Ⅵ 海辺の町で私たちは出逢った
晴れた空、朝日が町を照らしていた。
風も海も穏やかで落ち着いて、洗濯物も乾きやすそうだし、暖かな陽を浴びてのんびりと呆けて過ごすと気持ちよさそうな一日の始まりだった。
特別でもなんでもない良き日。
暖かいという喜びは、自然と人の心を穏やかにする。
大いなるものからの祝福のような朝日が、誰もを心地よさに誘い、陽を浴びる間だけは生きる上でのあらゆる苦境を忘れさせる。
今日という一日が良き日になる。
それが幸福を望む心が見せた、まやかしだとわかっていても。
ただ、願う。
こんな日が、また来ればいいと。
✕ ✕
早朝 港町南部
町は半月状かつ鉢のように中心ヘ向かって下っていく地形に出来ていた。中心点が港なので、町の端に立てば海と港を一望できた。
町の南端には、近隣の町に通じる街道へと出られる玄関口がある。
境界を明確にする門のようなものがある訳ではなく、ただその場所が町の端であり、町と街道の切れ目になっているだけで、自然と町の玄関口と認識されている場所。
そこに一人の男が立ち、町と海を眺めていた。
自分の知る頃の故郷とは空気が違うと、海と港をを眺めるラヌは思う。
今は早朝、町全体が起き始める時間。
普通の港町なら、漁師たちが網や漁の道具を船に積み込んだり、女たちが朝餉の支度をしなければならない時間帯だ。
自分が居た頃のこの町もそうだった。
だが、今は町のどこからも仕事の喧騒は聞こえて来ない。
朝の陽気の中、息苦しい静寂が町を覆っていた。
「……」
ラヌはぼうっと町の方を眺めながら、たまに街道の方へ視線を移す。
彼は町と街道の境界で、外からやってくる筈の連絡係の部下を待っていた。
レディの付き人をしていると、刺客や敵意ある集団から襲われる事が多くあり、自然と脱出経路や周辺状況の確認などをする癖が付いた。
その癖と殺されかけた因縁を思えば、部下を使って入念に現在の故郷を調査させるのは当然であった。
既に緊急時の避難場所と安全ルートは頭に叩き込んである。
後は、部下が町や周辺に潜在する敵性存在の有無を確認し、その報告を受けるだけで良かった。
当初の予定は想定外の原因で狂った。
「レディが助けを求めてきた時は何事かと思ったが……」
その時のレディの狼狽ぶりを思い出すと、愉快で仕方ない。
頑固者のレディが焦っているので、とんでもない事態が起きているのかもしれないと想定していた。
それが、子供の体調不良でどうすればいいかわからなくなっていただけとは思わなかった。
「まさか、この町で子供の世話をする羽目になるなんて。無くしたものを取り戻したみたいな気分になるな」
偶然の産物とはいえ懐かしい気分になれたと、昨夜の事を思い出して小さな笑みを零すラヌ。
「レディに目を付けられ、トワに育てられていた子供……訳アリ女に好かれやすいのかね」
少年はレディに名前を隠しているらしい。
理由が気になるが、レディは気にしていない為、自分で少年から聞き出すしかない。
そっと顔の包帯に触れる。
「目を覚ましたあのガキと会うなら、この顔は隠しといた方がいいよな。ガキに見せられたもんじゃない」
ふと、少年の前に現れる仮面女と包帯男の組み合わせを想像し、大道芸人のようだと内心で自嘲する。
ラヌは街道の方を見やる。
部下とはこの時間にこの場所で待ち合わせをし、報告を聞く約束になっていた。
しかし、時間になっても部下は現れない。
「……ふぅ」
深く息を吐き、もう少し待ってみようと構える。
その時点では、ラヌは気付かなかった。
足音を殺して背後に近付いていた人影が、棒状の物を振りかぶる気配に。
ガコッ――
後頭部を殴打した鈍い音がして、バタリッとラヌは倒れた。
ラヌを襲った坊主頭の男は血が付着している木槌を握り直した。
坊主頭の青年は遺恨者たちの一人で普段は町の大工仕事をやっている。武器にしている木槌は使い慣れた仕事道具だ。
早朝に包帯の男が単独で宿を離れた折、ベローナは仲間たちに監視の指示を出した。可能な限り拘束を試み、無理ならば殺すようにと付け加えて。
坊主頭の男が首を押さえて、素直な感想を言葉にする。
「呆気なかった。やっぱり俺は仕事が出来る男だ」
そう言った坊主頭の男は近場の家の影に視線を向けた。
すると、建物の影に隠れていた監視チームの仲間が姿を現す。
漁で使う弓で武装した小柄な男と槍を携えた女。二人とも普段は狩人をやっているので、偵察や監視において仲間から信頼されている。
二人は坊主頭の男の傍にやってくると、倒れている男を見下ろした。
槍の石突で包帯の男を突き、女が呆れまじりの溜息をもらしてから口を開く。
「どうやって捕まえるかって相談の途中でいきなり殴りに行く? 私たちの意見に従えって言ったでしょ? 耳ないの?」
「ハハ、仕事が出来る俺は大工仕事以外も上手かった。それだけだ」
「出たよ、謎の慢心が。ホント意味わかんない。拘束が目的なんだから、まずは足でしょ、次点で腹よ。最初に頭殴るって、死んだらどうするつもりだったの。つうか、死んでんじゃない?」
喧嘩している二人を他所に、小柄な男が縄を取り出す。
狩人仕事と漁用網の修繕などを生業にしているこの男は手先が器用で、スルスルと包帯の男を拘束した。
「……よし。まあ、結果的に拘束できたからいいじゃないか。変に抵抗されても厄介だったし、得体の知れない男だ。これで良かったと思うよ」
「俺は仕事を失敗しない男だからな」
小柄な男のフォローの甲斐なく、得意げな表情を浮かべる坊主頭の男によって女の機嫌は更に悪くなった。
それに対して、女が口を尖らせる。
「アンタは全部が全部、雑すぎんの」
女は包帯の男を見下ろした。
「あの仮面女が島の呪いを受けた女なのか聞き出さなきゃいけないのに。じゃないと、ベローナだってアレを使う決断ができない」
「……別に使ってから考えればいいのにな」
不満を吐き捨てた坊主頭の男に向かって、女が苛立ちを隠さず指を突き付ける。
「ベローナはアンタと違って雑じゃないの! いい? 私たちは呪いと戦うんであって、人を殺すなんて嫌な事をやりたい訳じゃないの」
「ふん。俺はどっちでも構わないがな。町を守る為なら、呪いなんて関係無く、よそ者は殺すべきだろ」
坊主頭の男の言葉に女が吠える。
「それは無しだって、皆で何度も話合ったでしょ!」
更に食い下がろうとする女の間に小柄な男が割って入った。
「どうどう……。落ち着いてくれ、ソピン。町の守り方については皆考えてる事がある。けど、ベローナの掲げる呪いに勝つって想いは皆一緒だ。そうだろ、フォス?」
坊主頭の男は小さく頷いた。
それを見て、女も渋々納得して言葉を飲み込んだ。
二人の間を取り持った小柄な男は話題を変えようと言葉を紡ぐ。
「こいつをどうしよっか? 昨日捕まえた余所者を監禁してるのって確か酒場だよね。気付けになる酒があるんじゃないかな?」
女は舌打ちした。
「酒場はこっからだと少し掛かるわね。誰かさんが気絶させたせいで、この男を抱えて下るのとか凄い面倒そうね」
文句と共に坊主頭の男を睨む。
喧嘩したばかりなので、流石にバツが悪い男は視線を逸らした。
「……上は俺が持つ」
「へえ、上だけ?」
「……わかったよ。俺が運ぶ」
「乗った」
「僕も賛成」
すかさず小柄の男まで女の味方をし、気絶している包帯の男を一人で運ぶ事になった坊主頭の男。
「おい、お前には手伝い頼むつもりだったのに!」
「やなこった。お前がやっちまったんだから一人で運べ」
槍の女と小柄な男は仲間を置いて道を下っていく。
坊主頭の男が荷物運ぶみたいにラヌを担ぎ上げて、焦って駆け出した。
最悪の揺れの中、ラヌは腹に圧迫感を感じながら薄目を開く。
拘束された時点で既に覚醒していた。
木槌の不意打ちは食らったが、自分は痛みには強い耐性が出来ている。
とはいえ、後頭部にズキズキとする痛みが残る。傷は浅くない。
自分の状態を冷静に精査し、結論を出す。
――問題は無い。この程度じゃ死なない。
頭の痛みを無視して今後の行動方針を考える。
会話から酒場に向かっているのは知っているが、念の為に周辺へ視線を巡らせて、
自分の記憶にある道と合致するか検める。
――真っ直ぐ酒場に向かってるな。少しは遠回りをすればいいものを。
――よほどレディの方に向かいたいのか。さて、狙いは何だろうな。
――リーダーらしき名前を口にしていた。ベローナ。その名前が確かなら、目的はヤニスの復讐か?
孫娘の名前を聞き、自分の恩人でもあり自分から大切な物を奪おうとした男の事を思い出す。
ヤニスはレディに殺されている。復讐という目的があるのかもしれない。
ラヌはすぐにこの推測を否定する。
その事実をこの町の人間が知っているとは思えないからだ。
レディは自分を見つけて、町に向かう前に立ち去った。町の人間がヤニスらを殺した相手を、知りもしないレディだと思う筈がない。
ならばと、自分がかつての裏切者だとバレた可能性を考察する。
町に入った時、この包帯だらけの顔を見てラヌだと気付いた誰かが居た。
あるいは、店でオレンジを購入した時に誰かが傷で掠れ声となった自分に気付いたのかもしれない。
自分が本命であり、レディたちは仲間だと思われて、狙われているのではないか。
――……無いな。昨日町に入ったばかりの俺よりも、レディの方が目立つ筈だ。
やはり、レディが狙いであろうと結論付ける。
仮面を付けた女。
その姿は十年前のトワを想わせる姿だ。
ただそれだけの根拠で、呪いに関わると決めつけて、自分を含めて彼女たちを襲うとしても不思議ではない。
――実態が解らない。探る為には飛び込むしかない。
気にかかるのは人数だけではない。
ラヌが気絶していると勘違いした彼らが話していた内容にも、引っかかるフレーズがあった。
――こいつらは呪いが相手だった場合、何を持ち出す気だ?
――妙に自信があるように聞こえた。
――それがあれば、呪いに勝てるとでも言っているようだった。
自分を含めてレディもそんな切り札となる物を知らない。
ラヌが反撃を止めたのも、彼らが頼りとしている物の正体を探るのが目的だった。
「……」
胸に嫌な予感がある。
予感の正体を探れば、それは彼らの自信に不安を感じているのだと解る。
本当に、呪いに勝てる物があるのだとしたら。
――まさかな。
不安を払う様に不要な想像を否定する。
呪いを解く方法は一つだけ。
愛の証明――呪われた女と口づけを交わす事。
その代償として、口づけた人間が死ぬとしても。
愛が女を救う。
自分は、トワを呪いから解放する。
生き続ける苦しみから解放してあげなければならない。
愛するトワの為に。
命に代えても。
その方法がどんなものであれ。
✕ ✕
宿 レディの部屋
部屋の扉がノックされ、控えめな女の声がする。
「宿の者でございます。お部屋の掃除に参りました」
椅子に座っていたレディはすぐに答えず、ベッドの方を見た。
少年がまだ起きていない様子を認めると、返事をどうするか決めた。
「結構よ。朝食も――」
「……ううん」
呻き声が上がった。
レディは愛しい少年が身を起こしている姿を見て、安堵に胸を撫で下ろす。
調子が良くなった自分の身体を見下ろすコランは空腹に顔を歪め、飢えを訴える腹部を押さえた。
「……お腹空いた」
「そ、そうよね! 待ってて、今用意させるから」
すぐにでもコランの下に駆け寄ろうとしていたレディは慌てて方向転換して、扉の方に向かう。
自分を心配して慌てるレディの姿を見たコランは、この人も焦ったりするんだ、と妙に落ち着いて観察していた。
次いで、自分の状態も気になった。
「倒れたのに……お腹は空いたけど、身体が楽だ」
ベッドの周辺を見ると、サイドテーブルに切り分けられたオレンジと濡れたハンカチがあった。
自分が体調を崩した時にトワが看病してくれた事を思い出す。
同じように誰かが自分を看病してくれていたようだ。
「あの人がやってくれたの?」
コランはレディの方を見やる。
自分の為に気を揉んでくれるレディ。その姿は、自分を守ろうと大事にしてくれていたトワの姿と重なる。
レディは大事なトワを傷付けた相手。その事を許す気にはなれない。
――彼女は呪いが解きたいだけ。僕はその生贄にされる。
だから、彼女の告白は自分を懐柔する為の方便だと、そう想おうとしているのに。
どうしても、コランはレディが向けてくれる気持ちが嘘だと想えない。
屋敷で何度も話した時も一緒に旅をした数日も、本当に楽しそうだったから。
外の世界を一緒に過ごす時間が、自分も楽しかったから。
――僕は……どうしたらいいんだろう?
――トワとレディ。呪い。僕はどうしたいんだ……?
屋敷でトワに守られ続けて、レディに外の世界に誘われて。
思えば、自分は流され続けて遂には呪いの運命が始まった町に居る。
何一つ自分の意思で選んだ道を歩んでいない。
気を失う直前、消えかかる意識の中で誰かに縋るしかなかった。
両親との約束を果たそうとしたトワ、呪いの運命から解放されたいと願うレディ。二人に比べれば、他人に流されて縋る生き方はカッコ悪いと思う。
自分はあまりにも子供だ。
未熟な自分を痛感し、コランはシーツを握りしめた。
扉の前に立ったレディは、その向こうに居る筈の宿の人間に指示を出していた。
「さっきのは取り消すわ。掃除は結構だけど、早く朝食を持ってきてくださる? 一人分で構わないから」
「左様ですか。既にお二人の朝食をお持ちしているので、片方だけご用意いたします。お部屋に入っても?」
「ええ、構わないわ」
レディの言葉の後、部屋の扉が開く。
キィィ……。
バンダナで髪をまとめた女が目線を下げて、トレイを持って扉の前で待機していた。トレイの上にはパンと果物が乗っていた。
宿の女はレディに一礼した後、部屋の中に歩を進めた。
「待って」
レディが女を呼び止める。
女は振り返り、首を傾げた。
「ベッドに、あの子が食べやすいように用意してあげて」
女はコランの方を見て、状況を確かめた。
コクリ、と頷きを返す。
「承知しました」
そう言うと、女がベッドの傍にやって来た。
コランはトレイを持って立つ女を見上げる。
女の服装は貧相で、所々に別の布で穴を塞いだ跡がある。細やかな生活の知恵が見えた。
そういう所に、トワとの暮らしを思い出させる生活の香りがした。
だからか、宿の女をとても好意的に感じたコランは感謝の言葉を素直に口にする。
「ありがとう」
すると、女は動きを止めてコランの顔を見つめる。
そんな事を言われると思っていなかったというような、驚いた表情をしている。
「……君を殺すのは嫌だな。止めた」
「え?」
突然、宿の女はそんな事を口にした。
コランは言葉の意味がわからず、首を傾げるしかなかった。
だが、すぐに行動を起こした人物が二人居た。
レディと当の本人――ベローナだった。
宿の従業員になりすましたベローナに向かって、尻尾で床を弾いたレディは跳躍する。愛しい少年に危害を加えんとしていた女を引き裂こうと腕を振りかぶる。
だが、ベローナは爪が振るわれるより先に、コランを腕に抱えて盾にした。
「うわっ!?」
「ッ」
レディの動きが止まる。
ベローナは隠していたナイフ取り出し、ゆっくりと切っ先を仮面の女に向ける。
「お客様。お部屋で暴れられては困ります。……なんてね」
「少しだけ、ほんの少しだけ時間をあげるわ。今すぐに、その子を離しなさい」
「あぁ……こっわい! ふふ、ハッキリした。確かに恐ろしい。アンタ、やっぱり怪物なのね? そうなんでしょ!?」
静かに怒るレディの殺気に恐怖を感じていると言うのに、想い人に出会えたような歓喜の声を上げて目を見開いたベローナが叫んだ。
レディは毒の息を吐く事も考えたが、回復したばかりの少年をおもんばかって止めた。背筋を伸ばして小首を傾げた。
「猶予は減ってるわよ?」
「逢いたかった、本当に。私、貴女を殺したかったの」
「奇遇ね。私も今、とてもアナタを殺してやりたいわ」
凄みを放つ怪物と人間に挟まれて、コランは両者の顔を交互に見やる。
冷や汗をかくコランを安心させようとレディが言葉を掛ける。
「大丈夫よ、ボク。すぐにその不埒な女から助けてあげる」
「あ~らら、言ってくれるわ。そんなに大事なんだ、この子供」
怪物の反応を見て、ベローナは少年に興味を持った。
「君、驚いてないよね」
「な、何がだよ」
「さっき、あの女は人間にはあり得ない動きをしてた。ほら、手袋を突き破って爪も飛び出してる。加えて私が怪物って呼んでも驚いた様子もない。知ってるんだね、彼女の正体を。君は」
「あ、あなたは何者?」
「私はベローナ。怪物に家族を殺された遺恨者たちのリーダーをやってるわ。呪いに打ち克つ為に戦う者よ」
「戦うだって? 駄目だ、死んじゃうよ!?」
コランはトワとレディの壮絶な戦いの光景を想起し、リーダーを名乗るベローナという女に警告した。
しかし、当のベローナは不敵に笑ってみせる。
「無理な相談ね、少年。戦うって決めてるから」
「……」
強い精神力を感じるベローナの言葉が、コランはカッコいいと思った。
対して、レディは女の言葉に怒り心頭と言わんばかりの殺気を溢れ出した。
レディの殺意に呼応して呪いの力が引き出される。
尻尾が伸びてスカートから飛び出し、背中から翼が生える。
「猶予は無くなったわ。もう待ったは無しよ」
「上等よ」
仮面女の怪物じみた姿にベローナも冷や汗を流す。
しかし、更に闘志は燃えている。
レディが一歩を踏み出したと同時、ベローナが叫ぶ。
「任せた!!」
号令に合わせて、部屋の入口から三人の若者たちが侵入してきた。全員がベローナと同じくらいの年齢で彼女と同様に覚悟をした顔をしていた。
彼らは初めて見る怪物の異形に驚いていたが、すぐさま戦意を取り戻す。
全員が弓で武装しており、矢継ぎ早に途切れることなくレディに向かって矢を放rち続ける。
レディは尻尾か翼で弾こうと考えたが、流れ矢が少年に当たる事を危惧して、翼を盾の様に広げて矢の雨を受けた。
「チッ」
「う、うわあ!?」
唐突な戦闘を前にコランは防御姿勢を取って悲鳴を上げた。
対照的に、ベローナはじっと怪物の方を観察していた。
矢を弾く鱗、レディの意思に即時反応する尻尾や翼。敵の情報を少しでも多く得ようと、まばたきすら止めている。
矢は翼の鱗部分に当たれば弾かれ、風を掴む為の薄い部分でさえも貫通する威力がない。仮面の女が警戒しているお陰で、その場に釘付けに出来ているだけだった。
有効打になっていない理由は道具ではなく、人間の方にある。
遺恨者たちは日々訓練を重ねて戦い方を身に着けているが、本来的に戦士ではない。武器の扱いに熟達していない。
普段から狩人仕事をしている人間が居たなら威力の問題は解決できただろう。
だが、部屋に乗り込んで来た者らはあまり弓の扱いが得意でない三人であり、矢に十分な威力を乗せる事が出来ていなかった。
新参の連中に自分への有効な攻撃手段が無いと判断したレディは視線をベローナに向け、翼を盾にしたまま近付いていく。
「殺すわ」
「お断りよ」
ベローナはナイフを咥えて、腰の後ろに手を回す。
服の下に手を忍ばせ、背中に隠していた山羊の皮で出来た小袋を引っ張り出した。
「うっ、何この臭い……?」
嗅ぎなれない野性味のある匂いにコランが顔をしかめる。
「わざと匂いを残した皮だからね」
「なんで?!」
「鼻を潰したいのね」
呪いによって異形化したレディの嗅覚は鋭い。しかし、ベローナの取り出した小袋は皮の匂いもキツイが、彼女の体臭も付着していて、中身の匂いがわからなくされていた。
警戒を抱くレディだが、何よりも愛しい少年を取り戻したい気持ちが逸り、とにかく前進した。
ベローナは小袋をレディに向かって投げつける。
――中身が何であれ構わない。呪いの再生力で押し切る。
レディは飛来する小袋を爪で引き裂いた。
「え?」
何か飛び出してくるかと予想していたが拍子抜けにも何も入っていなかった。
空の小袋に驚いているレディに対して、ベローナは確証を得て頷いた。
「鼻が良すぎるみたいね。検証できてよかった」
「何を……?」
「より強い匂いで隠すのが怪物には有効みたいね。油を使う時は」
ベローナの言葉に胸騒ぎがして、レディは背後をうかがった。
気付かぬ内に、三人の侵入者が放つ矢が油が塗られている物に変えられていた。
自前の翼は矢を弾いても油まみれになっている。
効果の無い連射も矢の警戒を薄くする為。
例の小袋も油矢の匂いを隠す目的の匂い袋。
レディが襲撃者たちの本命は火炙りだと気付いた時、既に背後に立つ三人がマッチの火を付けていた。
「チッ、嵌められたのね」
悪態を吐き、レディはベローナの方を睨む。
ゾクリ、と背筋に悪寒が走ったベローナ。
仮面で見えないが、冷たい顔で殺すと言っているに違いないと直感した。
「火を放って!」
号令と共に駆け出したベローナは、悲鳴を上げるコランを抱えて、部屋の窓に飛び込んだ。
レディは自分の身など顧みず、コランに向かって手を伸ばした。
だが、その途中で背後の三人が投げたマッチの火が油に触れて、一瞬でレディの翼を燃え上がらせた。
猛火が怪物を火炙りにし、部屋を赤々と照らす。
二階の窓から飛び出したベローナとコラン。
自由落下を開始し、コランは落下の感覚に悲鳴を上げる。
すぐにベローナが自分を下敷きにしてコランを抱える姿勢を取る。
地面で布を広げていた他の仲間が二人をキャッチした。
宿の周囲には六人程度の仲間が待機していたらしく、落下して来たリーダーを取り囲む。
「わ……ぁ……ぅぁ……」
初めての飛び降りに言葉にならない呻きを漏らすコラン。
そんなコランを脇に抱えて、ベローナはすぐに立ち上がった。
「ありがと。作戦は成功、すぐに逃げるよ」
「三人はどうする?」
仲間の問にベローナは躊躇なく答える。
「見捨てる。生き残れば、例の場所で会えるわ」
「わかった。昨日の作戦通りでいいな?」
「うん。時間稼ぎ、お願いね」
そういうと、仲間から布を受け取ったベローナがコランも隠れるように、頭からソレを被る。
他の六人も脇に小さな樽を抱えて同じように布を被った。
外見の似た七人が誕生した。
「じゃ、生きてたら例の場所で!」
ベローナのその号令を合図に、七人はバラバラの方向へ駆け出した。
これで追跡の時間を稼ぐ作戦だった。
また流されるままに攫われたコラン。
トワという保護者と離れ、自分を庇護していたレディからも引き離された。
遂に、彼を守るものは全て喪失した。
そして、見知らぬ町の見知らぬ女――呪いと戦う女に強引に連れまわされる。
顔を上げ、命懸けだと言うのに晴れやかな顔で笑っているベローナを見た。
一体自分はどうなるのだろうか、と疑問を抱きながら。
レディ・オブ・ザ・ランドの怪物と呪いに苦しみ続けた町の子孫たちとの戦いが始まる。
__________
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よければ好評価等、よろしくお願いします。
次回更新は4月23日を予定しております。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます