第235話
■□■
「私はシスティナ・アーボルト子爵です。以後、お見知りおきを」
フード付きローブの女の人はどうやら貴族様だったらしい。
かくいう、私も貴族なんだけど。
ギャラリーの一角に机とコーヒーを用意して、そこでシスティナと名乗った女性と話し合う。
男の子にはお絵描きセットを渡したら、もうそっちに夢中なので放っておくことにした。
大人の難しい話に巻き込まれても退屈なだけだしね。
そして、猫とは和解中……なのかな?
猫も男の子が守ろうとしてくれたことはわかるらしく、毛嫌いするといったような姿は見せない。
ただちょっと魔物族を警戒してる気はするけど。
「私の見た目、変ですよね?」
「いや、そんなことはないですけど……」
フードを取ったシスティナさんは、美しい女性の顔立ちが三分の二で、残りの三分の一……右目辺りから右頬にかけて豹の顔をしている。
うん、なかなか奇抜な面相の人だ。
本人が言うには、キマイラという種族らしい。
「合成魔獣などと揶揄されることもあるぐらいで、見た者が不快にならないように、いつもはローブなどで体を隠しているんです」
「へぇ」
なかなか凄い体だなぁとは思うけど、魔物族なんて変な格好をしたのが周りに沢山いるし、山羊くんとか考えたら……まぁ普通じゃない? といった感想だ。
「今回はアトラ様の
「アトラさんの? 小間使いみたいなことさせられて困ってるなら、私からアトラさんに言ってあげようか?」
爵位持ちということは、ちゃんと自分の家を持つ貴族である。
それを私兵のように顎で使うなんて……と思ったけど、システィナさんはブルブルと首を横に振って否定する。
「いえ、私はアトラ派ですので、これでいいのです」
「アトラ派?」
「はい」
システィナさんに尋ねると、現在魔王国の貴族にはいくつかの派閥があるらしい。
現魔王に共感し、弱き者の自立を助けたり、暴力以外の評価方法を探したりして、新たな体制を模索する現魔王派。
力こそ全てで、弱者は人に非ずの思想を持ち、隙あらば戦争を推し進めようとする旧態派。
どちらの派閥にも積極的に関わろうとはしない中立派。
――といった感じらしい。
アトラさんは、そんな中でも現魔王派に属していて、現魔王派の中でもアトラ派という一派のリーダーなんだってさ。
「アトラ派は現魔王様が統治することで生み出された素晴らしい文化を守るために生み出された派閥です」
「素晴らしい文化?」
「音楽、絵画、劇、詩文やマナー、ダンスなどですね。それらは争ってばかりの状況下では決して生まれなかったものであり、力の強弱が結果を分けるものでもない。だから、そういった文化を守るためにも旧態派に対抗しているのですよ」
要するに平和な環境から生まれてくる文化を守ろうってことかな?
システィナさん曰く、アトラさんのようにちゃんと意見を表明してる派閥は稀で、現魔王派の中には旧態派の誰々が気に入らないから現魔王派になったりだとか、そもそも代替わりして力が落ちてしまったから旧態派が巻き起こすであろう戦争に巻き込まれたくないからって現魔王派になってるとか、そういった派閥も沢山あるんだって。
旧態派は……まぁ、三馬鹿公みたいな奴が多いんだろうね。
聞けば、先程空き地で出会ったのも旧態派の貴族の一人だったらしい。
言われてみれば、納得できるかも?
力こそが正義って感じだったもんね。
「現魔王派、旧態派、どちらも現状では力が拮抗してるような状態です。四天王……おっと、今は三天でしたか……はほぼ全員が現魔王派ですし、六公……三公は旧態派が半数以上を占めていますので」
「ふむふむ」
ちなみに、魔王国の階級制度は、
騎士爵⇒男爵⇒子爵⇒伯爵⇒侯爵⇒公爵⇒三公(六公)⇒三天(四天王)⇒特別大将軍⇒魔王
の順で偉くなっていく。
本来は偉いイコール強いの図式だったらしいんだけど、現在はその限りじゃない。
あ、三天と特別大将軍は別ね。
元々は特別大将軍も三天も存在していない爵位で、その辺は現魔王が魔王国を統治しやすくするために追加した爵位だ。
だから、ここは機能している。
システィナさんは階級制度によると、下から三番目。
バケモノレベルじゃないけど、それなりに強いという評価で貴族になった魔物族である。
代替わりしてなければ、今も同じぐらいの強さか、もう少し上の爵位になってるのかもしれないね。
まぁ、一千年も前の指針だし、どれだけあてになるのかは未知数。
旧態派にとっては多分それも不満の原因なんじゃないかな?
「ですが、その拮抗してる状況にひとつの爆弾が投げ込まれたのです」
「爆弾?」
「あなたです」
「そうか、私ね。――私!?」
なんで! 派閥とか全然興味ないのに!
「考えてもみて下さい。不興をかっただけで魔王国の大都市三つを消し飛ばすバケモノですよ? 敵対派閥に入られただけで、普通の者ならさっさと逃げ出そうとします。それを危険物以外の何だと言うのですか」
「ズケズケ言うね」
「この程度で怒らない寛容な方だとアトラ様からは聞いています」
くっ、アトラさんめ。
これじゃ、怒るに怒れない!
「アトラ様は、ヤマモト様は派閥争いに興味を持たないタイプだろうと予想していました」
「まぁ、そうだね」
「ですが、旧態派がそれを知っているかどうかはわかりません。それなのに、旧態派がヤマモト様に近づいてきて、しつこく勧誘したり、あろうことか取り扱い方を間違えたりしたら……あぁ、恐ろしい!」
どかーんとなるって?
というか、本当に危険物扱いじゃん!
……あ。
もしかして、システィナさんが「殺す気ですか!」って叫んでたのは、私に攻撃があたって機嫌を損ねて、街ごと自分も消滅させられると思って、「(私を)殺す気ですか!」ってこと!?
聞きたいけど、肯定されたらマリアナ海溝より深く凹みそうだからやめよう……。
世の中には知らなくていいことだってあるはずだよ、多分。
「私はそんな危険因子を遠ざけるために、アトラ様の命を受け、趣味と実益を兼ねてヤマモト様の様子を見に来たというわけです」
まぁ、なんとなく理由はわかった。
要するに、私が旧態派に無理な勧誘を受けてないか探りに来たんだね。
でも、よくわからない部分もある。
「なんで私がここにお店を出してることを知ってるの?」
「アトラ様は王都ディザーガンドの守護者。アトラ様の耳にはどんなに小さな情報であろうとも届きます。そういうシステムをアトラ様は構築しているのです」
「ふぅん?」
なんか、色んな噂話を集めたりする情報網や諜報機関でも持ってたりするのかな?
ちょっとおっかないね。
「あと、趣味ってなに?」
「あ、私は無類の絵画好きでして」
そういえば、話してる最中もチラチラと視線が壁にかけられた絵画に向かっていた気がする。
「趣味と実益を兼ねて、ヤマモト様の様子を見守りに来たのです」
「すんごい趣味の部分にアクセント置いたね」
どう考えても、旧態派と私が揉めてないか見に来たのはオマケ感覚だよね?
まぁ、ギャラリーとしてはお客さんなので拒否する気はないんだけど。
むしろ、歓迎?
「あんまり作品は置いてないんだけど、見ていく?」
「是非!」
というわけで、ギャラリーの鑑賞タイム。
システィナさんは、私の作品を見て「おー!」とか「うぉぉぉ!」とかうるさいんだけど……。
美術館に行ったら絶対に追い出されるタイプの人間だよね。
あ。あと、図書館もね。
というか、ただの風景画にアニメの聖地巡礼かってぐらいの情熱のこもったリアクションにちょっぴり引くぐらい。
なんでそこまでオーバーリアクションなのさ。
「いや、大袈裟に鑑賞し過ぎでしょ」
「すみません。私は体がツギハギだらけの醜い体ですので、こう、美しいものを見るとテンションが爆上がりしてしまうのです……」
システィナさんは照れたようにそう笑う。
絵が好きっていうのは、コンプレックスの裏返しなのかな?
美しい絵を見ることで、束の間だけでもその美しさに没頭したいみたいな?
「――――」
そんなシスティナさんの動きが止まる。
テンションが爆下がりしたわけじゃない。
その様子を言うならば、恐らく絶句。
システィナさんは男の子の絵の前で止まっていた。
そういえば、飾ったままだったね。
それにしても、そのリアクションは何だろう?
何が描いてあるのか理解できないとか?
「せ、先生……!」
「先生?」
「この作品は一体……?」
「え、猫だけど……」
「猫!?」
「詳しくは、そっちの画伯に聞いて。その絵はその子が描いたものだから」
未だギャラリーの床で絵の具を使いながら、頑張って絵を描いている男の子。
そんな男の子を見つめるシスティナさんの双眸から……滂沱の涙が。
いや、なぜ!?
「ちょっと、ちょっと! なんで泣いてるの!」
「うぅっ、ぐすっ……、私はずっと自分の体が嫌いだったんです……。このツギハギだらけの醜い体のせいで、自分に自信が持てなくて……。だから、美しい絵画に囲まれてたら、少しでも自分の醜さが忘れられるんじゃないかってのめり込んでいったんです……」
「あぁそう……。とりあえずハンカチ……」
「ありがとうございます……うぅっ、ズビー!」
鼻かむなし!
「でも、これを見て下さい……。美しい絵画の中にありながらも、崩れたデッサン力とサイケデリックな色彩によって、自分の存在を誇示している……。綺麗とか汚いとか、美しいとか醜いとかそんなことではなく、圧倒的な存在感とインパクトで、隣の美しい絵画にも引けを取らない姿を見せている……。これを見ていたら、なんだか自分の考えていたことがちっぽけに思えてきて……」
うん。
私はシスティナさんじゃないから、その気持ちが百パーセントわかるってわけじゃないけど、同じような経験はしたことはある。
昔の引き篭もり時代に、ネット上のお絵描きSNSでユーザーに嫌なこと書かれて、すっごいモヤモヤして思い悩んでた時期があるんだけど、そういう時って何をやるにしても、そのことが脳裏をよぎってずっとモヤモヤしてる状態なんだよね。
なんていうのかなぁ、胸のしこりが取れないっていうの?
システィナさんの場合は、それが容姿へのコンプレックスだったんだと思う。
で、私もそのことを考えてクヨクヨスパイラルに陥っちゃったんだけど……うん。
たまたまネットで無料公開してた激グロ漫画を読んだら、その胸のしこりはいつの間にか綺麗さっぱり失くなってたんだよね。
というか、圧倒的なインパクトとショッキングな内容を見ちゃうと、ショッキングでショッキングを塗り潰すというか、「あ、全然自分の方がマシじゃん」と思えてきて、悩み自体がちっぽけに思えてきちゃうんだよね。
多分、システィナさんもそんな感じになったんじゃないかな?
自分の生まれ持った容姿にコンプレックスを抱えていて、貴族に任命された以上、進化して弱くなるわけにもいかないから容姿を変えられないし、周りは周りで別におかしくないよ、醜くないよと言い聞かせるだろうし。
皆は自分の容姿を笑ったりはしないけど、システィナさん自身は自分の容姿をずっと醜いと思ってたはず。
そして、自分に自信がないまま、ずっと過ごしてきたんだろうね。
けど、綺麗な絵画に囲まれながらも圧倒的な存在感を放つ、画伯な猫の絵を見た瞬間――、あまりのショッキングな内容に自分の長年の悩みが実はちっぽけなのでは? って気づいたってことなんじゃない?
もしくは、この猫の絵画が圧倒的な存在感を放って私の絵画よりも輝いてる状況……それを自分に照らし合わせて勇気づけられたとか?
私にはその気持ちを慮ることしかできないけど、男の子の絵がシスティナさんの心を打ったのは確かみたい。
システィナさんが男の子に優しい目を向けて、また泣く。
「しかも、この絵を描いたのがこの子だというではないですか……」
「?」
男の子がキョトン顔でシスティナさんを見上げる中で、システィナさんが男の子の頭を撫でる。
「千年――。私たちは旧態派と争ってきました。時には本当にこんなことをして意味があるのかと疑ったこともありました。けれど、私たちのやってきたことは無駄ではなかった……。それがわかっただけでも、この絵には価値があります。この絵こそ、現魔王派の希望の体現です」
「あ、うん」
私には下手くそな猫の絵にしか見えないけど、その芸術作品に付加価値を付けるのは人だ。
システィナさんにとっては、その付加価値が何よりも高いってことなんだろう。
「ヤマモト様」
「はい」
「ここにある絵を全て買わせて下さい」
「え? まぁ、いいけど……」
売り物がゼロになるのはちょっと嫌なんだけど、ここで売らないといつ売れるか怪しいし、売っちゃおうかな。
あと、猫の絵も買うんだ……。
分け前は男の子にも分けてあげないといけないね。
「一千万褒賞石でいいですか?」
「え?」
「あ、二千万にします?」
「え、そんなに出せるの!?」
結構な大金だと思うんだけど……。
システィナさんは笑う。
「私、美術品のバイヤーもやってますので。結構あったりしますよ」
「…………」
うん。
お金ってあるところにはあるみたいだよ!
あと、こんな大金、男の子に持たせて帰らせられないんですけど!
どうしろと!?
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