第58話 下位冒険者はその光景に息を呑む その弐


「これは………」


 俺は、突如拓けたその場所で、視界に飛び込んで来たその光景に目を奪われ息を呑む。


 幻影揚羽ゲノパピヨンの雄と雌が互いに折り重なりあい、その羽根が青白い光を発しながらゆっくりとゆらゆら揺り動く。


 その青白い光を反射して、まるで舞い降りる粉雪のように鱗粉がチラチラと舞い散っていくさまは、俺の少ない語彙では月並みな表現となってしまうが、まさに幻想的でこの世のものとは思えない美しさだ。


 それが単体ではなく、無数に広がっているのだ。


 この辺り一帯の空気が、まるで時を刻む事を忘れたかの様にゆったりと流れている。


 周辺に他の動物や魔物モンスターの気配はなく、葉と葉が重なり合う音や枝が軋む時のような木々のざわめきさえ遠い。


 日は沈み始めており、森の深い場所に位置するこの場所は陽の光が入り込みにくい事もあって元々薄暗く、幻影揚羽ゲノパピヨンやその鱗粉が放つ光がこの上もなく美しく映えている。


「こりゃ………参ったな。上手く言葉が出てこねぇ。まぁ、これ見ただけでも冒険者になった甲斐があったよ………っ?!」


 柄にもないこと言ったと、慌てて傍らのティルルカを見下ろすが、いつもならツッコミが入るこの場面で、思いの外静かだ。


「………」


 寧ろその表情は淋しげで、俺がジッと見ている事にも気付いていない。風景に目を奪われている、という訳でもないようだ。


 そもそも、視力の大部分を魔力感知に頼っているティルルカには、この風景はどう写っているのだろうか。


 どうした、と尋ねることも憚れる雰囲気が過ぎること数瞬、俺はようやくその事・・・に思い至る。


(ああそうか、コイツは………)


 俺はそっとティルルカの頭を撫で、驚いた表情を見せる彼女をそっと引き寄せる。


「………すみません」


「ああ」


「ご主人様が見ている光景を、一緒に『見る』事が出来ないことが悔しくて………」


「ああ、そうか」


「………ごめんなさい」


「構わねぇよ」


「………」


 口下手で、他人ひととの関わり合いを極力避けてきた俺には、こんな時になんて声を掛ければ良いのか分からない。


 ティルルカの気が済むまでジッとしていると、やがて彼女は大きく息を吐き、そっと俺から離れる。


「もう大丈夫です」


「そうか」


 そう笑顔で返して来たティルルカの瞳は、やはり少し充血気味だ。まぁ、そこを突っ込まないくらいの分別はある。突っ込んだら突っ込んだでうるさそうだし。


「それで如何しましょう? 大虐殺ジェノサイドの限りを尽くし、鱗粉集めましょうか? 今なら簡単に殺れそうですが」


 空元気丸出しに、そうおどけた様に言ってくるティルルカの頭をコツンと叩き、俺は少し思案する。


「………いや、殺して奪うだけが冒険者じゃねぇだろう。そこらに撒き散らされてる鱗粉を規定量集めりゃ問題ないだろ」


 そう言いながら、採取用の小瓶を取り出し、幻影揚羽ゲノパピヨンに近付くと、その羽根に軽く触れ、ふわりと落ちる鱗粉を小瓶に詰めていく。


「こんなに近寄っても反応ねぇって事は、行為中は無防備になるんだな」


「それはそうでは? 人間だって行為中は無防備になるって………本で読みました。シクシク………」


 経験の無いティルルカが、涙をちょちょ切らせながらその知識を披露する。


「虫ですら愛し合ってことに及んでるって言うのに、あたしは未だに未経験………いつになったらあたしとご主人様は………シクシクシク………」


 チラチラコチラに視線を繰れながらそう訴えるティルルカ。鬱陶しいから放っておこう。


 鱗粉集めに没頭すること10分あまり、俺はふと顔を上げる。なにやらザシュッと何かを貫く音が聞こえた気がしたからだ。


「ルカ………今、なんか聞こえなかったか? 何かが貫かれるような音なんだが………」


「そうですね………あたしも何か聞こえた気がします」


 二人で辺りを見渡していると、再びザシュッと音がする。その音が聞こえる方へと二人で顔を向けると、異様とも思える光景が目に飛び込んで来て、思考が瞬時に停止する。


 つーか、目に見えるその光景を理解したくなくて考えるのを止めたと言い換えてもいい。だが、そのままでいる事が危険であることも理解していたので、その光景のありのままを口にする。


「ルカ………俺の目には、幻影揚羽ゲノパピヨンの雌が口吻で雄の身体を穿いてるように見えるんだが………」


「奇遇ですね、ご主人様。あたしの『目』でも、同じ光景が『視えてる』気がします」


「ダヨネー」


「デスネー」


「………やばくね?」


「………ですよね?」


 互いに顔を見合わせた所でふと気付いたが、周辺の空気が先程までの幻想的な静寂が消え失せ、木々のざわめきも近くで感じ取れるようになっている。


 俺達二人がゼンマイ仕掛けの玩具のようにギギーッと視線を元に戻すと、ゆらゆらと揺れていた青白い光が動きを止め、舞い散っていた鱗粉が収まりを見せていた。


 俺とティルルカは、互いに目を見合わせ頷きあい、音を立てずに回れ右をする。すると遠くで、既にいつの間にか危険地帯を脱しているショルツが、「ナァ〜」とひと鳴きしている姿が目に入る。


(狡っ………ショルツ、狡っ!)


 騒ぎ立てるわけにもいかず、俺は小声でそう訴えながらティルルカを伴い、小走りにその場を後にする。


(そう言えば、聞いたことあります………確か昆虫の中には………)


(交尾終わったら、雌が雄を捕食する種の昆虫がいる………っていう話だな? 確かに聞いたことあるわ)


(うわっ! あそこ、雄が干からびてますよ!)


(言うな。想像しちまうだろが)


(あたしを穿いて良いのはご主人様だけ………ご主人様だけなのです!)


(ブレねぇなお前は! くだらねぇこと言ってないで足動かせ!)


(あ! 待って下さいご主人様! あたしを穿くその日まで、あたしは決して諦めませんからね!)


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