第158話

 ■□■


【ユフィ視点】


 元々、アルバレート様……アルバくんは、あのような性格ではなかった。


 子供の頃は、勇気があって、頼りがいがあって、ちょっとヤンチャだけどすぐに笑う、ちょっとカッコイイ男の子だったのだ。


 そんなアルバくんが変わってしまったのは、自分がフィザの領主の息子だとはっきり自覚してからだと思う。


 フィザの街の大人が、アルバくんに妙に優しく、アルバくんはその原因を知って増長したのだ。


 自分は領主の息子だから、この地では何をしても許される――そんな気になってしまったのだろう。


 事実、お金も払わずに飲食したり、気に入ったものは他人の物でも平気で奪い、気に入らない相手には平気で暴力をふるい……そんな横暴を行っても、アルバくんは全て許されてしまった。


 私のお父さんは、領主様の側近をやっていて、お母さんとは早くから死別していた。


 お父さんが仕事で忙しいのと、お母さんが面倒を見てくれない分、私はアルバくんとも歳が近いことから、アルバくんの遊び相手……いわゆる幼馴染として、アルバくんと共に過ごしてきたのだ。


 私としては、アルバくんとは友達の関係だと思っていたのだけど、お父さんはそうは考えていなかったみたい。


 私がアルバくんの行動を諌めて、正しい道に進むように矯正するのだと、何度もお父さんに叱られた。


 私だって、元々こんなに引っ込み思案であがり症な性格だったわけじゃない。


 けど、アルバくんが何かを起こす度に、私は理不尽にお父さんにたれ、アルバくんはアルバくんでよくわからない悪い友達を引き連れることも多くなって、私の居場所は徐々になくなっていった。


 周囲がそんなだからか、私は誰に大しても萎縮し、顔色を窺うような性格になってしまった。


 もはや、私には全然関係ないところでアルバくんが悪さをしても、お父さんに怒鳴られて殴られる日々。


 私は人と会うのも怖くなり、それが原因で人とのコミュニケーションを取るのも難しくなってしまった。


 言葉が出てこず、それを他人に笑われる度に顔がカーッと熱くなっていく。


 そんなことが何度も続いた結果、私は失敗することや笑われることを恐れ、些細なことでもあがってしまう……そういう性格になってしまったのだ。


 自分でも何とかしよう、何とかしないといけないとは思っていても、幼少期から十数年もの間、肉体と精神に刷り込まれてきたものはなかなか変わらないし、変えようがない。


 どうにかして変わりたい、自分を変えたいとずっと思っていたところに、チェチェックの貴族学園入学の話が私のもとに舞い込んできた。


 なんで私に、とは思ったけど、アルバくんの更生を兼ねた入学に付き添いとして選ばれただけだった。


 私のお父さんが息巻いていたから、無理やり私をねじ込んだのかもしれない。


 その時には、私とアルバくんの縁なんてほとんど切れかけていたけど、私は自分を変えたい一心だけで貴族学園への入学を決意した。


 私は、チェチェックの貴族学園入学のために、事前学習としてフィザの領主館に呼ばれることになった。


 そこで、アルバくんとアルバくんの友達たちと一緒に最低限の学力や戦闘能力を身につける訓練が行われた。


 けれど、そこでもまた私は抑圧される。


 勉強をするのは好きだった。


 古い私が知識を得て、新しい私になっていく気がしたから。


 けど、領主館での勉強会で私が優秀な成績をおさめる度に、アルバくんとその友達から受ける嫌がらせが酷くなっていった。


 時には殴られ、時には脅され、筆記用具や勉強道具をボロボロにされたりもした。


 そして、彼らは私に迫るのだ。


 自分たちよりも優秀な成績を取るな、と……。


 私には、その脅しを跳ね除けるだけの勇気がなかった……。


 頑張ろうとする私と、怖くてたまらないという私が同居し、やがてテストの答案用紙に文字を書くだけでも、指先が震えてまともに文字が書けないという状態が続いた。


 アルバくんたちは、そんな私をせせら笑っていたけど……私は苦しくて苦しくて仕方がなかった。


 そして、時が過ぎて、貴族学園入学の試験の日――。


 私は、ため込んだ知識を活かせもせずに、筆記試験も実技試験も最低点で貴族学園に入学した。


 それが、また、私の羞恥心に火を点け、私は極度のあがり症となってしまった……。


 こんなはずじゃない!


 本当の私は、もっとできるはず!


 そんな思いを抱きながらも、自分を変えるため、もしくは不満をぶつけるために、より難しい学問へとのめり込んでいく。


 けれど、アルバくんは私という底辺を作ることで、自分という人間を大きく見せたいのか、学園内でも私はイジメの標的とされていた。


 授業の合間で、人気のないところに呼び出されては、何かとイチャモンをつけては殴る、蹴る――。


 最近では服を脱がせようともしてくるので、そこだけは激しく抵抗したけど……おかげで、服を切られてしまうことも増えた……。


 お父さんからの仕送りも細々としたものだし、どうしようかという思いがあったけど……とりあえずは、糸で縫い止めてボロボロの服を着る日々が始まる。


 お父さんに助けを求める道はあったのかもしれない……。


 けれど、また理不尽に怒られるのは嫌だという思いがあるのか、体が竦んで助けを求めることもできない。


 だから、誰にも言えず、誰を頼ることもできず、ただただ耐える日々を続ける。


 どうにか事態が好転することを願って黙々と過ごす。


 事態が動いたのは、学園に入学して二ヶ月くらい経った頃だ。


 その子は転入生だった。


 全身黒いコーディネートをしたちょっと変わった女の子。


 彼女は、クラスの席について私に聞いてきた。


 積極性もあるし、ちゃんと状況を確かめられる頭のいい子なんだなというのが第一印象。


 それから、彼女は必修授業の時はいつでも私の隣に座るようになった。


 わからない時は、私に積極的に質問してきて、ちゃんと勉強する気のある子なんだとわかって少し嬉しくなった。


 その女の子……ヤマモトさんの質問に答えたい一心で私の勉強にも熱が入る。


 全てが良い方向に回り始めているんじゃないか……と、そう感じていた。


 けれど、それがアルバくんには気に食わなかったみたい。


 転入生が来たということで警戒していたのか、しばらくはなかったイジメが再開され、私はまた学園内の人気のないところに呼び出されては殴る蹴るの暴行を受けた。


 そして、アルバくんは言うのだ。


 このことを転入生に言ったら、転入生も同じ目に合うと思え、と――。


 私は震えた。


 何も関係がないヤマモトさんを、こんな負の連鎖に巻き込んではいけない。


 そう思っていたのに……。


 私がイジメられた後の現場をヤマモトさんに見られてしまった。


 私はヤマモトさんに事情を説明するわけにもいかず、ヤマモトさんから事情を聞かれるも、答えに窮して口を噤むしかなかった。


 それから、六日が経った。


 週の始めである月の日。


 その日の朝、アルバくんたちは朝のホームルームに遅れてやってきた。


 悪びれもしないのはいつものことだけど、授業態度だけは普通にしていた……問題を起こすとフィザに送り返されることがわかっているから……アルバくんにしては、珍しい遅刻だ。


 ……?


 あれ? なんだろう? 様子がおかしい。


 謝りもせずに教室内に入ってきたきたアルバくんたちを注意しようと、担任教師が近寄るけど、アルバくんたちは……。


「パパパ、プピ、ピエロ、キャタキャタ……」


 意味のない言葉を繰り返すばかりで、意思の疎通ができないようだ……。


 やがて、アルバくんは教室の中を見回して、私と目があったと思った瞬間――、剣を抜いてこちらに駆け寄ってきた……?


 え……?


「キャパパ! ビゲロ! グロッチョ! ギャバー!」

「――っ!?」


 私がいきなりのことに身を硬直させる中。


「ホームルームに遅れてきたんだから、まずは、『すみませんでした、ごめんなさい』でしょ」


 いつ立ち上がったのかもわからない動きで、ヤマモトさんが立ち上がった――と思った瞬間には、既にヤマモトさんはアルバくんの背後に移動していて、


「頭を下げなさい」


 アルバくんの後頭部を掴むなり、教室の床にめり込むほどに叩きつけていた。


 めしぃっ。


 という鈍い音と共に一瞬で動きを止めたアルバくんに、ヤマモトさんは「【オーラヒール】」と回復をしてあげながらも、「【ロック】」とその場にアルバくんを五体投地の状態で固定してしまう。


「ほら、あなたたちも謝んなさい」


 それは、アルバくんだけじゃなくて、アルバくんの友達も一緒ということらしく、私の目の前で次々と床に五体投地の状態でめり込ませられて、その場に固定されていく。


「先生」


 みんながドン引いてる中、ヤマモトさんは声のひとつも震わせずに、実に清々しいことをしたとばかりに告げる。


「彼ら、猛省したいそうなので、一日このままでいたいそうなんですけど、よろしいですよね?」

「え? いや……」

「ほら、こんなに先生に向かって頭下げてますし」

「いや、むしろ、頭を下げる方向が……」

「よろしいですよね?」

「よ、よろしいです……」


 担任の先生の言葉で気がついた。


 アルバくんたちは、全員私の方に向けて頭を下げた形で固定されていたのだ。


 これじゃ、まるで私が謝られているみたいな……。


 みたい、じゃない……。


「ヤマモト……、さん……」


 私はヤマモトさんに小声で声をかける。


 どうしても、確認しなきゃいけないことがあったから。


 でも、ヤマモトさんは帽子を深く被って、口元だけで微笑むと――、


「ようやく、ユフィちゃんから声をかけてくれたね」


 と言った。


 そう……だっただろうか?


 私は自分から他人に声をかけられないほどに、周囲に怯えていた……?


 私が思わず呆然としていると、ヤマモトさんは前を向きながら小さな声で話す。


「彼らに言わせると、イジメの現場を見たわけじゃないんだから、自分たちがイジメてるとは限らないんだってさ。ユフィちゃんが怪我したのは、その辺で派手に転んだからだろうって。自分たちは一切関わってないって言ってたよ。何だったら、その現場を見たのかよ、ぐらいまで言ってたかな?」


 何故、ヤマモトさんがそんなことを知っているの? とは問えなかった。


 その理由は、なんとなく察しがついたから。


「つまり、彼らの流儀でいえば、目撃情報がなければ、何やってもいいんだなぁって」

「え……?」


 ぞくっと背筋が震える。


 今、一瞬、ヤマモトさんの姿が見た目よりも、もっと恐ろしいものに見えた気がしたのだけれど……気のせいだろうか?


 気のせい、ということにしておこう……。


「多分、彼らも派手に転んで頭がおかしくなったんだろうね。だから、いきなり剣を抜いて襲いかかってくるなんて暴挙ができるんだよ。多分、拘束が解ければ、明日には学園からいなくなってるでしょ。これで、勉強に集中できるよね?」

「え、そう……、かな……?」


 朗報……なんだと思う。


 これでイジメられないという思いが湧いてきて、思わずヤッターという気分には……なれなかった。


 込み上げてきたのは、心の底からの安堵。


 その時になって、私は初めて自分が辛い目にあっていたのだなと理解する。


 今まで必死に生きてきたから、そんなことを考える時間もなかったけど、本当は泣き出したいほどに辛かったんだなと、ようやく今理解できた……。


「使う?」

「あり……、がとう……」


 ヤマモトさんから受け取ったハンカチで、自然と溢れ出てきた涙を拭い続けながら、その香りに心を落ち着かせる。


 ハンカチからはラベンダーの香りがしていた。

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