫌いだからな。貰えるものは好きだが。自分の任期の間にどれだけ節約できたと言い張れるかしか考えていない。農閑期まで街道を放っておけば作物輸送に間に合わんし、日常の物流も滞りがちになる。まあそうなってからワイル殿が男爵様にどれだけ叱責されようとかまわんが、その後不都合の責任をこっちに押し付けてくるのが目に見えているからな」

 と答えた。


 レリオは実にしたたかだ。

 レリオはファーテスの市民出身だが、ワイル氏はファーテス代官であるモックス男爵の官吏の一人で時期が来たら男爵領に戻ることが決まっている。

 実質的なファーテス市民の民政を担うレリオは、腰掛け上司にうるさいことを言われる前に住民の生活に悪影響が出かねない問題に手を打っておくつもりなんだろう。


「さて、では我が上司ワイル殿の執務室にご案内するか」


 そう言って歩き出すレリオの後に俺とエディは付いて行く。

 俺はエディに、内ポケットから出した短い棒状のものを5本程渡し、エディの耳にそっと耳打ちした。





 レリオがワイル氏の執務室の扉をノックし「冒険者ギルドの者が、民政官殿へお目通り願いたいとまかり越しております」そう呼ばうと、執務室の中から「入れ」と声がかかった。


 レリオが扉を開け、俺達を中に入れる。


 執務机の椅子に座ったワイル氏は、頭頂部が禿げ上がった小柄な男。

 以前挨拶に来た時よりも貧相さに磨きがかかっている気がする。


「冒険者ギルドの営業部長カワイ=ケイスケと、新しく営業部員となったエディ=レイクの両名です」 レリオが俺達を紹介する。


「カワイは以前も挨拶に来たことがあったな」


「はい。覚えていて頂き大変光栄です」


「今日は何だ」


「私の隣のエディ=レイクが新しく営業部員となりましたので、ワイル様に是非ご挨拶させ知己を得られれば幸いと思い連れて参りました」


「ほう」


「エディ=レイクと申します。今後ワイル様にお見知りいただけると幸いです」


「……」


「……」


「……」


 俺はエディの腕を軽くつつき、前に出るように促す。

 エディもハッとした表情を見せ、ワイル氏の執務机の前まで進み、俺が渡した短い棒状のものを5本、ワイル氏の執務机の上に乗せて深く一礼した。


「エディとやら、これは何だ?」


「リップクリームという物です。主に女性の唇を艶やかに潤わせる効果がございます。薄い桃色をしており、様々な香りが付いておりますので奥方様に贈られてはいかがでしょうか」


 エディが頭を下げたまま答える。

 耳打ちして伝えた通りだ。


「どこで手に入るのだ?」


「冒険者ギルド・ファーテス支部の製品開発部の試作品です。この世にその5本しかございません。先程女性の唇と申し上げましたが、男性の唇に塗ってもよろしいものです」


 俺がそう説明する。


「失礼」


 エディが5本のうち1本を手に取り、先端のクリームを自らの指に塗り、それを自分の唇に塗る。

 要は毒見みたいなものだ。

 エディはご丁寧にリップクリームを塗った唇を舌でペロリと舐め回し、毒ではないことをアピールする。

 しかし、男のその仕草は、あんまり見たくはないものである。


「ふむ、確かに唇の色が映えるな」


 ワイル氏はエディの顔を見てそう言い、エディが差し出したリップクリームを手に取り臭いを嗅いだ。


「良い香りがする。バラか」


「はい、他にもレモン、オレンジ等の香りがあります。5本全て違います」


「なるほど。……まあ受け取っておこう」


 ワイル氏はそう言うと、机の上のリップクリームを全てポケットに入れ、座っていた椅子ごとクルリと反対側を向く。


「済まんが今後は下水清掃に今までと同額は出せんかも知れん。ファーテスも財政が厳しいのでな」

 

 反対側を向いたままワイル氏はそう淡々と声を出す。

 いつものことだが、ワイロのための脅しだ。

 珍品が好きなワイル氏だから、もしかしたらリップクリームで満足するかも知れないと淡い期待を抱いていたが、ワイル氏の欲は俺の浅慮では測れなかったようだ。

 

「お前たち冒険者は都市や農村からのあぶれ者の集まり。そんな連中にファーテス市民の貴重な血税を使うなど如何いかがなものか、という声も高級市民の間からは度々聞かれておる。それをワシが抑えるのもなかなかに骨が折れるのだ」


「ワイル殿のお骨折りによってこの者ら冒険者は生活ができております。その点についてはこの者らも深くワイル殿に感謝しておりますよ」


 レリオの口添え。

 実際に高級市民の間からそんな声が上がっている訳ではない。本当にそうだとすればレリオが先に教えてくれる。

 この場をこじらせないためにレリオがしてくれた口添え。それを受け俺が後を引き取る。


「先程のリップクリームはほんのご挨拶の品。後程お屋敷の方に私共の感謝の気持ちは届けさせていただきますので、どうぞよしなに」


 俺の言葉を聞き終わるとワイル氏は椅子を90°回し窓側を向き「うむ。気持ちは大事だからのう。では下がってよいぞ」と退出を促す。


「本日はお時間を頂きありがとうございました。今後新人のエディ=レイクのこともよしなに」

「ありがとうございました」


 俺とエディはそう言ってワイル氏の執務室を退出した。








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