Ⅴ 蒙昧という勇敢

深夜 宿の周辺


 レディの泊まる部屋を、宿の斜め向かいに位置する建物から監視する者が居た。

 現在の港町には不漁の影響で、家主が町を出て遠くへ働きに出ていたり、すでに亡くなっていたり、人が不在の建物が多い。

 そういった家屋を借りて、ベローナの仲間である若者たちが仮面の女と連れの少年を包囲し、監視する環境が形成されている。


 質素な建物の寝室で、一人の痩せこけた男が椅子に腰掛け、木組みの窓から宿の方を見上げている。

 口寂しいのか、皮を剥いた木の枝を噛んでいる。木が苦いのか、渋面を浮かべながら。

 

「……」

 

 痩せた男は先程、見覚えの無い包帯の男が宿に入っていったのを確認し、その人物が敵かどうかを見極めるためにずっと監視を続けていた。

 不意に家の入口の方から足音した。

 痩せた男は音に気付くも、特にそちらを警戒する事無く、それよりも自分の役目である監視を続ける方を選んだ。

 やがて、厚みのある筋肉質な体つきの男が寝室に入ってきた。片方の手にパンを持っていた。


「お疲れ。交代の時間だ、差し入れ持ってきたぞ」

「……ありがと。けど、まだやらせてくれ。僕は皆みたいに動けないから、こういう形で協力したいんだ」


 そう言うと、痩せた男は監視の姿勢を維持しながら自分の右足をさすり、木を強く噛む。苦い風味が口の中に広がる。

 ガタイの良い男は舌を突き出し、嫌そうな表情を浮かべる。


「よく噛んでられるな。苦いだけだろ」

「だから、いいんだ。眠気が飛ぶから」

「はあぁー……爺さんとかにそいつを噛むのが大人の嗜みって小さい頃はよく言われたな。俺は今でも嫌いだ。そういや、タバコとカカオってのも苦いらしいぞ。金持ちも苦いの噛むのが好きなのかね」


 決して手の届かない高級品に想いを馳せつつ、差し入れのパンを窓枠に置いた後、ガタイの良い男はベッドに腰かけた。


「ま、正直ありがたい。漁のために普段寝てるせいか、この時間眠くて仕方ねえ」

「眠ってていいよ。一番デカいお前は大事な男手なんだから」

「おう、そうさせてもらうわ~……」


 欠伸を漏らしながら漁師の男がベッドに寝転んだ。

 すると、寝室の入り口からそれを諫める声が上がる。


「ダメに決まってるでしょ」


 寝室の入り口には、昼間と違い、黄色い布で髪をまとめたベローナが立っていた。

 突然のベローナの訪問に漁師の男が飛び起きる。


「べ、ベローナ!? いや、最初は交代する気だったぞ? けど、せっかくの提案だったし……」

「はいはい。デカい癖にビビりなんだから。もっと堂々としなきゃ、いい奥さんできないよ」

「な!? 俺は別に……」


 バツが悪そうな漁師の男がモゴモゴと口ごもるのを無視して通り過ぎ、ベローナは窓辺にいる痩せた男の傍に立つ。

 男は意識的にベローナの指示を無視して、何か言われる前に報告を口にする。


「さっき、包帯の男が宿に入っていったんだ。昼間報告にあった男だと思う。部屋に入っていったみたいだ。昼間は妙に慌ただしかったし、もしかすると仮面の女か子供のどっちかに何かあったのかも」

「……交代」


 男の報告を無視して、有無を許さないと言わんばかりにベローナは短くそれだけ伝える。圧はかけているが、その声音は優しい。

 指示に従わない事に怒りはない。自分たちは上司と部下の関係ではなく、幼馴染であり故郷を想う仲間だから。

 ベローナの心遣いが痩せた男に心地悪さを与えた。男は沈黙しながらベローナの方を見上げ、無言で続けたい意思を伝えた。

 しかし、リーダーの役割を担っているベローナは首を縦には振らない。


「寂しそうな子犬みたいに見上げてもダメ。仲間が一丸となって島の呪いと戦うんだ。いざって時に動けない奴が出るなんてあり得ないの」

「……僕はこんな足だ。こんな形じゃなきゃ仲間のために働けない。まともには戦えないんだ」

「情報収集も、休息も大事な戦い。それに戦い方って色々あるよ」


 そう言うと、ベローナは後ろの方でソワソワしている漁師の男を親指で指さした。


「例えば、アイツや私を守る盾になるとか。命を盾にして、私たちを守って」


 全く躊躇なく悪びれもせず、ベローナは仲間である筈の男に向かって、命を捨てる選択を提案した。

 その瞳は曇りなく、純粋で清らかだ。

 

「うん。動物と同じ。群れが危険だと、怪我したり動きの悪い一匹が仲間のために死ぬ。足が悪いから戦えないなんて事はないよ。私たちは皆仲間、家族だよ。一丸となって戦おうよ」


 ベローナは窓枠に置かれている乾燥した固いパンを手に取り、痩せた男に手渡した。

 その時、相手の手を包むように握る。

 

「その時のためにも、しっかり食べて備えて。助け合おう」

「……ベローナ、ありがとう」

「うん」

「君が危なくなったら、僕が盾になる。僕の命で君が助かるなら嬉しい」

「私のために死んでね」

「お、俺も死ぬぞ! お前よりも身体が広いからな!」

「いや、アンタには生きて戦ってほしいかな。というか、ズルして休もうとしない! 皆で戦うんだからね!」

「お、オウ……」


 注意を受けた漁師の男は肩を落として、身を縮こまらせた。

 漁師の男が落ち込む様子に、ベローナと痩せた男の二人が笑みを零す。 

 三人が楽しげに笑い合う。

 死を想定して、親しく話し合う光景。

 そこには少しの悪意も、罪の意識もない。

 彼らはそれが日常であると言わんばかりに、自然体だった。



「じゃあ、ここに居る面子で話し合おっか。まず状況を確認したいな。今、仮面女の部屋には何人居るの?」


 漁師の男が監視の席を引き継ぎ、ベローナと痩せた男はベッドに並んで座る。

 彼らは今後の方針についての話し合いを始める。


「今部屋には3人居る。包帯の男が増えただけで、他に来客はなかったし、誰も出てきてない。もしかしたら、町に奴らの仲間が他に潜んでるかも」

「何でだ? ベローナの指示で俺ら動ける組が結構洗ったぞ?」


 漁師の男の疑問に痩せた男が答える。


「町の人間に気付かれないように夜の間に入って来るのかも」

「かもね。けど、そっちは外回り組に任せてる。今は宿の連中についてだ。包帯の男以外は動き無し……報告にあった例の子供も出てない?」

「ああ。朝早くに宿入りしてから、仮面の女も子供もこもったまま。何をしてるのか」

「きっと町をどうにかする悪巧みをしてるに違いねえ。奴らは島の呪いなんだからな」

「店側は僕らの味方だ。夜の内に攻めてもいいんじゃないかな」

「う~ん」


 二人の意見にベローナは首を傾げる。


「私、子供ってのが気になるのよね」

「包帯の男じゃなくて? アレ、見た目からしてヤバそうだけど」

「ヤバいって見た目してんだったら、ヤバいって構えて行動出来るけど、そうじゃない見た目でヤバい方が困るでしょ」

「それはそうだけど。だからって、相手は子供だよ? 仮面の女とどういう関係かもわからないし」

「そこが一番の気掛かりなんだよね。怪物が連れてる子供だ、普通じゃないでしょ。どうして連れてるのかは知っといた方が良いと思うんだよね」


 すると、監視をしながら話を聞いていた漁師の男が意見を出す。


「火を放とう。三人とも丸焼きに出来て、手っ取り早いぞ!」

「却下」


 シュンとして肩を落として監視に戻った漁師の男を無視して、ベローナは自分の意見を口にする。


「実際、焼き討ちも全然ありだけどねー。火が広がっても、また作ればいいからさ」

「あの宿は既に廃業してる場所を僕らが仕立て上げただけだしね。一応、言われた通り周辺の家に油は用意してあるよ」


 ベローナたちが用意した宿の周辺にはいくつか建物があった。

 その中の数軒は昼間の内に細工が加えられている。仮に中の連中ごと放火する事になった時、逃げ道を失くすための油の壺が運び込まれているのだ。

 他にも武器を隠したり、建物同士の壁を崩して通り抜けやすくしているなどの工夫をしていた。

 報告を聞いていたベローナは煮え切らない様子で唸る。


「んー……使わないかなぁ……」

「何でだよ!? せっかくのチャンスなのに!」


 漁師の男が息まくが、痩せた男の方はベローナに理解を示した。


「ベローナは子供が巻き込まれるのが嫌なんだろ?」

「そうだね。子供が酷い目に遭うのは嫌な感じがする」


 一度言葉を区切り、自分の想いを確かめてから続きを口にする。


「島の呪いに関わるなら子供も殺さないと。だからこそ、一度見極める機会が欲しいかな。何か考えはある?」


 必要なら子供が相手であろうとも躊躇はないし、覚悟もしている。

 だが、一方的に敵だと決めつけて襲うには、子供は若すぎると思っていた。

 ベローナに促され、痩せた男が自分の意見を言葉にする。


「あの仮面の女を監視してて思ったのは、あの子供を凄くに気にかけている。子供だけと接触するのは難しいと思うよ」

「やっぱりかぁ。仲間の報告でも、似たような感じだったんだよね。う~ん……」


 悩むリーダーに、また漁師の男が声を上げた。


「なあ、そんなに大事か? 町のガキでもないガキなんだしよ、殺しちまえばいいだろ。仮面の女の子供だったらよ、俺らの敵じゃねえか。めんどくせえし、まとめて殺さねえか?」


 極端な意見だが、今度はベローナもすぐに反論しなかった。それも選択肢としてアリだと考えている。

 ベローナの考えを汲んだ痩せた男も、リーダーであるベローナの答えを待つ。

(子供ねえ。どうでもいいって言うには、ちょっと気になるのよね……)

 やがてして、ベローナは逡巡を振り払うように首を横に振る。


「……やっぱり確かめるまではダメ。無関係のよそ者、しかも子供を『かもしれない』で殺すのは気持ち悪いよ。危険だけど、仮面女から引き離してから確かめて、その後に殺すか決めよう」


 彼女の判断基準は子供の命を奪う行為の善悪ではなく、自分たちが快か不快か、それだけだった。

 成人と言っても差し支えない年齢の若者にしては、他者や弱い者への道徳心に欠けている思考回路をしていた。

 漁師の男が渋々納得した表情を浮かべ、無言で監視を続けた。

 痩せた男はどこか腑に落ちない顔で言葉を返す。


「気持ちはわかるけど、それは町のためになるのか?」

「さあ? 私は賢くないもん。どうなるかなんて、よくわからないよ」

「それでも、ベローナが僕らの中で


 縋る眼でベローナの方を見る痩せた男。

 彼の言う通り、道徳心が薄いベローナが仲間内で一番、思慮深くて思いやりがあった。他の面々は漁師の男のように、町に無関係な人間がどうなろうと構わないという冷酷さを強く持ち、他の選択肢がある事を考えられない。

 仮に彼女が子供の事を気に掛けなければ、島の呪いを憎む若者らは本当に子供ごと宿を焼き、その周辺を火の海にしていただろう。

 ベローナは島の呪いと戦う若者たちのリーダーであると同時に、唯一の理性でもあったのだ。

 このように仲間で話し合い、行動方針を決める事を大事にしているが、最終決定はベローナに託されていた。

 それを理解しているリーダーが口を開く。


「なら、気乗りしないから夜の焼き討ちは無し。子供の正体をまず探る。そのために何人かに死んでもらう事になると思う。あなた達も死ぬかもね。という訳で、とりあえず子供を攫う方向でいきましょ。行動開始は早朝に」


 スラスラと作戦を伝えるベローナ。

 

「わかった。君が決めたならそれでいいよ。僕は君らの盾になるために、ちょっと眠らせてもらう」

「俺らはここで待機してるわ、また朝に」


 漁師の男も痩せた男も、リーダーの言葉をすんなりと納得した。

 リーダーの我儘で仲間が、あるいは自分が死ぬかもしれないリスクを背負うのに。

 ベッドから立ち上がるベローナ。


「うん。また朝に会おうね。私、他の皆にも今の事を伝えてくるから」


 ベローナはそう言い残して、建物を後にする。


     ✕         ✕


 島の呪いを恨む若者たちはベローナを入れて、総計二十四人居る。

 皆十年前の『ジョーンズ家』に関わって死んだ老人たちの子孫である。

 彼らは死を、生きる動物の終着点という形でしか考えていない。

 そういう知恵しか知らないから。


 知る機会が無かった。

 機会は失われていた。


 彼らは命に意味も求めていないし、考えた事もない。

 善悪も生死も、彼らにとっては

 ただ当たり前の自然現象の一つ。原因を知る必要もないし、原因を知ろうという発想もない。

 喰えば生きて、飢えれば死ぬ。

 死に意味が無いのだから、町を守るという意味がある行為の方が、よほど上等に感じられる。


 だから、町のために戦って死ぬのは怖くない。


 善と悪という概念を知らない。

 だから、『正しい』と『間違い』の概念もない。

 あるのはシンプルな二択だけ。

 気持ち良いか、気持ち悪いのか。

 それだけが、彼らの思考回路である。

 生きる事は沢山食べて、家族のために働いて疲れて、楽しさに満たされる。

 だから、気持ちが良い。

 死ぬ事は苦しく、痛く、怖い。周りも悲しいし、仮に屈辱を受けたならば腹立たしい。許す事は出来ない。

 だから、気持ちが悪い。


 だから、生きる方が良いに決まっている。

 だから、先祖を殺した島の呪いは気持ちが悪い。

  

 大抵の場合、ベローナの言葉は気持ちが良い。

 なぜなら、彼女だけが善悪や命の意味を知っているからだ。

 彼女だけが彼らをひらいて、生かしてくれる資格がある。

 だから、彼らはベローナを信じている。

 

 だから、ベローナが言うのなら、死ぬのも怖くない。


 無知故に、島の呪いに遺恨を抱えし若者らは使命を心に抱いて死を恐れない。

 善悪と生死の意味を知るベローナのために死ぬ事を恐れない。

 故郷を生かすために死ぬ事を、間違いかもしれないと考えもしない無知蒙昧な遺恨者たちは恐れない。


 そして、遺恨者たちの指導者であるベローナは、彼らの間違いを正して命を救えるほど、外の世界に満ちている沢山の『意味』を知らなかった。

 



___________


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

遺恨者たち二十四人の名前を近況ノートに載せようかと思っております。よければ、そちらもお楽しみください。

よければ好評価等、よろしくお願いします!



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