X 溺れながら幸せな夢を見よう

 ベローナ率いる遺恨者たちがコランをさらった事をキッカケにして、白い怪物レディと町の若者たちという対立が出来ていた。

 遺恨者たちはこの構図を望み、備えてきた。

 だが、彼らの敵は怪物だけではなかった。

 レディの協力者ラヌ。

 瀕死の所をレディに救われ、愛し人との再会を望み、また町の人間への復讐も強く願っている男。

 レディの腹心である彼は心のまま町の人間への襲撃を繰り返す。そんな中で、新たな復讐を生む。

 そして、もう一人の怪物、ドラゴンメイド――トワもコランをレディから取り戻すために町に到着した。

 二人目の怪物は怪物を恨む町で何をするのか。


 過去が集結し、全ては新たな段階へと進む。

 

 二人の怪物、呪いの子、町の人間。


 かくして、呪いと復讐が連鎖する物語は続く。

 儀式が始まる。

 儀式の果てに何が生まれるのか。


 未だ、呪いの子は闇のまどろみの中。

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西の職人地区


 今まさに、包帯男ラヌと女狩人トーラが激突しようとした瞬間である。

 不快な潮の匂いがバッと広がった。地面から湧き出た黒い液体が爆発的に膨張した。

 黒い液体が細い道を塞ぐ。

「何だ!?」

「ッ!?」

 危険信号が二人の脳内を駆け巡った。彼らは急停止した。

 黒い壁を前に、相手の姿が遮られて見えなくなってしまった。



 女狩人は復讐にのめり込み、冷静さを失っていた。警戒心よりも憎しみが勝ってしまった。

 ブニュンッ

 一度は止まったが、包帯男を逃がすまいと黒い壁を攻撃してしまう。

 女狩人の手先に伝わる感触は、水が詰まった革袋を指で突いたような頼りないものであった。さらに、突き立った穂先は抜ける事なく、どれだけ踏ん張ろうとも抜けない。

 黒い壁は槍を掴んでいるのだ。

「離れろ!」

 義弟の声にトーラがハッとする。頭上を見れば、黒い壁上部から黒い触手が何本も伸びて、トーラに狙いを定めていた。

 女狩人は槍を捨てて飛び退いた。

 次の瞬間、先程まで彼女が居た場所に黒い触手が殺到する。

 地面に衝突する黒い触手が弾け、飛沫が飛び散る。その後も続々と触手が殺到し、その度に先発の触手を押し潰して粉々に砕け散る。

「無事か!」

 ディヨンは屋上から義姉の無事を確かめる。すると、トーラが本来の目的を思い出し義弟を見やる。

「逃げたの!?」

「待て、今は危険だ。逃げる事を考えてくれ」

「ディヨン、あいつはどうなったの!?」

 こちらの声が届かない、と悟ったディヨンは仕方なく黒い壁の向こう側を見やる。

 しかし、建物の高さまで黒い壁を作られているせいで、近付かない事には向こう側が見えなかった。勿論、ディヨンは黒い壁に近付く危険を許容しない。

「見えない。ここからじゃ奴を追えない」

「ちくしょう! この匂いのせいで追えなくなる。ディヨン、追いなさい!」

「ここまでだ。獲物に逃げられた。今回の狩りは失敗だ」

「私に狩りを説くなッ。お前よりも、私の方が多く狩ってきたのよ」

 そう叫ぶ女狩人の眼が、ディヨンには怒りに我を忘れている獣のそれに見えた。

 狩人は空しさを覚えた。

「ああ、義姉さんの方が優秀だったよ」

 哀しげに呟いた後、ディヨンは黒い壁のわずかな異変に気付く。

「次が来るぞ!」

 怒り狂うトーラも流石に、目の前の脅威を放置はできない。

 ディヨンの助言も頼りにして、トーラは回避に意識を割く。こうなっては、ただ殺到するだけの攻撃は通用しない。

 何度か無駄な攻撃を繰り返した黒い触手群は急に動きを止めた。

 攻撃は収まったか?

 否。狩りをする側は、小さな獲物を狩る攻略法を練ったのだ。


      ✕       ✕


 一方、分断された包帯男ラヌは黒い触手群に追い詰められていた。

 これまでの疲労や流血により、彼の身体はダメージが蓄積されていた。錆び付いた絡繰りのように融通が利かない。

 いや、それらはこの町に来てからのものだけではない。長年、彼の身体には癒えないダメージが蓄積されていた。

 活動が長時間化するほど、身体にガタが来る。それが今の彼の身体だった。

 にも関わらず、彼が不格好ながらも致命傷を回避できているのは、彼の執念の強さ故だった。

「はあ、はあ。やっぱり、この町はクソだな」

 武器を振るう。

 叩き切る。

 次が迫る。

 叩き潰す。

 次と次が迫る。

 避ける。

 次と次と次と次が迫る。

「へへ。俺を殺そうとしたヤニス共もこんな感じだったぞ?」

 次と次が迫り、避け、武器を振るい、一本が腹を強かに打つ。

 壁まで吹き飛ばされたラヌに、幾本もの触手が殺到し、何度も彼の身体を殴り付ける。

 身体中に広がる鈍い痛み。十年前の殺されかかった光景を思い出す。

「同じ、だ。あの時、と」

 今日だけで、二度も殺されかけている。

 死にかける度、彼は生きる理由を思い出す

「死ね、ない。会う、まで」

 思い出す度に、彼の身体に熱が戻る。

 血を流す前よりも熱く熱く、想いが、彼の血潮を沸かせるのだ。

 錆び付いた全てが軋みながらも動き出し、「まだだ」と叫ぶように力強い一歩を踏み出す。

 言葉にすらならない雄叫びを上げ、血塗れの獣が殺到する触手群を粉砕する。

 彼の眼には、触手が自分を引き裂いた老人たちに見えていた。

「死ね! 死ね! 死ね!」

 愛しい人に遭いたい想いと復讐心。

 強烈な二つの執念を燃料にして、ラヌという血塗れの獣は歩き続ける。

「何処だ。クソ共が。殺してやるぞ。大事な人、奪った、全員、死ね」

 正気を失っても止まらない。

 瀕死でも止まらない。

 死ぬ事でしか止まれない幽鬼だった。

 幽鬼の如き彼だからこそ、そこに共感を覚えた怪物が居たのだ。

 遂に触手の包囲網を粉砕し、脱出を果たした彼が地面に倒れる直前、空から急降下してきた影が彼を掴み、また空へと昇る。

 白い影――レディは上空をくるりと一周し、黒煙へと消える直前、地面の黒い液体を一瞥した。


       ✕      ✕


 トーラは変化する触手を見上げる。

 黒い触手群は捻じれながら束となり、空高く立つ一本の柱のようになる。

 見上げるトーラには、空を貫かんと伸びる一本の黒い柱にしか見えない。だが、屋上で柱を見ていたディヨンは嫌な予感を覚えた。

 捻じれの先端、今にも花開こうとしているそれ。漁師の町の子なのだ。狩人であれ、漁師の仕事道具は何度も目にしていた。

 故に、黒い触手の狙いに気付いた。

「投網だ!」

 義弟の声にトーラも瞬時に理解する。



 投網という漁法がある。

 網の束を片側で一本にまとめ、反対側におもりを付ける。その網を広げるようにして魚の群れに向かって放る。すると、落下する時に網の口が開き、おもりによって落下し、魚の群れを囲んで捕える。

 コレが投網である。

 投網のやり方は、取り込んだタロや町の人間の知識から学んだ。

 やろうと思えば、初めから簡単に捕まえられたのだ。

 何故、やらなかったのか。

 お菓子で遊ぶ子供と同じ。楽しそうだったから、単に弄んでいたに過ぎない。

 今はそれに飽きて、黒い海水は獲物を捕まえる確実な方法を選んだのだ。



 触手の束が地上に先端を向けた。捻じれた束がバッ、と開かれた。

 黒の投網が開いた。もう間に合わない。

 しかし、一瞬動きが止まった。

 狩人姉弟とは反対側――ラヌの側で白い怪物レディの接近に気付いた黒い海水が警戒したためだ。

 警戒にリソースを割いた為に、黒の投網は数瞬遅れて放たれた。

 運良く、としか言えない。

 わずかな隙のお陰で、トーラは間一髪、投網を脱出できた。

 見守っていたディヨンは安堵の息を吐く。

 義姉の無事を確かめようと彼が地上まで降りた時、義姉の異変に気付く。地面に倒れ伏したまま、身を縮めるトーラは小刻みに震えていた。

 彼女は自分の左腕を押さえ、唇が切れるほど噛んで、苦しみの声を押し殺していた。

 ディヨンは恐るおそる何が起きているか確認しようと、義姉の半身を傾けた。女狩人の左腕と左足に黒い海水が付着していた。

 黒い液体の中では小さな泡が泡立ち、かすかに肉が焼ける匂いがする。

「まさか、溶かしてるのか!?」

 痛むのだろう。トーラは脂汗をかき、苦悶の表情を浮かべる。

「ま、待ってろ!」

 すぐさまナイフを取り出したディヨンは、ナイフの背を義姉の足に押し当てて、黒い液体を削ぐように滑らせる。削ぐ時に、溶けかかっている皮膚も一緒に引き剥がされた。

「んんんん!?」

 痛みに悶絶するトーラ。足の黒い液体は剥がしきった。決して、楽観できる状態ではない。歩くのも辛いと容易に想像できる傷だ。

「耐えてくれ!」

 ディヨンは腕の処置に移ろうとした。彼が振り返った。もはや間に合いそうにない。

 足の方の引き剥がしに手間取っている間に、黒い壁から新たな触手が迫っていた。しかも、腕に付着していた黒い液体も独自に動いていて、浸食を身体全体に広げようとしている。

「うぅ、ぁぐっ」

「…ちくしょう」

 幼馴染の仇も見失い、義姉も負傷した。

 得た物はなく、失った物は多い。


 ディヨンは判断に迫られた。

 義姉を治療し仇を追うか、即時撤退か。

 狩人は判断に時間をかけない。

 即座に優先順位を組み直す。

(狩人のルールだ。生き延びろ)

 答えは既に出ている。


 狩人のあるべき姿だ、とディヨンは己の矜持を信じる。

 町最後の狩人は義姉の左腕を諦める。

 布でくるみ、腕の付け根辺りを布ごと縄で縛った。腕以外に黒い液体が広がることを防いだ。

 次に、一本の矢――音が鳴る細工をした矢を取り出し、空に向けて放つ。


 矢はピューという音を鳴らして空高く飛んだ。


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港町東側


 遠くから聞こえた鳥の鳴き声のような音に、トワは振り向く。

 音のした方角――西から、奇妙な匂いが流れてきている。

 音と匂いが気にかかり、しばらく立ち止まって様子を見ていた。

 薄く、不快な匂いがするだけで、先程聞こえた音も聞こえなくなった。

 ただの気のせい。そうトワが思い始めた頃、彼女を監視すると言って付きまとうガルゴが、彼女に声を掛けてきた。

「何だよ、何見てるんだ?」

「…いえ。海鳥の鳴き声を勘違いしたみたい」

「ん、魚はまったくだけど、海鳥はまだ居るからな」

 後ろ髪を引かれるトワだが、わざわざ確認に行くほどの事だとも思えなかった。

 それよりも、とトワは若者に改めて問う。

「ねえ、怪物が連れてきた子供が何処に居るのか、本当に知らないの?」

「知らない。別行動だ」

 そもそも、とガルゴは続ける。

「知ってても教えない。お前は信用できない」

「…はあ。付きまとうなら、ちょっとぐらい協力してほしいわ」

「嫌だね。敵じゃないかもしれないけど、お前は怪物だ」

 若者は仮面女の尻尾を指差す。それを見ろ、と言わんばかりだ。

 咄嗟に尻尾を背中に隠したトワ。彼女も見た目の異形っぽさを気にしていた。話題を無理に逸らした。

「そこまで目の敵にするなら、さっさと攻撃してくれてもいいのよ」

「まだ見極めてる。俺はそんな馬鹿じゃない」

 トワはもう一度、町の西側を一瞥する。

「まあ、好きにして。今の町に詳しい奴が居れば、助かると思ってたんだけどね」

 皮肉を口にして、また歩き出す。その後ろをガルゴが付いて行くが、彼の不自由な足のせいでその速度は遅い。それが気になるトワが気を遣って合わせていた。

 彼らは町を東へ進む。

 建物の数も減り、必然的に隠されている罠の数が減った。火薬や油で怪物の嗅覚が使えない心配もなくなる。

 戦いの中心地から離れると、ガルゴも余計な不安を感じて少しソワソワしていた。

 若者の落ち着きなさなど気にせず、トワは町の変化に気を取られていた。

 港町の景観は、洋の東西が混じった町作りのため、場所によって変化が著しい。

 例えば、港に近いほど石造りの建物が隙間なく横並びに建っている。だが、東に向かえば、土地の起伏に合わせて一軒ずつ広い土地と家を持つような景観に変わる。

 そして、その辺りは漁師たちが家族と過ごす家として使われていた。人が居れば、家族の生活音や匂いがして、決して静かな場所などではないはずだ。

 トワの記憶では、子供が遊ぶ声や女房たちのヒソヒソ話が聞こえる場所だった。

 けれど、静けさが染み込んでいた。

 うら寂しさと不安を煽る冷たさしかない光景に、トワは秘かに胸を痛めた。

 トワは遠くに目を向けた。

 この生活圏としていた場所を抜けた先、人が寄り付かない小さな丘の上に、建物の影が見えた。

 忘れるはずがない。

 トワの心が郷愁を抱く。

 ジョーンズ夫妻の屋敷であった。

「……」

 追跡者を待つため、しばらくトワは屋敷の影を眺めていた。

 やがて、息を切らしたガルゴが追いつく。彼の足では、石などが取り払われていない道は苦しい。

「はぁ、はぁ、はぁ…」

「長らく人が通ってないみたいだし、ここからさらにキツイわよ」

「やっぱり、町に、詳しいじゃないか。あの、燃えカス屋敷に、何の用だ…」

「そんな状態でも知りたがりは健在なのね」

 若者の疑問には無視で返した。

 トワは周囲を見やる。雨風や動物の被害が少なそうな家を探す。ガルゴの息が整ってきた頃、やっと目当ての物を見付けた。

「あの家に行くわよ」

「は? どこだよ」

「言っても放っておいてくれないんでしょ。なら、少しは歩く速さを合わせて。杖を作ってあげる」

 

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????


 コラン少年は、自分が夢を見ていると思った。

 気付けば見知らぬ場所で、見知らぬ女性たちと同じ食卓についているから、これは夢だと思ったのだ。

(…見知らぬ地で、現地の人と食卓を囲むなんて……まるで冒険小説みたいだ)

 対面には、癖のある髪を短くしている女性と調理場に立つよく似た顔のもう一人。二人とも何度も修繕した跡がある質素な服を着ている。

 コランは、二人が姉妹であると解る。

 けれど、どうやってここまで来たのかも、何故彼女たちと食卓を囲む事になったのかも思い出せない。

 ぼんやり。彼女たちの名前は頭に浮かぶ。

「ほら、出来たわ」

 癖毛を後ろで纏めた女性――クーリカがテーブルに大皿を置く。

 皿の上には、調理された立派な魚が横たわっている。蒸されて白くなった身がきらめいて、オイルや木の実も合わさり、とても美味しそうに見える。

「クー姉の得意料理ね! 良かったわね、特別な日に食べる物なのよ」

 短髪の女性――タロが身を乗り出して、まるで自分の手柄のように得意げに鼻を鳴らす。明らかに自分よりも幼いコラン少年相手に、どこか勝ち誇った様子だ。

「ふ、ふ〜ん…」

 子供相手に大人げないと不満を顔に出す。

「もう、折角のお客様相手にやめてよ。それに、これも毎日漁に出てくれるタロのお陰でしょ」

「そ、そう? えへへ」

 漁師のタロは子供のように笑う。姉妹は仲良く食事の準備に戻る。

 姉妹の背を見つめていたコランは、自分が客の役割であるのを思い出した。姉妹に歓迎され、彼女らの手料理を食べるのだと強く思った。

 途端、料理に興味が湧いた。コランはタロに問いかけた。

「これ、ここで獲れた魚なの? 図鑑でも見た事無いよ」

「そうよ。本当ならそれを売れば、隣町の市場で一週間の食糧が買えるのよ」

 感謝しなさい、と付け加えるタロにクーリカが口を尖らせて叱咤する。

「コラ、お客様相手に。ごめんね。漁師仕事が好きすぎるせいか、その事になると生意気になっちゃうの。根は素直で甘えん坊なのよ」

 と、妹を肘で小突く。

「ちょ、止めてよ! 漁師の威厳ってもんがあるの!」

 姉妹は笑う。

 なんだか仲睦まじい食卓に懐かしさを覚えて、微笑ましくなる。少年も思わず笑っていた。

 全ての料理が出てきた。

 メインの魚料理の大皿とスープ、それと乾燥したパンという質素なメニュー。だが、漁師の町らしく、海の幸をふんだんに使った料理はコランの眼に珍しく、温かみがあってどれも美味しそうだった。

 準備を終えた姉妹が席に着く。

「さ、お祈りをしましょう」

 姉妹は互いに手を握る。

 そして、空いた方の手をコランに差し向けた。

「えっと…」

 祈りの作法がわからず困惑するコラン少年。

「祈りも知らないの? 皆で手を握って、今日の恵みに感謝するのよ」

 言われた通り、コランは祈りの所作を真似る。

 頂く者は何も言わず、ただ黙して感謝する。

 コランは彼女らの信じるモノを知らないので、食材を獲ってきたタロと料理を作ったクーリカに感謝を捧げる事にした。

 祈りを終えて、食事が始まる。

 美味しそうに姉の料理を口に運ぶタロ、そんな妹に微笑みを向けるクーリカ。

 コランも料理を口に含む。


「?」


 味が無い。

 いや、食感がない。

 食べた感覚がなく、口に何の味も広がらない。

 スプーンを戻して見れば、そこには変わらず、美味しそうに見える魚の身があった。

 コラン少年は料理を見つめる。

 違和感がある。ある筈のものが無い。コラン少年はそんな気がした。

「クー姉、今日は本当に奮発したのね。コレ、コショウでしょ」

「そりゃね。折角のお客様ですもの。しかも、こんなに可愛らしいのよ。美味しい物を食べて貰わなくちゃね」

「良かったわね! コショウは貴重なのよ。この魚を売った金でも買えないんだから。私の誕生日でも使ってくれないのに」

 料理には、確かに黒い粒――砕かれたコショウが散らされている。貴重品であるのに、少年を歓迎する為に沢山使っている。

 そして、コラン少年は違和感の正体に気付いた。

「匂いがないんだ。料理も、部屋も、家も全部、何の匂いもしない。これは夢…だけど、誰の夢?」

 ささいな気付きから、ずさんな夢のリアリティが崩れた。

 夢を自分の夢ではないと認識すれば、夢だったものの輪郭が薄れ、その詳細が露わになる。舞台上の嘘が暴かれ、さっきまで美味しそうに見えていた筈の料理が、ただの黒い液体に変わるのだ。

 いや、これが茶番劇の正体なのだ。


「コレは…!?」


 夢の正体に気付いた事で、コラン少年は明晰夢のように特別な視点に立った。

 舞台の裏側には、黒い液体しかなかった。

 そして、正体がわかった事で、夢の中で匂いが消されていた理由が判明する。

「うっ、なんてキツイ潮の匂い…」

 鼻がもげそうになる不快な匂いに、少年は顔をしかめる。

 自分を取り囲む全てが海水なのだ。鼻が利けば、すぐに違和感に気付いてしまう。

 少年は、自分を取り囲む環境の中で、唯一黒い海水ではない存在の方を見る。

 タロは喜んで黒い海水を食べていた。

「た、タロさん。それ…」

「何? 私の分はやらないわよ。お腹空いてるんだもの、クー姉さんの料理なんて久し振り」

 そういって、タロはまた黒い液体を食べる。

 タロがまだ事実に気付いていないとわかり、コラン少年は苦々しい表情で頭を抱える。正気を失っている相手を元に戻す方法を、少年は必死に考える。

 すると、クーリカを装う黒い液体の人型が話しかけてきた。

 ――ゴポゴポ、ゴポポゴポッ

「やった!」

 喜ぶタロ。しかし、コラン少年にはゴポゴポと液体が鳴っているようにしか聞こえない。

「何だよ、何なんだよこの黒い液体は!?」

 異常に正気が耐えきれなくなり、コラン少年は取り乱して立ち上がった。

 タロと黒い人形が少年を見た。

「何してるのよ。ほら、クー姉の料理が冷めちゃう」

 ――ゴポ、ゴポポ

 人のフリをする黒い液体が黒い液体を差し出す。きっと、夢の中では料理を差し出しているのだろう。

「っ」

 こんな気味が悪いものを姉と思い込まされているタロに同情し、コランは黒い液体を払いのけた。

「こんなの料理じゃない! ただの黒い液体だ! 目を覚まして、タロさん!」

 しかし、幸せな夢に浸るタロには、コラン少年が最愛の姉の料理を台無しにしたようにしか見えない。

 激情のままに少年の胸ぐらを掴み上げた。

「お前、お前なんかがッ。姉さんの、台無しにしやがって!」

 怒りのあまり上手く言葉を継ぐ事も出来ない。

「ぐ。し、しっかりして。それは、クーリカさんなんかじゃない!」

「黙れ!!」

 遂には、タロがコラン少年を床――実際には黒い海水――に組み伏せる。少年に馬乗りになり、自分の腕で少年の喉を押さえつけた。

「ぐえ!?」

「謝れ! 姉さんに謝れクソガキ!」

 ゴポゴポ

 クーリカの偽者がタロを止めるようなフリをする。タロは偽者相手に自分を止めるなと言い合っていた。

 コラン少年にとって、純粋な怒りを向けられるのは初めての体験だった。

歯を剥く様子も、吊り上がった眉も、見開かれた眼も。怒る人間は恐ろしい。

(っ!)

 コラン少年はそれでも、タロに同情していた。

だから、なんとかタロを正気に戻したかった。

「うぐっ、うぅ」

 しかし、他者と交流する経験に乏しい少年に、怒る者をなだめる発想は生まれない。

 無意識だった。

 だった。

 苦し紛れの行動に違いなかった。

 そこにがある事が当たり前になっていて、コラン少年自身、長らく忘れていた。

 彼は誰にもバレないよう首から下げていたサメ歯のペンダントを握りしめる。


 サメ歯のペンダントがクーリカの偽者の頭に突き立った。

 

 その光景は夢の中でどんな光景だったのか。

 ペンダントを突き立てられたクーリカの偽者は次の瞬間、形を維持する力を無くして、ただの液体に戻った。バシャッ、と輪郭を崩れて溶けた。

 敬愛する姉が消える様を間近で見ていた妹は、眼を見開いて固まっていた。

 力が緩んだ隙に、コランは拘束から抜け出した。

「げほっ、こほっ。た、タロさん」

 声掛けに、タロがゆっくりと少年の方を向いた。

 固まったまま、無の顔だ。

「…………」

「ゆ、夢だったんだ。偽物だったんだよ」

 言い訳じみていた。初めて知った。暴力とは後ろめたいものだった。

 他人を傷つけるとは、自分も苦しいものだった。

 少年の罪の意識を、タロの一言がさらに抉る。

「……どうして、溺れたままでいさせてくれなかったの?」

 そう口にした顔は、今にも泣き出しそうな泣き顔だった。

 どぷんっ

 タロは突然、海に落ちた。足場だった黒い海水が、タロの所だけ硬さを失ったのだ。

「ダメだ!!」

 コランは駆け寄り、海面に腕を突っ込む。

 落ちてゆくタロを掴もうとしたが、その手は冷たい黒い海水をかき混ぜるだけ。

 出来る事は、ただ海の中を見つめる事のみ。

「あ、あぁ……」

 抵抗しないタロは海の底へと落ちていく。

 闇に消えていく。

 彼女の手を掴めなかった事を、向ける先のない後悔を、コラン少年は経験した。

 ただただ、胸が痛い。

「くそぅ」


 彼の手には、サメ歯のペンダントが握られていた。


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港町東側 隠れ家


 遺恨者たちは町を改造する過程で、拠点としていくつかの隠れ家も作った。

 それらは単に家屋を流用するような物ではない。地下を掘り抜いて空間を確保したり、隣り合う建物の壁を壊して外観からはわからない工夫を設けたりと、隠匿性を高めて物資を隠す本格的な隠れ家としての機能を持つ。

 その隠れ家は、外からは普通の家屋に見えるが、一室の床下に地下への入り口を隠しているタイプであり、食糧や武器の貯蔵室まである場所であった。

 地下に設けられた一室がランプの灯りに照らされていた。

 ほのかな明かりの中、玉のような汗を服で拭ったベローナが近くの樽に腰掛けた。

「ふぅ……地下は湿気が高いな」

 彼女の頬は火薬の黒で汚れていた。先程まで、壊された銃の手入れをしていたのだ。それもひと段落して、今は他の気掛かりに目を向けた。

 彼女の目線の先――部屋の奥に、樽を並べて布を敷いただけの簡易ベッドがあった。

ベッドには、コラン少年が寝かされている。

 少年はたまに苦しげな呻きを上げた。

「……どうしたもんかな」

 作業を終えた疲労か、少年の容態を杞憂してのことか。ベローナは溜息を吐いた。

 

 事は少し前に遡る。

 怪物の腹心ラヌと遭遇してしまったベローナだが、狩人姉弟によって難を逃れた。その後、彼女は少年を隠すための布と壊された銃の整備のため、すぐに近場の拠点へ向かった。

 拠点に着いたタイミングで、少年は意識を失い、高熱を出した。

 医療の心得がないベローナでは、ただ安静にさせることしかできなかった。

 ベローナが知る由もない事だが、少年が意識を失ったのは、黒い海水が地上に現れたのと同じタイミングだった。

黒い海水の活性がコラン少年の不調に関連があるのだ。

 とにかく、少年が倒れたことでベローナは拠点に足止めを食らう羽目になった。


 ベローナは少年の額に乗る布を、濡らした布と取り替える。

 べちゃっ。多分に水気を含んでいるせいで少年の顔が濡れた。

「こんな感じ、だったよね…」

 手当や看病に慣れていないベローナは自信なさげに何度も頷いて、自分を納得させた。そして、また樽に戻って今後の作戦を練る。

(やっと昼を過ぎた。これで時間稼ぎは十分だ。サラニカなら船の準備は出来てるはず。後は、私がこの子と港に辿り着けたなら囮作戦は成功、次の作戦に移れる。けど、この子の状態的に厳しいか?)

 考えに耽るベローナは近付いて来る音にも気付かない。

(いっそ指でも切って怪物の前に晒すか? 死体を探させて更なる時間も稼げるし、怒った奴は必ず島まで追ってくるだろう)

 別のランプの明かりが部屋の壁に二重になった影を映す。

 伸びた影で気配に気付いたベローナは振り向いた。

「やっと戻って来てくれた。待ってたよ、クーリカ」

「そうなの? …ねえ、ちゃんと看護の続きはやってくれたんでしょうね?」

 クーリカはランプを部屋の奥に向ける。

 目を細めてつぶさに少年の様子を探った彼女は、ずぶ濡れになった哀れな少年の姿に溜息を吐く。

「ちょっと、布はちゃんと絞ってって言ったでしょ」

「そう…だったっけ?」

 もう、と言ってから、クーリカはそそくさと少年の傍に寄って濡れた顔を拭く。

 クーリカのパートナー、オウチョも部屋に入ってきた。

 先程のやり取りを聞いていた彼は軽く笑い、ベローナに追い打ちをかけた。

「仕方ないさ。ベローナはよりに気を割かれていたんだ。君の注意事項はそれよりも聞き取りにくいものだったんだろう」

「素敵なフォローをどうも」

 周りは敵ばかり、とベローナは肩を竦めた。オウチョはリーダーの拗ねた様子に笑った。

「珍しい。ベローナが困ってる」

「遊んでないで。オウチョ」

 それなりにきつい口調でクーリカがオウチョを急かした。

 彼の手には、彼が作った料理が握られていた。

 その料理は、この地方でポピュラーな家庭料理である。別の地域の料理で例えるなら粥のようなものだ。小麦で作った生地を細かくして、干し肉や木の実と合わせて牛乳で煮る。子供でも食べやすい料理の定番なのだ。

 看護し続けているクーリカに、オウチョは軽食を渡した。

「ほら、食事よ。食べて…」

 彼女は手慣れた様子で看護を続ける。もう周りのことも見えていないのか、ベローナが少年の様子について尋ねても無視するぐらいだ。

 同じように蚊帳の外扱いを受けるオウチョがベローナの傍に戻る。

「ここは彼女に任せよう。少し、話がしたいんだ」

「わかったわ」



港町西側 とある家屋の一室


 動物などに荒らされていない家を見付けたトワは、数ある部屋の中から比較的状態の悪くない椅子を見繕い、その脚をしげしげと観察する。

 やがて、うんと頷いた。

「適当に待ってて」

 と言われ、ガルゴは近場の椅子に座った。

「なあ、おい。どうして杖を作るんだ?」

「お前用に決まっているでしょう」

 仮面女が何故そんな事をするのか理解できないガルゴは首を傾げた。

 バキッ

 椅子の脚が一本折られた。

「黙ってなさい。気が散る」

 そう言うと、トワの尻尾がひゅるひゅると動く。骨がナイフのように尖って露出している尻尾の先を持ち、トワは椅子の脚を削り始める。

 未だに警戒するガルゴは渋い表情のまま、ちらりちらりと盗み見る。

 そんな視線を気に留めず、トワは黙々と削り作業を続けた。

 シュッシュッ

 シュッシュッ

「…どうして、そんな手慣れてるんだ。大工仕事は女の仕事じゃないだろ」

 トワの手が止まる。

「女って。怪物だって思っているんじゃなかったっけ?」

「う、うるさい!」

 仮面女の裸姿を思い出し、ガルゴは赤面してそっぽを向く。

 トワは作業に戻りつつも、若者の質問に答えた。

「小さい御屋敷に居たの。管理も仕事の内よ」

「手際いいな」

 若者の指摘に気分を良くしたのか、トワは楽しげに語る。

「穴の開いた床や虫に食われた階段、古時計や沢山の家財道具諸々を管理していたのよ。修繕のために何度も大工仕事をやったわ。こんなの手慰みよ、手慰み」

 彼女は自慢げである。

 一人で冒険家夫婦の屋敷を切り盛りしていたトワにしてみれば、家財の修繕は手慣れたもの。由来不明の財宝類や世界各国の家財道具の修繕に比べれば、椅子の脚を加工するのも造作ない。

 話しながら、削ったり彫ったりと杖作りを進めていた。

「手でやると細かな調整もできる。何より気持ちがこもる。結構好きだったの」

「……」

 ガルゴは惑う己を自覚する。

 敵かどうか見定め中とはいえ、怪物と割り切って接しようとしている相手のこんな姿を前に、自分の考えが揺らいでしまいそうになっていた。

「……お前、本当に敵なの――」

 最後まで言い切る前に、トワが声を上げた。

「できたわ」

 そう言うと、杖を目の高さに持ってきて、削りの甘い所を探るトワがガルゴに言う。

「少し歩いてもらうわ。違和感があるなら調整する」

「お、おう」

 杖がガルゴの手に渡った。言われた通り、ガルゴは杖を使って部屋の中を歩き回った。

「お、ぉぉ…」

 最初は慣れない杖にぎこちなかったが、トワの指示もあって、段々と歩くペースが上がってもよろけずに歩けるようになる。

 試運転が終わり、またトワが杖の調整を始めた。

 ガルゴが疑問を口にした。

「なんで、こんな事をするんだ? お前に何の得がある?」

「別に。ただ、気になっただけ」

「訳が分からない。お前は島の怪物だ、町の人間を殺す存在なんだろ」

 思い切った質問だが、トワに応える義理はない。ただ、黙っていた。

 若者一人に自分を認めさせた所で、彼女には大した得もない。

 むしろ、この若者はコランを探す邪魔になりかねない。

 そう割り切ろうとした。

 けれど、

「私は、もう島を捨てたのよ」

 若者のわからないモノと向き合おうとする気持ちに、トワは応えたかった。その気持ちこそが、自分を救ってくれたものだったからだ。

 しかし、それ以上の過去は口にしなかった。

 代わりに、島を出た後の楽しい記憶について語った。

「大工仕事は毎日増えていくの。こっちは一個ずつしか片付けられないのに、毎日二個以上壊れていく。家事もやらなくちゃいけないから、文句を言う暇も無い。寝なくてもいい体質だったから、夜なべしてやったわ」

 思い出しながら語り、尻尾を扱う手も止めない。

「毎日コツコツと慣れない大工仕事をやっていたら、子供椅子を作れるぐらいになった。作る喜びっていうのも知って、何でも作るし直すようになったのよ」

 はい、と杖の調整を終えたトワが再びガルゴに杖を渡す。

 調整された杖は足元に廃材で補強が施されていた。それはガルゴの足の長さに合わせた調整だった。

「長年の癖ね、良い方に傾く癖が付いていた。足の長さも違うみたいだから、それにも合わせたわ。杖から先に動かす、それを忘れなければ転倒を防ぐ助けになる」

 結果に一番驚いたのはガルゴだ。トワの忠告通りに杖を使えば、足のせいで倒れるなんて事が二度と起きないような気さえした。

 杖の出来に満足なトワが作業中に出たゴミを癖で片付ける。


(どう、この怪物と接すればいいのだろうか)

 長年の悩みだった己の足に、歩きやすいという自由を与えてくれた。この自由に喜びを感じていた。

 宿敵に助けられたのも、感謝を抱いているのも、どの感情も簡単には飲み込めない。

本当に怪物が敵なのか、仮面女が敵なのか。

 確かに揺らぎ始めているのを改めて、ガルゴは自覚した。

「……話すよ、あの少年のことや俺たちがどうする気なのか」

 彼は杖の感謝として、少年について話す事に決めた。


    ✕            ✕

 

 海に面した町である。そこに暮らす人々は高波を恐れ、地下に避難場所を作る方法を子孫に伝えている。

 遺恨者たちが作った地下の隠れ家も、元はそういった知識に拠るものだ。先人たちの知恵を借り、隠れ家の貯蔵室は大きく頑丈に作られている。四隅や角を木材で補強し、土が崩れて来ないよう《均(な)》され、さらには海藻と泥を混ぜた壁で一枚層を作っている。ここには保存食、武器、火薬等が何でも保管されていた。

 貯蔵室の中程でオウチョは立ち止まる。

土壁に触れ、後ろのベローナへためらいがちに目線を向けた。

 その姿はクーリカと居る時の、自信をもって胸を張る強気な感じとはまるで違う。自信なさげに背を丸め、怯えていて落ち着きがない。この姿こそ、ベローナが見慣れているオウチョの姿だった。

「その…ご、ごめん」

「謝られても困るよ。友人としては、良かったと思うもの」

「……友人か。君は止めるかと思ってた。クーリカは君の親友だと思ってたから」

 言葉を口にしながら、彼は相手の様子を探るようにベローナをチラチラと見る。少しでもリーダーの機嫌が悪くなれば、きっと彼はすぐに言葉を止めたのだろう。

「ぼ、僕はほら、こんなだからさ。海賊になっても役立たずだ。皆みたいにやれないし、船に酔うし、料理しかしてこなかったから……」

 話しながら、オウチョは指先が濡れるような感触を感じる。黒い液体で汚れていたので、服で拭った。

「漁で得た戦利品で作る君の料理が皆好きだったよ」

「そ、そうかい。君にそう言ってもらえて嬉しいよ」

 少し黙った後、オウチョは本音を話した。

「僕は情けない男だ。戦う事も出来ないし、今も海賊の君が怖くて怯えてしまう」

「仕方ないよ。私は誰よりも人殺しだもの」

「正直、クーリカが君より僕を選んでくれた理由もよくわからない。彼女はずっと、君の親友で一番の信奉者だ。遠くから見てるしかないって諦めてた」

「酔った勢いで告白したくせに」

 ベローナがからかうと、オウチョは耳を真っ赤にした。

「と、とにかく! 僕は情けない奴だけど、き、君に負けない男になって彼女たちを守ってみせる!」

 オウチョは覚悟を叫んだ。クーリカにこそ言わなければならない、と彼は思っていた。

「……ビックリ」

 彼は弱い、とベローナは評価していた。それを悪いとも判じないし、仲間に優劣をつけて見た事は断じてない。

こんな事が出来る奴じゃないと思っていただけに、ベローナは心底驚いたのだ。

当の本人のオウチョは気持ちが高ぶっているのか、混乱しているのか、後々恥ずかしくなる発言を続ける。

「き、君がダメだって言ってももうダメだぞ。絶対に渡さないからな。ぼ、僕が一番彼女を幸せにできるんだからなっ」

「わ、わかった。わかったから」

 腰の引けたファイティングポーズまで取り始めたオウチョ。ベローナは笑いを堪えるのに必死だった。

 しばらく二人は、本人に聞こえないのを良い事に、自分が知ってるクーリカの自慢話を続けた。

 落ち着きを取り戻したオウチョが自分の醜態に悶絶している。

 ベローナは笑いを堪えすぎて涙目になっていた。

「はぁはぁ……ふ、いひひ。ひ、久々に面白かったよ」

「穴が在ったら入りたい……」

「はあぁ。そろそろ戻るよ、愛しのクーリカばっかりにあの少年を任せる訳にはいかないし」

「や、止めろよ」

 からかうと、その度にオウチョは悶絶した。それが面白くて、ベローナはからかうのをやめられなかった。

 何度か同じやり取りを続けた後、彼女は少年とクーリカがいる部屋に戻った。


 

 ベローナが部屋に入ると同時に、部屋を出ようとしていたクーリカとぶつかった。

「きゃ」

 倒れそうになるクーリカを咄嗟にベローナが掴む。

「あ。だ、大丈夫?」

「う、うん。あ、それよりも!」

 大変だ、とクーリカは言葉と同時に部屋の中を見た。

 ベローナも中を覗けば、例の少年が身を起こしていた。目が覚めたのである。

「起きたの!? いつ!?」

「ついさっきよ。だから、急いで呼びに行こうとしてたの」

 二人は連れ立って少年の傍まで行く。

 汗をかいていたせいで少年の柔い肌に服が張り付いていた。まだどこかぼうっとした様子で、少年は周囲をゆっくりと見回していた。

 ベローナは抜け目なく警戒を強めたが、クーリカは心配する一心で少年の肩に手を添える。驚かせないよう目線を同じ高さにして、優しく声を掛けた。

「ねえ、大丈夫よ。すぐに起きなくていいのよ」

 コラン少年は傍にいる彼女の顔を見て、大きく眼を見開く。

「クー、リカさん……?」

 見ず知らずのはずの少年に名前を呼ばれたクーリカも驚く。

「どうして、私の名前を……」

 クーリカが言い終わる前に、コラン少年が彼女の腕に縋りついた。

 思わずベローナが銃を手に取る。クーリカは感情が昂ぶっている少年を落ち着かせようと、子供の肩を優しく撫でる。

「お、落ち着いて。ここは安全よ」

「ち、ちがう。ちがう、ちがっ。間に、合わ、な、ぐっ」

 少年は泣き出していた。大粒の涙を流しながら、途切れ途切れに何かを言おうとしていた。

 困り眉になったクーリカがベローナを振り返る。ベローナもどうすればいいかわからない。危険はなさそうだと判断し、銃を置くぐらいしかできない。

 何故、目覚めたばかりのコラン少年がクーリカを知っていたのか。何故、泣いているのか。彼女たちには何もわからなかった。

 そして、コラン少年の発する別の名前がさらに混乱を呼ぶ。


「タロさんを、見殺しにしちゃった」


______________________

 

 ガルゴは遺恨者たちの計画について語る。その計画にコラン少年がどうして必要なのかも。

「怪物が生まれた島で怪物を殺す。その為の切り札があそこにあるんだ。あの少年は、怪物を島まで誘導する餌だ」

 遺恨者たちは怪物を殺せる手段を持っていた。それが何かであるか、ガルゴは語ろうとしない。あくまで、少年の役割についてだけ話す気のようだった。

「俺たちは怪物に家族を殺され、人生を狂わされた。呪われたんだ。だから、怪物を倒して呪いを解かなきゃ、俺たちや町の未来はないも同然だ。けど、怪物の事を何も知らなかったんだ」

 彼らが言う怪物とは、白い怪物レディの事である。

 レディは当の昔に島や町を捨てて、解呪の方法を探しに世界へ出てしまっていた。しかも、彼女はその長命と呪いの力で裏社会の実力者となっていたのだ。

 彼らがそんなレディの事を知る手段はない。

「武器を揃えて、罠を張り巡らせても、怪物が来なくちゃ意味が無い」

「なら、どうして無駄な事に時間を費やしたの?」

「怪物が戻って来るって預言してくれた。しかも、怪物は子供を連れて来る。その子が怪物にとっての宝だって。カテリーナ婆ちゃんがそう言ったんだ。俺たちはそれを信じた」

「カテリーナ……」

 かつて、コラン少年が産まれた時に出産を助けてくれた産婆である。トワにとっても、ある意味恩人と言える人物だ。

 ガルゴは続ける。

「実際に怪物が子供を連れて戻ってきて、その子供に執着してるとわかった時は運が向いてきたと思ったよ。あの子を使えば、怪物は必ず俺らを追ってくる。……預言は正しかっただろ?」

 お前だってそうだろう、と言わんばかりにガルゴが仮面女を見た。

 その通りである。怪物であるレディもトワも、コラン少年の為に因縁の地に戻ってきたのだから。

 けれど、トワは呆れて肩を竦めた。

「相手に弱みを用意してもらうなんて、計画として破綻しているわ」

「そうか? けど、成功したぞ」

 若者は自慢げだ。言う通り、間違いだとしても成功したのだ。

 話を聞いていたトワは若者たちの気持ちを少し考えてみた。

 いつ来るかも、本当に来るかもわからない存在のために十年も生きて町にしがみ付いた。

(……わからないでもない)

 島で一人で居た時間は、自分も同じようなものだったのだろう。

 いつ来るか、本当に来るかもわからない救い主を求めて。ただ、待ったのだ。

 自分なら若者らの気持ちがわかってしまう故に、その執念に末恐ろしさも覚えた。

「計画は進行中だ。あの子供は間違いなく生きてるし、島に連れていかれる筈だ」

 話を聞き終わったトワが疑問を口にする。

「島に連れて行って、怪物がやってきたとして、子供はどうするつもりなの?」

 言い難そうにガルゴは口を開く。

「……あの子供は餌だ。獲物が食いつくまで餌は必要になる。俺たちにとっちゃ、それだけだ」

 彼らにとって、これは漁なのだ。獲物は怪物、餌はコラン少年。漁や釣りで大事なのは獲物であり、針に引っ掛け吊るされた餌が獲物が食いついた後にどうなるかは重要ではない。

 そして、餌の運命が想像に難しくない。

 トワの尻尾がワナワナと震え出す。

「つまり、あの子が死のうが知った事じゃないって事でしょ?」

「……ああ」

 バゴンッ

 怒り任せに振るわれた尻尾が床板を砕いた。

 息を荒くするトワの手に鱗が生えていく。昂る感情のせいで呪いの力が発動していた。

 ガルゴは明確に、自分が死地に居る事を感じた。答え方を誤れば、怒りに狂った尾の鞭で床板の二の舞になるのは確実だ。

 怪物の問いは一つ。

「あの子は何処だ?」

 身体の芯から震える。ガルゴは目の前の存在が怪物であると、改めて思う。

 そして、彼は思う。

 自分は戦えない。何もできない。

 ならば。

 せめて、勇気を振り絞ろう。

「知らない。けど、あの島に必ず来る」

 若者は嘘偽りの無い言葉を答えとした。

 釈然としないものはある。しかし、怪物は低い唸りを上げていたが、やがて恐ろしい威圧感を潜めた。尻尾も落ち着き、肌も元に戻った。

「あの子は……大事な子なの」

 どこか疲れたようにトワは壁にもたれかかり、その場にへたり込んだ。

 傾き始めた日が彼女の眼元を照らす。

 外の音と揺れが彼女の耳に届いた。


 それは、砲撃の衝撃だ。

 

______________________


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回更新は来週の金曜日です。

お待ち下さい。

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