A Girl That Kills Starving
れい
A Girl That Kills Starving
今日もまた、なんの味もない日々を咀嚼して、消化していく。通学電車から眺める街も、教室の窓から見える中庭も、代わり映えしない景色だ。この殺してしまいたいほどの空腹感も貼り付いたまま変わらない。
***
「ねえ、今週空いてる?」
そう声をかけてきたのは友達のハルだった。
「空いてるけど」
私は今週は何も予定がなかったことを頭のなかで確認する。
「じゃあ、遊びに行こ」
「いいよ。どこ行く?」
「どこでもいいけど、渋谷とかどう?」
「渋谷かー。私あんまり行ったことないから行ってみたい」
私は東京に住んでいるけれど、通っている高校は神奈川県にある。だから東京に住んでいながら、あまり東京に馴染みがないのだ。
「私さ、渋谷で靴と服買いたいんだよね」
とハルが言う。
渋谷で服とか買うなんて、まさに女子高生だ、なんて思うけれど私も立派な女子高生なんだと再認識する。
私の通っている高校は、いわゆる「お嬢様高校」(私はお嬢様でなくて一般庶民だけれど)で一応「進学校」だから、世間の人が思い浮かべる女子高生よりずっと地味だ。そんな理由で、電車で見かける、スカートが短くて、メイクもバッチリしている女子高生が少し羨ましく感じる。短いスカートなんて今のうちにしか履けないし、「今を生きている」彼女たちが本当に楽しそうで、星でできた宝石のように輝いて見えたから。
***
「ハル!」
改札から出て私を探すハルを呼ぶ。
「やっほー、ごめんちょっと遅れた」
「いいよ、私もさっきついたばっかりだし」
本当は、十分前には待ち合わせ場所のハチ公前広場に着いていた。でも、ハルに申し訳無さを感じさせたくはないから、嘘をついた。この嘘は、善意の味がする。
「じゃあ、行こっか」
私とハルは渋谷の街を並んで歩く。実は少し緊張していた。渋谷は、キラキラしていて、オシャレな人やものがあふれていて−果たして私はその一員になれるのか−と気掛かりに感じていた。
「ハルの服、かわいいね」
スクランブル交差点を渡りながら話す。
可愛らしいハルの雰囲気の容姿に見事にマッチした服装だ。大ぶりのリボンがついた白いブラウスに、プリーツの黒いミニスカート。それにレースアップの厚底シューズ。私はというと、バックプリントTシャツにデニム、スポーツサンダル。こういう格好も嫌いじゃないけど、好きでもない。どこか満ち足りなさ−空腹感に似た何か−を感じる。これじゃない、と心のどこかで−殺してしまいたくなるほど−その空腹感はいつからか光っている。
***
「ちょっと試着してくる」
私たちは渋谷109に来ていた。私たちと同年代の子たちも多い。周りの子たちは、それぞれ思い思いのオシャレをして、ショッピングしている。そんな彼女らを見て、少し胸が痛くなる。
ハルが試着している間、私は店の中を何となく歩いて、服を見る。可愛い。でも買えないな、と思う。そう思うのがいつものことだから、特別悲しかったりはしない。しかし好きなものを着れないという悔しさを含んだ辛さは、知らず知らずのうちに、私の胃をあの空腹感とともに満たしていく。
「おまたせ」
ハルの声で、私は暗い気持ちをどこかに置き去る。友達の前では、明るい気持ちでいた方が私にとっても、友達にとっても良いと知っている。
「お会計してくる」
レジに向かうハルを見て、あの空腹感は膨張する。
***
ハルと109を回って昼食をとったあと、渋谷を歩いていたらもう夕方だった。ハルはこのあと塾があると言って、私と別れた。
私は帰ろうかと思ったけれど、そのまま回れ右をして、また渋谷109に向かう。
ハルが私に言ったことが、忘れられなかったからだ。
「好きな服を着て、いいと思うよ」
ハルの言葉は、静寂の中に響く波紋のように広がっていった。空腹感をシカトして。
***
大粒のスパンコールのついたリボン。フリルのついたブラウス。パールのビーズでハート型にかたどられたイヤリング。可愛らしい色で彩られたまぶた。
それらを、可愛いと思った。あわよくば、それらを手に入れて街を歩きたい。同年代の女の子たちみたいに、好きな服を着て、今どきのメイクをして、街を歩きたい。そう願っていた。
いつだったか。母と買い物に行った。母は私の服装を考えるのが好きなのだろう、いつも一緒に買い物にいくとこれはどう、とか言って服を薦めてくる。もちろんそれらの服がダサいとか、そういう訳ではない。でも私が着たいのは違うんだ、と言うとじゃあどんなのが好きなの、と聞かれる。私はスマホに保存した、私の思う”かわいい”服を見せる。すると母は、
「こんなのどこに着ていくの」
と呆れながらいう。
「遊びに行く時とか、じゃないの」
私は必死に答える。母の圧を全身で感じる。
「遊びに行く時なんて限られてるじゃない。塾に行ったりとかの方が多いでしょ。もっと色んな所に着ていける服にしなさい」
「でも、こういう服は今のうちにしか着れないし、年齢を重ねてから着たら”痛い”じゃん」
「だから、遊びに行くとき以外にこんなの着ていく方が”痛い”でしょ」
それを言われた時には、もう私に言葉を発するほどの精神力は尽きていた。
それ以降、”かわいい”服を着るのを諦めたと同時に、殺してしまいたいほどの空腹感が私を包み込んだ。母は、昔から一度否定したものは決して肯定しないような人だということを私は知っていたが、それ以上に、親や他人に文句を言われても自分を貫くほど私は強くないことを、私自身が一番知っている。そして、そんな自分自身が嫌いで、殺してしまいたかった。
***
ハルが服を買った後、私は親の目が怖くて好きな服を着れない、と言ってみたのだった。 ハルは、
「ウチは親が服装に反対するとかは全然無いから、全く同じ立場からは言えないけど。でもさ、”今”好きな服は”今”しか着れないって思えば、仮に親が服装に理解が無くても好きなようにできる気がする」
「好きな服を着て、いいと思うよ」
と笑った。
私は、同年代の他の子たちが輝いて見える理由を、たった今、理解した。
彼女らは”今”を生きていたから。
”今”で自分自身を満たしていたから。
あの空腹の中の霧が晴れ、一陣の風が吹く。
***
ハルが服を買った店に足を運ぶ。109の店を全てまわったが、ハルが試着している間に見たワンピースが一番気に入っていた。胸に白いレースでできたリボンがついていて、裾にはリボンと同じ生地を使った、薄い水色のワンピース。
「試着してみてもいいですか?」
店員さんに声をかける。するとにこやかにいいですよ、と言ってくれた。店員さんに声をかけるのが不慣れなものだから、優しい人でよかったと感じる。
試着室に入り、カーテンを閉める。その空間はもう、綿飴のようなふわふわとした光で満たされた。
その”夢”に袖を通す。体裁を整えて、鏡を見る。私の前には、ずっと夢見た私が立っている。つい気分が高揚して、鏡の前でポーズをとってみる。そして我に返って、恥ずかしくて一人で苦笑してしまう。多分、この苦笑は今までで最も甘かったはずだ。
会計を済ませ、外に出ると薄暗くなっている。109を背に雑踏の中、軽やかに帰路につく。このワンピースを着て、内緒でメイク道具を買って、また渋谷へ来よう、そう思った。
***
「ただいま」
母の顔を見て少し緊張する。深呼吸をして落ち着く。
「おかえりなさい。あら、服買ったのね。見せて」
緊張を追いやる。袋から出す手は私にしかわからないけど僅かに震えている。
「こんなのを買ったの?」
母は鼻で笑う。でも”今”しか着れないから、と自分に言い聞かせる。
「私のお小遣いで買ったから。別にいいでしょ」
呆れ顔の母を横目にして自分の部屋に戻る。長編小説を読み切ったかのような液状の達成感で私はいっぱいになる。今からメイクの勉強をして、再来週もう一回渋谷に行こう。この空腹が満たされるまで貪ろう。こんな空腹なんて、殺してしまえ。
***
副都心線のホームに降り立つ。メイクが親にバレるのはさすがにまずい、と思ってメイクはしていないため、まずは駅のパウダールームに向かう。
スキンケア、日焼け止めまでは許されているからそこまでは家で済ませてきた。パウダーを顔にのせる。緻密な粉が顔に触れる。眉をかたどり、アイシャドウに手をのばす。私はメイクの工程の中でアイメイクが一番好きだ。まぶたに彩りを施し、星を散りばめる。目の淵を暗色の流線で描いていく。マスカラでまつげをなぞって、別人の私が鏡に映る。コーラル色の潤沢を唇にのせる。最後にチークを入れて、新しい私が誕生する。
駅を出て、スクランブル交差点を歩いて行く。”今”を腹いっぱいに詰め込む。私は殺した。以前の自分とあの空腹を。日差しはスポットライト。風に靡く髪、耳元で揺れるハート型の輝き、乙女色の煌めきをのせたまぶた、ふわりと広がるリボン、他の誰にも侵害されない水色のワンピース。これらは全部、私のもので”今”の私なんだ。
今日も一人、渋谷の街を舞い歩く。
A Girl That Kills Starving れい @ray-kaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます